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かつて“反逆のカリスマ”と電撃婚した「美人女優」6年の“極秘交際”を経て結ばれた19年前

  • 2026.8.27
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2008年撮影、結婚披露宴前の記者会見で、幸せそうな笑顔を見せる格闘家の魔裟斗(C)SANKEI

2007年2月11日、矢沢心(当時25歳)とK-1の魔裟斗(当時27歳)が入籍した。2日後の2月13日に開かれた会見は、格闘技ファンと芸能記者の両方を集める大きなものになり、翌日の紙面には「電撃婚」の文字が並んだ。

だが、この二人に関しては「電撃」という言葉がいちばん事実から遠い。出会いは矢沢が10代後半のとき。交際は6年、同棲は5年に及んでいた。つまり結婚が電撃だったのではなく、それまでの6年を隠し通していた。

「電撃」の前にあった、隠れ続けた6年間

出会いのきっかけは、友人の車が故障したことだったという。10代の終わり、まだ魔裟斗が「反逆のカリスマ」と呼ばれる前の話である。

問題は、当時の芸能界の空気だった。のちに矢沢自身が情報番組で振り返っているところによれば、事務所からは「『分からないように』とか。同棲や結婚は、私たちの時代はご法度」と言われていた。週刊誌には何度も撮られた。「ちゃんと帽子かぶったり、スカート着替えたりとか変装はしたんですけど、やっぱダメでしたね」。一般の人にツーショットを投稿されたこともあったという。

撮られないための段取りを毎回組み、撮られたら事務所に説明し、それでも別れずに6年続ける。「電撃」に見えたのは外から見ていた側の事情で、当人たちにとっては、ようやく隠さなくてよくなった日だった。

入籍から1年2か月後の2008年4月20日には披露宴も開いている。会見から披露宴まで時間をかけたあたりにも、勢いで走った結婚ではなかったことがうかがえる。

読者モデルから女優へ、25歳までに積んでいたもの

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2008年撮影、結婚披露宴前の記者会見で、幸せそうな笑顔を見せる女優の矢沢心(C)SANKEI

1981年3月16日、東京都田無市(現・西東京市)生まれ。高校時代はギャル系雑誌『egg』の読者モデルとして知られた。ここで止まらなかったのが彼女の経歴の面白いところで、1997年、映画『バウンス ko GALS』のオーディションに合格して女優デビューする。

以降の出演歴は幅が広い。『平成夫婦茶碗』シリーズ(2000年〜)、『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)、『ドラゴン桜』(2005年)、そして結婚した2007年には『山おんな壁おんな』にも出ている。ドラマの出演本数は60作を超える。2002年にはテレビ東京で冠番組『YAZAWA魂』を持ち、2004年の映画『すくらんぶる・ハーツ』で初主演も務めた。

ギャル雑誌の読者モデルから始めて、ゴールデン帯の連続ドラマにも学園ものにも自然に入っていける俳優として、25歳までに十分な実務を積んでいた。

「格闘家の妻」では終わらなかった

夫のほうも、結婚が転機になった。魔裟斗は結婚翌年の2008年にK-1 WORLD MAXで2度目の世界王者となり、2009年12月31日、さいたまスーパーアリーナでアンディ・サワーに判定勝ちして現役を退いた。引退後はテレビの世界に移り、キャスターや解説者として長く続いている。

その隣で、矢沢心は「元K-1王者の妻」という肩書きに収まりきらないまま、情報番組やバラエティに出続けている。近年も自身の口で交際時代の苦労や不妊治療を語り、いまの芸能人カップルについて「気が気じゃないと思う」と言えるだけの距離感を持っている。

2007年、あの会見は「電撃婚」と書かれた。だが振り返ってみれば、彼女の人生でいちばん電撃的でなかった出来事が、あの結婚である。10代で出会い、6年隠し、4年治療し、そのすべてを自分の言葉で残した。派手な見出しの下でずっと続いていたのは、地味に長い時間を持ちこたえる力だったのだ。


※記事は執筆時点の情報です

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