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愛子さまの卒論は「恋の和歌」。秋篠宮家とは異なる“学習院の王道”で開花した才能

  • 2026.6.11
コロナ禍で4年生まで大学に通えなかった愛子さま。そんな「難き時代」を乗り越え、卒業論文に選んだのは皇室の伝統である和歌でした。上皇后美智子さまの後継者とも称される、愛子さまの類まれなる感性に迫ります。(画像:REX/アフロ)
コロナ禍で4年生まで大学に通えなかった愛子さま。そんな「難き時代」を乗り越え、卒業論文に選んだのは皇室の伝統である和歌でした。上皇后美智子さまの後継者とも称される、愛子さまの類まれなる感性に迫ります。(画像:REX/アフロ)

成年皇族として公務に励む愛子さま。天皇陛下のオックスフォード留学、雅子さまのハーバード卒という「海外派」の両親を持ちながら、愛子さまがあえて留学を選ばず、日本の伝統文化である「和歌」の研究に没頭された理由はどこにあるのでしょうか。

本記事では、叔母である黒田清子さん(清子さま)との意外な共通点や、学習院大学で開花した愛子さまの圧倒的な知性について、『日本人にとって皇室とは何か』(島田裕巳・著/プレジデント社)より一部を抜粋・編集して解説します。

海外留学ではなく日本文学の道を選んだ愛子内親王

学習院大学を卒業した愛子内親王は、大学在学中、たとえ短期であっても海外留学は経験していない。

そこにはコロナ禍ということが大きく影響しているとも考えられるが、日本赤十字社に就職し、大学院にも進まなかったことからすると、近々海外留学する可能性は低いように思われる。

卒業前には、愛子内親王は大学院に進み、留学もするのではないかと予測されていたのだが、それとはまったく異なる道を選んだことになる。

その点について、果たして愛子内親王がどのように考えているのか、それはわからない。また、両親である天皇夫妻の意向もわからない。記者会見などでその点が尋ねられたことはないので、まったく情報がないのだ。

愛子内親王は“清子さまの道”を選んだのか

天皇は大学卒業後、大学院に進む前に、オックスフォード大学マートン・カレッジに留学している。

雅子皇后に至っては海外経験が豊富で、アメリカのハーバード大学を卒業している。その後、東京大学に学士入学し、外務省に入ってからもオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学している。

ただ、天皇の妹である黒田清子氏の場合には、幼稚園から大学まで学習院で、大学では国文学科(現・日本語日本文学科)に在籍している。卒業後は、山階鳥類研究所の非常勤研究助手や非常勤研究員となり、2005(平成17)年に結婚して皇室を離れるまで、鳥類の研究を行っている。

研究分野が大学時代と大きく異なるのは、兄の秋篠宮と共通する。そして清子氏の場合は、私が調べた限り、一度も留学を経験していないものと思われる。

愛子内親王は、この清子氏と同じ道を歩んでいるようにも見える。大学も同じ学科であり、大学で学んだことが日本文学で、海外留学に結びつきにくいのも事実である。

卒業論文のテーマに和歌を選んだ愛子内親王

現在の学習院大学は総合大学で、五つの学部を擁している。愛子内親王が卒業したのは文学部日本語日本文学科であった。現在の天皇も同学部の史学科の出身である。

天皇の場合、史学科で研究したのは日本中世の交通史、流通史であった。ところが、オックスフォード大学で研究したのは、テムズ川の水運史であった。留学中は日本史の研究から西洋史の研究に転じたことになる。

愛子内親王の場合、研究テーマに選んだのは和歌であった。卒業論文は『式子(しょくし)内親王とその和歌の研究』というものだった。式子内親王は、平安時代末期に在位した第七十七代後白河天皇の皇女で、当時の代表的な女流歌人である。

百人一首には、「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」という式子内親王の歌が含まれている。

これは恋の歌で、玉の緒は自らの魂、命を意味する。命が絶えてしまえと詠っているのは、このまま生きていけば恋を耐え忍ぶ力が弱まり、そのことが人にわかってしまうからだというのである。

宮中行事「歌会始」に受け継がれる和歌の伝統

和歌は、漢詩と対照される日本語の詩ということになるが、和歌を詠むことは古来、天皇や公家のたしなみとされてきた。

だからこそ式子内親王も多くの歌を詠んだのであり、天皇や上皇によって撰者が指名される勅撰集には多くの歌がおさめられてきた。

宮中において、和歌がいかに重要かは、毎年一月に開かれる「歌会始」に示されている。これは鎌倉時代のはじめから続く皇室の伝統行事である。

愛子内親王はその和歌に着目した。

これまで、大学で和歌の研究を行った皇族は存在しないのではないだろうか。

愛子内親王ならではのスケールの和歌

愛子内親王が和歌を研究テーマに選ぶ上で、祖母である上皇后の歌が大きく影響していた可能性は十分に考えられる。そもそも和歌は皇室の伝統である。

内親王の研究の成果は、2024年の歌会始(お題は「和」)で詠まれた「幾年の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」に示されている。

難き時代とは、直接には内親王が大学に入学した年から経験したコロナ禍のことをさすのであろう。愛子内親王が大学で対面授業を受けたのは四年生になってからだった。

だが、日本の社会がこれまで経験してきたさまざまな苦難を含むものとも解釈することができるわけで、歌としてのスケールは相当に大きい。内親王ならではの歌とも言える。

しかも、前年2023年の歌(お題は「友」)は「もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路」というもので、いかにも若者が詠む和歌だが、それと比較した場合、一年の間に歌の技量が相当に進歩しているようにも感じられる。

私はこれまで、毎年上皇后の歌に着目し、いくたびも感銘を受けてきたが、その後継者が生まれたのではないかと感じている。

そこに学習院で学んだということがどこまで影響を与えているかはわからないが、少なくとも国際基督教大学に進んでいたら、和歌を研究することはなかったであろう。

そうなれば、「幾年の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」という歌も詠まれなかったはずである。
この書籍の執筆者:島田裕巳 プロフィール
1953年、東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、東京女子大学非常勤講師を歴任。現代における宗教現象、新宗教運動、世界の宗教、葬式を中心とした冠婚葬祭など、宗教現象について幅広く扱う。

文:島田 裕巳

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