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JRA騎手と“13歳差婚”した「最年長グラビアアイドル」結ばれたきっかけは“馬名”だった

  • 2026.7.30
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ほしのあき-2007年3月撮影(C)SANKEI

「ハシッテホシーノ」という名前の競走馬が、かつて中央競馬を走っていた。名付けたのはタレントのほしのあき。もとになったのは彼女の決まり文句「◯◯してほし〜の!」だ。そこから、一頭の馬に名を付けた。バラエティ番組の中で笑いになっていた決まり文句が、馬名として登録された。

グラビアで世に出て、クイズ番組の解答席とお昼の生放送に長く座った人である。役でも歌でもなく、この人の仕事にはいつも言葉が先にあったように思う。

売っていたのは写真ではなく言葉

グラビアで注目を集めたほしのあきは、長く活動を続ける中で「最年長グラビアアイドル」と呼ばれるようになる。若い順に並べられる場所で、ふつうなら伏せておく側の数字を、そのまま看板の文字にしてしまった。持ちネタの作りも同じだ。「◯◯してほし〜の!」と語尾をひとつ決めて、現場でそれを使う。

テレビの持ち場は、そこから伸びていく。2005年からフジテレビ系『クイズ!ヘキサゴンII』に出演。クイズバラエティで、解答者の珍解答をそのまま笑いに変える作りの番組だ。回答者のひとりとして、この人は座っていた。2007年からは同じフジテレビ系『笑っていいとも!』で月曜レギュラーも務めている。水曜のクイズ番組と、月曜のお昼の生放送。同じ顔が週のあちこちに並んでいた。

年齢を看板に変えたのも、語尾ひとつを持ちネタにしたのも、手つきは同じである。売っていたのは写真でも回答でもなく、「ほしのあき」という名前に貼り付いた短い言葉のほうだった。

名前だけが競馬場で呼ばれ続ける

その言葉が、テレビの外へ出た一件がある。ハシッテホシーノは2008年に中央競馬でデビューした。父はアグネスタキオン、生産は社台ファーム、美浦の厩舎に預けられた牝馬である。出走のたびに出馬表へ並び、パドックで読み上げられ、成績表に残る。2009年には牝馬クラシックの優駿牝馬(オークス)と秋華賞にも出走した。テレビの中でだけ通じていたねだり文句が、本人のいない競馬場で、実況の声になって何度も鳴った。

この馬に乗った騎手のひとりが三浦皇成である。三浦がJRAの騎手としてデビューしたのは2008年3月で、その年のJRA賞最多勝利新人騎手に選ばれている。名付けられた馬と、その馬に乗る騎手が、同じ年に競馬場へ出てきている。

ただし三浦は、この馬にいつも乗っていた騎手ではない。実は本来乗るはずだった騎手が乗れなくなって、そこへ回ってきた鞍だった。そして、この騎乗が二人の接点になる。ハシッテホシーノは2010年いっぱいで引退。その翌年、2011年9月にほしのあきは三浦皇成と入籍した。13歳差の結婚だった。

戻った誌面では年齢が読む側にもある

グラビアの仕事は2011年ごろまで続き、そのあと誌面から名前が長く離れる。戻ってきたのは2023年6月だった。ファッション誌『美人百花』の増刊として出た『大人百花』にモデルとして登場している。35歳以上の女性に向けて作られた号で、エレガントに生きる大人のためのカジュアル講座をうたっていた。

雑誌『美ST』でもモデルとして立っている。40代、50代の読者を持つ美容誌だ。出版社も雑誌の性格も違う二誌をまたいで、誌面の仕事が続いている。おもしろいのは、戻った先である。「最年長」を売り文句にして出てきた人が、年齢を軸に読者を持つ誌面に立っている。ただし年齢の置かれ方は反対になった。グラビアのころ、それは本人にだけ貼られた札だった。いまその年齢は、ページをめくる側にもある。

置き場所が増えても看板は変わらない

2026年5月、『美ST』公式YouTubeの「美ST Channel」でNGなしと銘打った50の質問に答える回と、持ち歩いているものを見せる回が配信されている。紙の誌面から配信動画へ、名前の置き場所がまたひとつ増えた。

「ほしの」の名は競馬場まで響き、いまは美容誌のページと動画のなかにある。次にどこで見かけるかは分からないが、きっとどこにいてもいつも通りのキラキラした笑顔が、もれなくついてくることだろう。


※記事は執筆時点の情報です

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