1. トップ
  2. 蜷川実花インタビュー。mirror, mirror, mirror mika ninagawa プロジェクト

蜷川実花インタビュー。mirror, mirror, mirror mika ninagawa プロジェクト

  • 2026.3.31
(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

写真家、映画監督、現代美術家として第一線で活躍を続ける蜷川実花さん。彼女の新たなアーティストブック『mirror, mirror, mirror mika ninagawa』が刊行されました。本作は、7つの冊子やポスターなどを風呂敷状の表紙で包んだ、書籍の概念を「破壊」する規格外の合本仕様となっています。

このリリースに連動し、彼女が十数年暮らし、「日常と創作がマーブル状に入り乱れた濃厚な時間を過ごした」と語る特別な街・下北沢のギャラリー「DDDART」にて、同名の展覧会が5月31日まで開催されています。本プロジェクトの根底に流れるテーマは「破壊、再生、また破壊」です。

30年以上のキャリアの中で120冊以上の写真集を世に送り出してきた彼女が、今なぜ「破壊、再生、また破壊」というテーマを掲げ、尋常ではない熱量を帯びたアーティストブックを作り上げたのか。そして、手作り感あふれるカオスで実験的な展覧会を下北沢で開く理由とは。オープン直前まで制作が行われていた熱気あふれる展示会場で、お話を伺いました。

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

<Profile>
蜷川実花(にながわみか)/写真家、映画監督、現代美術家
写真を中心として、映画、映像、空間インスタレーションも多く手掛ける。クリエイティブチーム「EiM(エイム)」の一員としても活動中。木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。2010年ニューヨークのRizzoliから写真集を出版。また、『ヘルタースケルター』(2012年)、『Diner ダイナー』(2019年)をはじめ長編映画を5作、Netflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』(2020年)を監督。これまでに写真集120冊以上を刊行、個展150回以上、グループ展130回以上と国内外で精力的に作品発表を続ける。個展「蜷川実花展with EiM:彼岸の光、此岸の影」(京都市京セラ美術館、2025年1月-3月)は、25万人を動員。最新の写真集に『VIRA』(bookshop M Co., Ltd.、2026年)、『mirror, mirror, mirror』(光村推古書院 、2026年)がある。
URL/mikaninagawa.com

写真家・蜷川実花さんの「破壊と再生」のサイクル

CEDRIC DIRADOURIAN
――今回のアーティストブックと展覧会のテーマは「破壊、再生、また破壊」です。この言葉には、どのような思いが込められているのでしょうか。

写真家として活動して30年以上になりますが、私のデビューは「ガーリーフォトブーム」という、非常に消費されやすいムーブメントの中でした。当時の大人の文脈からすれば、私たちの表現は従来の概念を「破壊」するものだったのだと思います。でも、私自身はただ自分のやりたいことをやっていただけで、「なぜみんなそんなに驚くのだろう?」と不思議に感じていました。それ以来、激しく消費され、時に叩かれ、時に強く引き上げられるという環境の中で、30年以上必死に制作を続けてきました。

これまで数多くの写真集を出してきましたが、テーマ別や展覧会のカタログなど、わりと整然とした作りのものが多かったんです。でも今回は、私生活も制作もごっちゃになりながら必死に駆け抜けてきた、この30年余りの「ぐちゃぐちゃなエネルギー」をそのまま出せる本にしたいと思いました。これまで一度も枯れることのなかった「作らずにはいられない」という強い衝動を詰め込みたかったんです。

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

自分の創作を振り返ると、ずっと変わらない部分と、変わり続けている部分があります。「破壊」という言葉は少し暴力的に聞こえるかもしれませんが、それは自分自身をどんどん再構築していく作業でした。東京でモノを作るというのは、時代とチューニングを合わせたり、時にはあえてそれを外したりしながら、常に自分を壊しては新しく作り直していくことなのだと思います。

実は、編集者からは最初「破壊と再生」というテーマをもらったんです。でも、私の中では「いや、そこは“また破壊”でしょう」と思いました。「また破壊」した後には、必ずまた「再生」がやってきますよね。一度だけ破壊して再生して「はい、終わりました」ということではなくて、このサイクルをきっとこれからもずっと続けていくのだという思いを込めて、あえて言葉を付け足してもらいました。

既成概念にとらわれない「狂気に満ちた本」

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
――このアーティストブックは、まさに「書籍の概念を破壊した」ような作りです。この背景には、故・田名網敬一さんの本からの影響もあったそうですね。

「こういう本を私も作りたい!」って、編集者と盛り上がったのがそもそものきっかけなんです。田名網さんの本を見た時に、私の中で「本はこうあるべきだ」というフレームが1個外れたんですよね。これなら従来の枠にとらわれない本が作れそうだぞ、と。そこからどんどん自分の中のタガが外れていって、結果的にこんな本になってしまいました。出版に関わる方が見たら、この本がいかに「狂気に満ちた作り」になっているか、分かると思います(笑)。

実は今回の展覧会も、最初は「本を売るためにちょっとした展示をしたい」というお話があり、「いいですよ、やりましょう」とお受けしたものだったんです。でも、いざ本を作り始めたらこんな規格外のものになってしまって。それなら展示の方も、「普通の展覧会はこうあるべき」といういつもの枠組みを1回外して、自由にやってもいいかしらと思って作り始めました。

CEDRIC DIRADOURIAN
――この本は、例えばページがリボンで綴じられていて、見る側がページネーションを変えることもできますし、つまりここでも「破壊と再生」が行えるわけですよね。

今回の本は、1枚の写真が思いもしないところで切れていたりして、普通なら見づらいと感じるような作りになっています。でも、編集者さんに「どんな風にしてもらってもいいので、1回好きにやってみてください」と投げきることができたんです。そうやって解体されても大丈夫なぐらい、自分の写真や、これまでやってきたことに自信がついたんだなと、改めて気づきました。結局そこから15回くらい作り直して、2人で磨き上げていったんですけどね。

この本作りがきっかけで、自分の中のフレームを外していく面白さに出会い、自身を振り返ることができました。ちょうどそんなタイミングで、展覧会の候補地として挙がってきたのが、この下北沢だったんです。

日常と創作が入り乱れていた街・下北沢

CEDRIC DIRADOURIAN
――蜷川さんは下北沢にお住まいだったんですよね。

下北沢には12年間住んでいました。子供が1歳から13歳くらいまでの時期で、映画を何本も撮ったり、展覧会をやったり、父を見送ったりと、本当に色々なことがあった12年間でした。一筋縄ではいかない中で、プライベートと制作がマーブル状に入り乱れて、ある種もがきながら作り続けてきた場所です。だからこそ、ここで展覧会をやることにはすごく意味があると思いました。

今回の本や展示には、すぐそこの緑道や、近所の格安スーパーで撮った写真も入っています。クリエーションと日常のリアリティが地続きなんだということが、ここ下北沢なら見てもらえると思ったんです。

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

展示もまた、どう見せるか事前に決めないで始めました。普段はPC上で3D空間を作ってしっかり構築するんですが、今回は現場に作品をバサッと持ってきて、「えーどうしよう、ペンキだらけにしちゃえ!」なんて言いながら、その場の感覚で作っていったんです。だから、会場自体がひとつの作品みたいになっています。通常なら「コンセプトをどう伝えるか」や「集客」も頭の片隅に置きながら作りますが、今回は自分の中の初期衝動だけで、「作りたいから作る」「作らずにはいられない」という溢れ出るエネルギーだけにフォーカスしました。

実は今朝も最後に会場へ来て「あ、ここ足そう」って手を加えていたんです。最終的にどういう展示空間になるのか、今朝になるまで自分でも分かっていなくて。「あ、こういう展示になったんだ!」と私自身が驚いたくらいです(笑)。本の方も、今日の朝に最終的なポストカードなどのパーツが届いて、さっき初めて「これが完成形なんだ!」と全体像を見ました。当日の朝にすべてが完成するなんて、これまでの経験でもなかなかないパターンですね。

「何が作品になり得るのか」という問い

CEDRIC DIRADOURIAN
――今回のリリースに「やっぱり写真が全てのスタート地点である」というコメントがありました。蜷川さんにとって「カメラで世界を切り取る」という行為の特別さや意味合いは、どのように変化していますか。

今、AIの登場によって「誰でも表現ができるようになるのでは」と世間がざわざわしていますよね。でも、写真というメディアは、何よりも早くその状況を経験してきたと思うんです。私がデビューした頃にコンパクトカメラが普及し、その後デジタルカメラになり、今では誰もがスマホで綺麗な写真を撮れるようになりました。技術的な差がほとんどなくなった時、「何をもってわざわざ見てもらえるのか」「何が作品になり得るのか」という問いに、写真はいち早く向き合わなければならなかったんです。

誰もがある程度の写真を撮れるようになった時、問われるのは「どう世界と向き合っているのか」「何を感じたのか」ということです。写真を撮るというのは本来、「これを残したい」「誰かと共有したい」という純粋な衝動からくるものですよね。だからこそ、フィルムを巻いてプリントしていた時代よりも、ある種の難しさがあると感じています。

CEDRIC DIRADOURIAN

私は元々技術からのアプローチではなく、自分の感情や感性をどれだけ純度高く結びつけられるかを大切にしてきました。シャッターを切る瞬間には、「いい写真を撮ろう」とか「これを発表したい」といった考えすら入り込んでほしくない。ただダイレクトに感じたことを写し取ることに、どんどん特化してきている気がします。

実はデビューして1、2年目の頃から、「自己模倣をしてしまわないように」と強く意識してきました。経験を積むとどうしても手放してしまう「新鮮さ」を、いかに保ち続けるか。そうやって誓いを立てて経験を重ねてきたからこそ、最近は対象物や空間とスッとダイレクトに繋がってシャッターを切ることができているんです。だから、結構いい写真がたくさん撮れているんじゃないかなと思っています。

――今回セレクトされた写真は、過去の作品から最近のものまで、ごちゃ混ぜになって収録されているのですか。

ええ。ただ、比率としてはやはり最近の作品の方が多いかもしれませんね。今回の企画には、これまでのキャリアを一旦すべてフラットにした「全部入り」にできる、懐の深さがあるんです。だからここの展示も、小山登美夫ギャラリーで扱っているようなエディション付きの「作品」もあれば、印刷の色校正で「ここをもう少し赤く、鮮やかに」と指示を書き込んだだけの校正紙もあって、色々なものがフラットにごちゃ混ぜになっています。

CEDRIC DIRADOURIAN

通常の展覧会ならそんなことはしません。でも、この規格外の本からスタートした展覧会だからこそ、それができました。何が本物で、何が本物じゃないのか。誰かが「これがすごい」「これは価値がある」と決めるのではなく、見る人自身が感じたものが本物になるかもしれない。ご自身で自由に感じてもらえれば「何でも大丈夫です」と伝えられるような、そんな本と展覧会になっていると思います。

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
――展示空間からは制作時の混沌とした「ライブ感」も感じられます。

通常、作品を発表する時は「このコンセプトは何か」ともう少し論理的に言語化することもやっています。でも今回は、子供が綺麗なクレヨンを買ってもらって、ただ本能のままにぐちゃぐちゃに描くような……。普段、本当に様々なプロジェクトをやらせてもらっているからこその、自分への「ちょっとしたご褒美」みたいなものですかね。

――最後に、展覧会に来場される方に、どのようなものを受け取ってもらいたいですか。

「何だかよくわからないけれど、ものすごいエネルギーが溜まっている場」になっている気がするんですよね。ここに来て、「なんだかわからないけれど、自分も何かやってみたい!」と活力が湧いてくるような、そんな空間になっていたらいいなと思っています。それを体感して、気に入っていただけたら嬉しいです。

(C)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

アーティストブック『mirror, mirror, mirror mika ninagawa』
著者/蜷川実花
定価/¥11,000
発行/カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC ART LAB)
発売/光村推古書院株式会社


展覧会「mirror, mirror, mirror mika ninagawa」
会期/~2026年5月31日(日)
時間/11:00~19:00
会場/DDDART
所在地/東京都世田谷区代沢4-41-12
入場料/前売券:一般¥1,100、大学・専門学校生¥1,000、中高生¥800、未就学児(小学生以下)無料、障がい者手帳をお持ちの方¥1,000
当日券: 一般¥1,200、大学・専門学校生¥1,100、中高生¥800、未就学児(小学生以下)無料、障がい者手帳をお持ちの方¥1,100
URL/mirrorninagawa.com

元記事で読む
の記事をもっとみる