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30年前、「語り手」が詞の書き手に回った "R&Bの頂点"と生み出した意外なアイドルナンバー

  • 2026.7.27
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1996年7月、アトランタ五輪の開会式より。写真は聖火台(C)SANKEI

テレビの前から流れる夜更けの生中継、地球の裏側で戦う選手たち、寝不足のまま迎える朝。中継の合間に画面が切り替わるたび、「ありがとう」と「勇気」、ふたつの言葉をまっすぐつないだ歌が繰り返し流れていた。1996年、アトランタ五輪の夏だ。

曲名はすぐに出てこなくても、あのサビなら歌える。そんな愛され方をしてきた1曲が、TOKIOにはある。

TOKIO『ありがとう…勇気』(作詞:赤坂泰彦/作曲:久保田利伸)ーー1996年7月22日発売

いま改めてクレジットを眺めると、この1枚がどれだけ豪華で、どれだけ不思議な座組から生まれたかが見えてくる。

音楽の語り手が詞の書き手に回った

作詞は赤坂泰彦。90年代のFMラジオを聴いて育った人なら、名前を目にしただけで、あの軽やかな語り口まで再生されるはずだ。ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞に輝いた、文字どおり「ラジオの声」その人である。経歴をさかのぼれば1982年、バンド・東京JAPのドラマーとしてデビューした音楽畑の出身でもある。それでも、本業は作詞家ではない。マイクの前で音楽を語り続けてきた人が、ペンを握り、アイドルのシングルに言葉を刻んだ。

作曲は久保田利伸。日本のR&Bを切り拓いてきた第一人者だ。編曲は土屋学が担った。電波の顔と、R&Bの頂点と、2人の個性を1枚にまとめ上げる編曲家。アイドルポップの内側に、こんな人選が潜んでいた。

考えてみれば、これほど「音楽好きに囲まれた」シングルも珍しい。ラジオでリスナーに音楽を届けてきたDJが言葉を書き、シーンの最前線を走る作曲家が旋律を書く。デビューから走り続けるTOKIOに、当時どれだけ大きな期待が注がれていたか。この顔ぶれがなにより雄弁に物語っているように映る。

ラブソングの頂点から汗のにおいへ

久保田利伸にとって1996年は、キャリアの頂点と呼びたくなる年だった。5月に発表した『LA・LA・LA LOVE SONG』が、ミリオンセラーに到達。日本中がそのメロディに浸っていた。

『ありがとう…勇気』の発売は、そのわずか2カ月後である。いちばん筆の乗っていた時期の久保田の旋律が、ほとんど間を置かずにTOKIOへ流れ込んでいた計算になる。極上のラブソングで頂点を極めた作家が、続けて書いたのは汗のにおいのする真夏の応援歌。この振り幅に、1996年の久保田の充実ぶりが表れている。

R&Bの人の書き下ろしと聞いて身構えた耳は、いい意味で裏切られる。気取りのない、風通しのいいポップソングなのだ。歌う相手の顔を思い浮かべて、自分の色をすっと引っ込める。この書き分けこそ、一流の作家の証だと言いたくなる。

中継でも映画館でも同じサビが鳴った夏

この曲が背負った役割の多さも際立っている。フジテレビ系アトランタ五輪中継のオープニングテーマであり、映画『That'sカンニング!史上最大の作戦?』の主題歌でもある。系統の違う2つのタイアップが、同じ1曲に集まっていた。あの夏、五輪中継でも映画館でも、この歌が鳴っていたことになる。

カラオケやCDよりも先に、テレビの音として体に入ってきた。だからこそ「曲名は出てこないのにサビは歌える」という、あの独特の残り方をしたのだと納得がいく。夏の記憶と分かちがたく結びついた歌は、意識して覚えた歌より、ずっと深いところに沈んでいる。

映画は山口達也と安室奈美恵のW主演作で、2人にとって映画初出演作にあたる。1996年の音楽シーンを塗り替えていた歌姫と、アイドルバンドの一員が、同じスクリーンで銀幕初主演を果たしていた。偶然にしては出来すぎた一致で、この年の芸能界の勢いを閉じ込めた1本に映る。夏休みの映画館でスクリーンの山口を見上げ、主題歌でTOKIOの歌声を浴びる。ファンにとっては二重においしい夏だった。

明るさの奥で鼓舞と感謝が手をつなぐ

そして、座組やタイアップを全部脇に置いても、この曲は聴くほどに人なつっこい。バンドの躍動とアイドルポップの華やかさが、ひとつの器で同居している。楽器を手にステージへ立ってきたTOKIOが、名手たちの仕立てた曲を、堂々と自分たちの歌として鳴らす。借り物めいた気配がしないところに、歌い手としての地力を感じる。サビに向かって視界が開けていく旋律の運びには、R&Bを歌い続けてきた作曲家の伸びやかさを感じるし、その大らかなメロディを、TOKIOは若さいっぱいの声でまっすぐ歌い切っている。

詞の芯にあるのは、困難に向かう人への鼓舞と、支えてくれる存在への感謝だ。赤坂泰彦は、ラジオの向こうのリスナーに語りかけるように、飾らない言葉で背中を押す。電波の向こうにいる無数のリスナーと向き合ってきた人ならではの距離感が、この詞には宿っているように映る。タイトルに並んだ「ありがとう」と「勇気」、この2語の近さがそのまま曲の人柄になっていて、聴き終えたあと、素直に前を向きたくなる。

エールの宛先を広げて年を締めた歌

1996年の大晦日、TOKIOは自身3年目となる第47回NHK紅白歌合戦でこの曲を披露した。アトランタの熱狂を背負った歌で、日本中の1年を締めくくる。応援歌にとって、これ以上の花道はない。

夏に選手たちへ送られた「ありがとう」と「勇気」は、大晦日には、この1年を走り抜けたすべての人への言葉に聞こえたはずだ。誰かの背中を押すために生まれた歌は、舞台が変わっても役目を変えない。曲名より先にサビがよみがえる。エールを届ける歌として、これほど正しい残り方はないと感じる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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