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名優一家に生まれても「俳優志望ではなかった」二世俳優。兄経由のデビューから20年超の現在地

  • 2026.8.1
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2011年2月、映画『学校をつくろう』初日舞台挨拶に登壇した柄本時生(C)SANKEI

父は柄本明、母は角替和枝、兄は柄本佑。これほど俳優に囲まれて育てば、幼い頃から自分も役者になると決めていたように思える。しかし、柄本時生は違った。俳優になろうという気持ちは、当初なかったと本人が振り返っている。興味を持っていた職業は宮大工。自分から芸能事務所へ応募したわけでも、父親へ役を頼んだわけでもない。

役者への入口は、兄のところへ来た仕事だった。強く望んで始めたわけではない少年が、なぜ20年以上も映画やドラマ、舞台の現場で求められ続けているのだろうか。

兄の役が弟へ回ってきた

柄本が俳優デビューのきっかけをつかんだのは、14歳のときだった。映画『Jam Films S』(2005年公開)の一編「すべり台」で、小学生役を探していた制作側が、すでに俳優として活動していた兄・柄本佑へ声をかけた。

しかし、当時の佑は高校生で、身長も180センチほどあった。小学生を演じるには無理がある。そこで浮上したのが、「(佑に)弟がいるらしい」という情報だった。時生は兄の代わりにオーディションを受け、合格。2003年に撮影へ参加し俳優デビュー

二世俳優ではあるが、本人が志願して準備を重ねた末のデビューではない。兄に届いた仕事が、年齢と体格の都合によって弟へ回ってきたという、偶然性の強い始まりだった。初めての撮影現場では何をすればよいのか分からず、周囲をうろうろしていたという。14歳の時点で、この仕事を一生続ける覚悟もなかった。

それでも完全な部外者にならずに済んだのは、映画が好きだったからだ。現場ではスタッフと映画の話ができた。二世として比較される苦しさより、「ラッキーなことが多かった」と率直に認めるところにも、柄本の気負いのなさが表れている。

学校から帰った場所は劇場だった

俳優を目指してはいなくても、芝居の空気は幼い頃から日常の中にあった。

父・柄本明は、劇団東京乾電池の創立メンバーで座長。母・角替和枝も同劇団に所属していた。両親が舞台の稽古をしている時期、時生は学校が終わると下北沢の本多劇場へ向かった。劇場内を裸足で歩き回り、劇団員の大人たちに遊んでもらっていたという。

子どもの目には、劇場は大きな迷路のように映った。両親が家にいない時間は多かったが、寂しさはなかった。周囲には劇団員のお兄さんやお姉さんが大勢おり、本人の表現を借りれば「家族が60人いる」ような環境だったからだ。

そこでは、父が座長だからといって特別扱いはされない。人に迷惑をかけないことや、集団の中での振る舞いも劇団員から教えられた。俳優になるための英才教育を受けたわけではない。だが、誰か一人だけで舞台は成立しないことや、大勢の人間が一つの作品をつくる感覚は、遊び場だった劇場で自然に身についていったのだろう。

兄との二人芝居で育てた感覚

俳優になった後も、兄との縁は続いた。2008年には、柄本佑と演劇ユニット「ET×2」を結成。二人芝居に取り組み、2017年には父・柄本明の演出で『ゴドーを待ちながら』を上演した。

派手なセットや大勢の出演者に頼らず、兄弟二人が小さな劇場空間で言葉を交わす。互いの呼吸や間がずれれば、舞台全体の空気が変わる。相手の声を聞き、その場で起きたことを受け止めなければならない。柄本が長く大切にしてきたのも、自分だけを目立たせる芝居ではなかった。

役を演じる際には、事前にすべてを固めるのではなく、実際に現場へ入り、セットの位置を見て、共演者とせりふを交わしてから探していくという。本人は、いつも「邪魔にならないように」と考えていると語っている。一見、俳優としては控えめすぎる姿勢だ。しかし、作品の中で必要以上に前へ出ず、その場にいる人物として自然に存在するからこそ、柄本の演技は画面へ独特の生活感を加える。気弱な青年、面倒な同僚、怪しげな男まで、どの役にも「本当にいそうだ」と思わせる体温が残るのである。

偶然のデビューから、作品をつくる側へ

14歳で始まった俳優生活は、すでに20年を超えた。映画、ドラマ、舞台で数多くの役を重ね、2024年にはドラマ『錦糸町パラダイス~渋谷から一本~』で初めてプロデュースも担当。長年の友人である賀来賢人、落合モトキ、岡田将生らと、以前から語り合っていた作品づくりを実現させた。

2025年度後期の連続テレビ小説『ばけばけ』では山橋薬舗の店主・山橋才路を演じ、2026年もドラマや映画への出演が続いている。兄の代わりに受けたオーディションから始まった俳優が、今では仲間を集め、作品を生み出す側にも回っている。

柄本時生の経歴には、二世俳優らしい華々しい決意表明がない。俳優になりたかったわけではない。最初から一生続ける覚悟もなかった。自分の芝居を大きく見せようともしない。それでも、幼い頃に劇場で覚えた集団の感覚を持ち続け、兄との舞台で相手を見る力を磨き、現場では作品の邪魔をしない場所を探してきた。

家族の名前が入口を開いたことは確かだろう。だが、その入口から20年以上歩き続けてこられたのは、柄本時生自身が、共演者やスタッフと同じ空間に自然になじめる俳優だったからだ。強く望まずに始まった役者道は、いつしか彼にしか歩けない、長い仕事になっていたのである。


※記事は執筆時点の情報です

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