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現代アーティスト、ローレン・ホールジーがロサンゼルスの故郷にささぐ彫刻公園

  • 2026.6.8
Hearst Owned

ローレン・ホールジーの暮らすこの街に、今日は申し分のない陽光が降り注いでいる。太平洋から流れ込み、南カリフォルニアのビーチタウンを包む霧が、かつてサウス・セントラルと呼ばれたこの地まで届くことは、ほとんどない。ロサンゼルスのこのエリアは、映画『ボーイズ’ン・ザ・フッド』『ポケットいっぱいの涙』、ドラマ『スノーフォール』や『Middle of Nowhere(原題)』といった作品の舞台として語り継がれてきた。もっとも、“どこでもない場所”などでは決してないのだけれど。

スモッグの気配ひとつない太陽は、夜明けから容赦なく照りつける。この朝、その光はホールジーの華奢な耳たぶに連なる小さなネフェルティティの金の胸像をきらめかせるだけでなく、彼女が新たに生み出した驚くべき中庭──ファンクに染め上げられた四角い広場、再構築されたタウンスクエア──をあたためている。

私たちが立っているのは、まもなく稼働する6つのウォーターフィーチャーのひとつのそば。38歳のアーティストによる壮大な新作インスタレーション《sister dreamer: lauren halsey’s architectural ode to tha surge n splurge of south central los angeles》の中。これは、彼女が生まれ育ち、いまなお暮らし、制作を続ける街へのモニュメントであり、同時に2006年、まだ建築を学ぶ学生だった彼女が思い描き始めた未来の断片でもある。自らのホームと呼ぶこの場所に、朽ちることのない何かを築くとはどういうことか。その問いから、この構想は始まった。

ローレン・ホールジーの《sister dreamer: lauren halsey’s architectural ode to tha surge n splurge of south central los angeles》。 © LAUREN HALSEY, COURTESY OF THE ARTIST. PHOTOS: STEVEN TRAYLOR

この場所を包むムードは「自由」。その感覚は、たちまち人へと伝播していく。やや単純化して“彫刻公園”と呼ばれることもある《sister dreamer》だが、その実像はもっと豊かだ。ウェスタン・アベニューと76th ストリートの角、住宅3軒分ほどの敷地にゆるやかに広がり、2020年にホールジーが設立した非営利団体「Summaeverythang Community Center」からもほど近い。彼女はいま、この団体の恒久的な拠点づくりにも取り組んでいる。

そこに立ち上がる構造物は、装飾物というより建築的で、絵画的というより力強い。厚みのあるパネルには、かつてははかなく消えていった近隣のグラフィック、ヘアスタイル、決まり文句、解体されたロゴ、見慣れたポーズが刻み込まれている。

地元の人々へささげられたハトホル風の列柱もまた印象的だ。俳優のロージー・リー・フックス、そして収監経験のある女性たちの社会復帰支援団体「A New Way of Life」を率いる活動家のスーザン・バートン。彼女たちをたたえる柱は、スフィンクスのような静かな威厳を湛えながら、ホールジーが先延ばしにすることなく育ててきた夢を見守っている。

ラズベリーオレンジの木々は光を求めて枝を伸ばし、乾いたブドウのつるは、石のように見える棚に沿ってしなやかに絡みつく。けれど、それは石ではない。構造物に用いられているのはGFRC(ガラス繊維補強コンクリート)。従来のコンクリートよりも高い強度を持ち、まだ見ぬ未来の環境にも耐えうるよう設計された素材だ。

通りの向かいには、アルコのガソリンスタンド。車列は絶えず、クラクションが鳴る。ビープ、ビープ。低音は街に響く。ブーム、ブーム。つまり、ホールジーの大胆な作品は岩のように揺るがぬ存在でありながら、同時にこのコミュニティ、そしてその先へとつながる、祝祭的な回線でもあるのだ。

“サウス・ロサンゼルス”は、2003年に正式採用された地域名だ。インターステート10以南に広がる50平方マイル超のエリアを指し、ワッツ、クレンシャー、ボールドウィン・ヒルズといった街々を含んでいる。だが、この“サウス・セントラル”からの改称(1980〜90年代に結びつけられた犯罪や貧困のイメージを拭い去ろうとする試み)には、どこか記憶の削除にも似た気配が漂う。いまなお多くの住民が歴史ある呼び名を使い続けるのは、それが誇りであり、ブラックカルチャーとラティーノカルチャーの象徴であり、そしてしなやかな強さの証しでもあるからだ。

「よく、“サウス・セントラルで育つってどんな感じだったの?”って聞かれます」。ホールジーはそう言って、肩をすくめるようでもあり、同時に自分を育てたこの街の景色と魂へ招き入れるようでもある大きな身振りを見せる。「まるで、いつも怯えて暮らしていたみたいに聞かれるんです。でも、あそこは世界で最高の場所。私は、その一瞬一瞬を心から愛していました」

ウェスタン・アベニューは、ロサンゼルスを南北に貫く通りのなかでも、とりわけ長い道。ホールジーにとっても、バスの乗客として幾度となく行き来した、記憶の道でもある。「公共交通機関で移動していると、どれだけ多くのものが見えてくるか、みんなあまり気づいていない」と彼女は語る。「イメージが幾層にも重なっていく感じ。同じように見えるものの鮮烈さも、ほんのわずかな変化も、どちらも見えてくる。大事なのは、“その速度”なんです」。そう語る彼女は、光を放つ列柱の中央に立っている。「昔はニュースプリントに“バスのドローイング”を描いていました。お店や教会、そして私たちがどんなふうにものをつくっていたかを、記録するように」。それは、幾重にも重なる鋼鉄のシザーゲート。ターコイズブルーやレモンイエローに彩られた店構え。中央ぞろえでもなく、左寄せでもなく、右寄せでもない看板たち。コインランドリー。ターキーウィングの煮込みや、ブラッドクラムのセビーチェを供する香り高い食堂。プランテインが積まれたミルククレート。そして1980年代から、素性を語らぬスヌーティー・フォックス・モーテルの前で、杖を手に仁王立ちし、見張り番のように立ち続ける鉄製の犬。

よそ者の目には無秩序で洗練されていないものに映るかもしれない。けれど、この土地で生きる多くの人々にとって、それらは血縁と選び取られた絆が織りなす文化の鋭い輪郭そのものだ。鮮やかな外観や手描きのサインには、この街ならではの市場感覚と、ある思想への揺るぎない意思が宿っている。これこそが、ホールジーのパレットだ。

そして、そこへ音楽が渦を巻くように流れ込んでくる。彼女が最初に夢中になったのはGファンク。ウォーレン・G、DJクイック、アバヴ・ザ・ロウ。そこから、ラップファンにはおなじみの自然な進化をたどるように、駐車場やスワップミートで売られていたミックステープ仕様のファンクCDへとたどり着いた。さらに大学卒業後の“ファンク教育”は、ライムワイヤー時代に訪れる。アーティストの全カタログを丸ごとダウンロードしていた頃だ。Gファンクの発祥地は、まさにサウス・セントラル。そして、会計士でありオリジナル・ファンクを愛した父親が、その革命的なサウンドへの情熱を娘へ受け継いだ。

彼女には忘れられない一日がある。ミッドシティにある進学校からの帰り道、父が車内でかけてくれたのが、パーラメントの1978年の曲「Aqua Boogie(A Psychoalphadiscobetabioaquadoloop) 」だった。多くのリスナーは見落としがちだが、この曲が奏でているのは、水とブラック・アメリカンの複雑な関係でもある。ミドル・パッセージの記憶から、人種隔離されたビーチやプールまで。その歴史を背後に響かせながら、同時にこの曲は、水中でも踊れ、髪をぬらすことさえない、ブラックな幻想郷を描き出している。

ファンクが内包する幾層もの複雑さは、ホールジーの表現に影響を与えただけではない。彼女の思考そのものを解き放った。「ブラックネスを、ピラミッドの世界や宇宙の世界、水の世界と重ね合わせて考えること──それによって、“私たち”を表現するための余白が、頭のなかに生まれたんです」と語る。

ローレン・ホールジーの《sister dreamer》。サウス・セントラルの記憶とエネルギーを讃えるアート作品。 © LAUREN HALSEY, COURTESY OF THE ARTIST. PHOTOS: STEVEN TRAYLOR

この《sister dreamer》という作品は、彼女が“ありふれた天才性(regular genius)”と呼ぶ、きわめて特有の南カリフォルニア的ブラックネスを記念碑化したものだ。広い敷地に立つ慎ましいバンガロー、手入れされ青々とした芝生、そしてトゥルースポークのワイヤホイールとヴォーグのホワイトウォールタイヤを履いたクラシックカー。そうした風景に育まれてきた美意識が、ここには息づいている。

彼女の力強いパティオの内側に立つと、不思議な浮遊感に包まれる。そこにあるのは、何よりもまず安堵だ。意図的に誤解されることも、暴力的に忘れ去られることもないという安堵。この場所は、ひとつの遊び場でもある。けれど同時に、敬意をささげる場であり、人々が集う場所でもある。そして彼女は、ここへさらに多くの人を招き入れ、誰もがより深く“見てもらえている”と感じられるように、大きな構想を抱いている。「まずは、若い世代に向けた取り組みから始めたいの」とホールジーは語る。「教育プログラムもあれば、放課後にふらっと来て宿題ができる場もつくりたい。建築的な想像力を育てるSTEMクラスだってできる。ある日はケメティック・ヨガ、ある日はサウンドバス、あるいは私のヒーローたちである地域団体シスターズ・オブ・ワッツがラインダンスのクラスを開くかもしれない。この場所は、絶えず姿を変えていくはず」

「 1, 2, 3, 4 ... Then you would try to fit your different notes, what you felt, in between that. .. And that’s the funk. .. It’s however you feel, but you just have to fit it between that space ... which is 1, 2, 3, 4. .. Then you want to break it down.(1、2、3、4……その間に、自分の違う音や感情をはめ込んでいく。……それがファンクなんだ。……感じるままでいい。ただ、そのスペース──1、2、3、4──のあいだに収めればいい。……そして、そこから崩していくんだ)」──ブーツィー・コリンズ(1983年)。

本人のビートで数えるなら、ホールジーはカリフォルニア州トーランスのエル・カミノ・カレッジに5年間在籍していた。なかでも建築学科には感謝している。建築家にはなりたくない、ということを教えてくれたからだ。その後、彼女はカリフォルニア芸術大学を受験し合格。祖母の敷地内にあった離れのガレージ裏に設けられた小さな寝室で暮らしながら学んだ。そこからイェール大学芸術学部大学院へ進み、美術学修士号を取得。さらに、スタジオ・ミュージアム・イン・ハーレムの名高いアーティスト・イン・レジデンス・プログラムで1年を過ごした。現在は、デイヴィッド・コルダンスキー・ギャラリーとガゴシアンに所属し、作品はハマー美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)、フォンダシオン ルイ・ヴィトンをはじめ、名だたるギャラリーや美術機関で展示されてきた。

けれど、ホールジーがひとつのエリート空間から、また次のエリート空間へと歩みを進めるたび、彼女は常にサウス・セントラルを携えてきた。2023年、メトロポリタン美術館のルーフガーデンで発表したコミッション作品《the eastside of south central los angeles hieroglyph prototype architecture(I)》は、文字どおりサウス・セントラルを西洋美術史の殿堂へと持ち込んだ。高さ22フィートのインスタレーションは、館内に所蔵されるデンドゥール神殿を参照しながら、彼女の街に息づく視覚言語と歴史から採られたフレーズやシンボルで覆い尽くされていた。翌年には、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーの空間を《emajendat》で埋め尽くす。それは、彼女のホームグラウンドへささげる“ファンク・ガーデン”。イメージ、彫刻的要素、アイコノグラフィー、植物、そして“ファンクサウンド”が交錯し、さらに何千枚もの廃棄されたCDがちりばめられていた。鏡面となったその裏面は、光を受けてプリズムのようなきらめきを放っていた。

「彼女は家族やコミュニティとの関係性を、彫刻と建築というかたちで物質化しているのです」。長年ギャラリストを務めるデイヴィッド・コルダンスキーは、2019年にロサンゼルス・タイムズ紙にそう語っている。

昨年、ホールジーの作品は、ケンドリック・ラマーとシザによる「Grand National Tour」のステージセットの一部として登場した。2022年作《Untitled》──その着想源には、さらに2020年の《work thang》があり、ファンカデリックや「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」へのオマージュが織り込まれている──は、ラマーが「Not Like Us」を披露する際の背景として用いられた。このツアーは、共同ヘッドライナー形式として史上最高興行収入を記録することになる。そしてホールジーの作品は、150万人を超える観客の目に触れた。ホールジーとラマーの創造的な交差点には、家族の物語、野心、そして音楽的系譜が幾重にも編み込まれている。彼女は2015年、ラマーの3作目のアルバム『To Pimp A Butterfly』のジャケットを再解釈し、石膏と木材による作品として制作。その作品はロサンゼルス・カウンティ美術館で展示された。さらに、ラマーが2012年のアルバム『good kid, m.A.A.D city』のボーナストラック「Black Boy Fly」で名前を挙げている元NBA選手アーロン・アフラロは、ホールジーのいとこでもある。10代の頃、遠征チームでプレーしていたホールジーは、アフラロとよく一緒にバスケットボールをしていたという。一時は、自身も WNBA 入りを夢見ていた。いまも気晴らしにシュートを打ったりするのかと尋ねると、彼女は少し苦い表情を見せる。「無理ね」と笑う。「もしやるなら、トレーナーをつけて、ちゃんと練習して、本気でプレーしなきゃ」

❝私はコミュニティとともに、コミュニティへ向けて語っているんです❞

ホールジーは、2026年を“インディペンデント・プロジェクトの年”と呼ぶ。その幕開けを飾るのが、《sister dreamer》だ。「泣くつもりはない」と彼女は言う。「でも、胸がいっぱいになります。キャリアのなかで初めて、自分のコミュニティ、この街に“代わって”語るのでも、“誰かのために”語るのでもなく、コミュニティとともに、コミュニティへ向けて語るプロジェクトを発表しています。私は本当にここにいて、対話している。歩けば母の家に行けるし、走れば祖母の家にも行ける。角を曲がれば親友の家だってある。すべてが、この文脈のなかにあるんです」

《sister dreamer》には、彼女がこれまで手がけてきた制度的・大規模なプロジェクト群とは異なる熱量が宿っている。それは、電柱に貼られたコルビー・ポスターのような即時性と、西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火ののち、都市とそこに生きた人々の姿を封じ込めたポンペイの石膏像のような重み──そのふたつを、不思議なほど同時に抱えている。体の輪郭、持ち物、ありふれた生活用品に至るまで克明に写し取ったそれらの石膏像は、いま私たちの前で進行する文化の抹消という溶岩流の、古代的な前触れのようにも思える。ブラックコミュニティの歴史を守る使命を担ってきた美術館や図書館を蝕む、禁書措置や予算削減。そして、物理的かつ構造的な暴力。

ホールジーが用いる、ガラス繊維を混ぜ込んだコンクリートでさえそうだ。ダウンタウン・ロサンゼルスのザ・ブロードのファサード“ヴェール”にも採用されたその素材は、淡い色調のなかで石膏のようにも見える。けれど、サウス・セントラルの陽光を受けると、それはまばゆいほどに輝き出す。もしポンペイが何かを教えてくれるとしたら、それは保存とはしばしば偶然の産物だということだ。災厄のあとに、結果としてもたらされるもの。だが、ホールジーは偶然に身を委ねない。彼女は意志をもって築く。

現代アーティストのローレン・ホールジー。 STEVEN TRAYLOR

セージの香りが風に乗り、庭師たちが最後の仕上げに手を入れ、検査にまつわる会話が空中を漂うなかで、彼女の中庭が放つ恐ろしくも美しい気配は、ますます強くなっていく。この場所は、率直に問いかけてくる。私たちは、自らの墓碑の上を歩いているのか。それとも、未来へ旗を打ち立てているのか。私なら、未来に一票を投じたい。そう思わせるのは、ホールジーが、過去にも、現在にも、そしてこれから訪れるものすべてにも、深い敬意を払っているからだ。彼女の作品には、ピラミッドを築いた人々への敬意がある。街角のデザイナーたちへの敬意がある。そして、日々の空間を編み上げる名もなき戦略家たちへの敬意がある。手仕事に生きる人々、美容師やバーバー、壁画家、コミュニティの記録を守るアーキビストたち。

ホールジーとは、新しい角度へ傾けられた鏡のような存在だ。そこに映るものは、見た目以上に複雑で、豊かで、多層的である。私は彼女に尋ねる。《sister dreamer》が頭のなかの構想を超え、より完全なかたちで現実に存在するいま、何か気持ちは変わっただろうか、と。「いいえ」と彼女は答える。セージの香りが、たしかに漂っている。まるで何かを呼び寄せる儀式の前触れのようであり、新しい時間への準備のようでもある。

「ここに在ることに、感謝しているし、祝福されていると感じます」。そう言って彼女は、自分の空間──そして私たちの空間──を見渡し、その先に広がるサウス・セントラルという大きな宇宙へと視線を向ける。そして静かに、こう続けた。「でも、このどれひとつとして、まだ終わってはいないんです」

Editor: MINA OBA, From Harper's BAZAAR July/August 2026 Issue

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