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【旅して考える防災】東日本大震災から15年後の福島浜通りに行って考えたこと

  • 2026.3.13

2026年1月、福島県の浜通り地区を1泊2日で訪ね、持続可能な社会・地域づくりについて考える「福島ホープツーリズムモニターツアー」に参加しました。「防災」というと「備える」ことに偏りがちですが、過去に起きたことから学び、教訓を生かすことも、大切だとあらためて感じた時間でした。

15年前から時を止めたままの中間貯蔵施設内

ホープツアーには、「フィールドパートナー」が同行し、見学先のアテンドに加え様々な問題提起をしてくれます。参加者自らが「考える」ということを大きな特徴にしている、ホープツアーならではの水先案内人です。

私たちの旅に伴走してくださったフィールドパートナーの小泉良空(みく)さんは大熊町出身の方。「状況は様々で、皆が同じ想いで同じ方向を向いている、というわけではありません」という言葉と、「でも、福島は幸せな場所です。たくさんの人が足を運んでくれて、一緒に考えることができるから」という言葉がとても印象に残っています。

1日目にまず案内してもらったのは、津波で大切なご家族を亡くし、伝承活動を続ける木村紀夫さんとの対話の場です。木村さんは原発から3キロの場所にある自宅が津波でさらわれ、行方が分からなくなった父と妻、次女を捜索している時に避難指示が出され、探しだすことができなくなってしまったと言います。

「自分の体験をシェアするので、みんなで考えてほしい」と、たくさんのお話と問いを頂きました。受け入れ先の決まらない最終処分場のこと。解体が進み、思い出の場所が姿を消していく大熊町の現状。震災から5年後に遺骨の一部が発見された次女のこと。原発事故がなかったら、もっと多くのいのちが救われたのではないかという、ぶつけどころのない疑問や憤り。電力の問題、社会の在り方の問題。参加者一同、木村さんのお話に、頭と心をいっぱいにしながら、その後向かったのは大熊町にある中間貯蔵施設です。15年前から時を止めたままの敷地内の建物と、汚染土入りフレコンバッグが積み上げられた風景に、今なお課題は山積みのままで、決して震災が「過去のこと」ではないと思い知らされました。

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後世に伝えたい記憶、震災遺構として残る小学校

2日目にまず訪れたのは浪江町の請戸地区です。高さ15.5mの津波被害にあい、2014年には災害危険区域に指定され、いまは住むことはできません。かつて多くの住宅があったとされるエリアは、見渡す限りの更地になっていました。

請戸地区のシンボルとなっているのが、浪江町立請戸小学校。震災遺構として整備・保存され、防災について考えるきっかけとして、また、後世へ伝承していくための施設として、2021年10月から一般公開されています。

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ドローンを活用した避難支援システム、新たな産業の芽生え

次に訪れたのは、総合コンクリートメーカーの會澤高圧コンクリートが浪江町に開設した研究開発型生産拠点 である「福島RDMセンター」です。浜通り地区に新たな産業基盤を構築することを目的に建設されたもので、ひび割れ内に水や酸素が侵入すると、配合された特殊バクテリアが活性化して、自らひび割れを修復する自己治癒コンクリートや、ドローンと衛星データを連携させた精密避難支援システムなどを開発していると言います。

「助かった後のいのちを救う仕組みづくりにも挑戦しています。コンクリートは、もともと、いのちを守るために生み出されたもの。コンクリートだけで対応できないのならテクノロジーを使って、新しい仕組みを生み出していきます」という、館内見学時に伺った説明に、この地で新しく芽生えている取り組みと、関わる人たちの想いを感じました。

その後、最後の対話の場をくださったのは、浪江町川添芸能保存会の会長の石沢孝行さん。明治40(1907)年ごろから続く川添神楽の保存会の会長で、伝統芸能を守る活動をする傍ら東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)で案内役も務めている方です。途切れてしまったものを結び直し、未来に繋げていこうとされている想いとはたらきに共感するとともに、一度ばらばらになってしまったコミュニティや地域の伝統行事などを再興・継承していく難しさなどの課題を感じた時間でした。

石沢さんとの対話の時間の後、参加者同士での対話と振り返りの時間があり、ツアーは終了しました。

百聞は一見に如かず、「自分事」として見えてきた福島浜通りのこと

15年前から続く、喪失の痛みや悲しみ。変わらずにそこにあり続ける問題。その一方で、15年という時が経ったからこそ、語れるようになった想いや新しく始まりつつあるもの。

浜通りには、過去と未来、いろいろな人の想いが交差する場がたくさんありました。

現地を訪れて一番大きかったのは、福島のことを「他人事」ではなく、同じ時代を生きる私たちみんなの問題であると再認識できたこと。いままでよりも強く「自分事」として感じられるようになったことです。浜通りで起きていることは、私たちの社会全体で起きていることの縮図なのだと思います。

地震、台風、豪雨、火山噴火など、自然災害が多い日本。南海トラフ地震のように、この数十年以内に起きると想定されているものもあります。過去に学び、少しでも被害が少なくなるように、考え行動していくことが、私たち一人ひとりに求められています。

いま自分が住まう場所がいつ「被災地」になるかは誰にもわかりません。被災地となった場所を訪れ、そこで起きていることや課題を知り、学ぶことは、自分たちの地域や未来を守ることに繋がっていくのではないでしょうか。

2026年4月1日から6月30日まで、JRグループと県・市町村・地元の観光事業者などが一体となって、各地域の魅力を発信する「ふくしまデスティネーションキャンペーン」も始まります。ぜひ、この機会に福島浜通りに足を運んで、出会って、感じて、考えてみませんか。

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<執筆者プロフィル>
水野佳
保健師 / オートキャンプ歴9年
学生時代にはバックパックを担いでフィールドワークや旅に出かけ、バングラデシュでの井戸掘りなども経験。旅やアウトドアでの知識や経験を防災活動に繋げる。産業保健師として企業勤務時に、救命講習やBCPなどの企画・運営にも関わった経験も持つ。

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