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恵比寿にあった屋台

  • 2026.1.21
恵比寿にあった屋台

大森克己 写真家

恵比寿にあった屋台

2026.01.21 illustration: Yoshifumi Takeda

いい酒場、記憶に残る酒場ってなんだろう。各界の一流が綴る、忘れられない酒と酒場の物語。第10回は写真家の大森克己さん。


1982年に大学入学のために上京し、その後フリーランスの写真家として仕事を始めて長い月日が流れた。その時間を東京で過ごす中で恵比寿という街にはなんやかんやと縁がある。東京都写真美術館では何度か展示する機会もあり、現在所属しているギャラリーMEMもあって、そういえば28歳の時に中南米を旅して撮影した作品で人生初の個展を開催したギャラリーも恵比寿にあった。


時々銀塩写真のプリントをお願いしているグレインハウスもフォートウエノも元気に営業を続けておられる。よく仕事を一緒にやるレタッチャーの事務所も恵比寿にある。

そもそも大学を中退した後、本格的に写真の道に進むことを決め就職したのがSUDIO EBISという撮影スタジオだったのだ。そういう訳で今でも恵比寿で酒を飲む機会はけっこう多い。

例えば「BAR TRENCH」のロジェリオの作ってくれるカクテルは最高にオシャレかつハードコアだし、ツンデレ接客が堪らない大山さんが注いでくれる「WALTZ」のワインもめちゃ美味い。ひとりで肉を食べたくなったら「縄のれん」でハイボールをやりながらハラミステーキや煮込みをガッツリ喰らう。友人とサッカーを見ながら「FOOTNIK」でビール飲むのも愉しい。


しかし、思い出に残る恵比寿の酒場といえばなんといっても屋台「由紀子」である。自分がそこで飲んでいたのはスタジオに勤めていた1986年から1987年ごろ、20代前半のこと。当時のJR恵比寿駅のホームは山手線の1番線と2番線の一つのプラットフォームだけで、高架橋を渡って東口の改札を下った辺りにその屋台はあった。

開店時間は深夜なので、翌日が休みの日、夜遅くまで働いた後に行くことが多かった。最高に可笑しいのは屋台の店であるにも関わらずその店には電話があった。女将のおゆきさんは近くの公衆電話の番号を客に教えて、その電話が鳴ると「はい、ゆきこです」と受話器を取っていたものだ。

屋台そのものは5、6人も座れば一杯になるのだが、みんなビールのケースを逆さに置いて勝手に椅子を作って和気藹々と過ごしていた。自分はスタジオの同僚たちと好きな写真や音楽の話や、最近気になったライティングの話、映画の話、恋愛の話、などなど尽きることなくおしゃべりしながら朝まで、時には昼まで飲んでいた。もちろん、スタジオで働く20代の小僧たちだけでなく、他の大人の客たちも沢山いる訳で、何を生業としているのか分からない不思議な人たちが吸い寄せられるように集まっていて、飲食店で偶然同席した知らない人と話す面白さを知ったのもこの店だった。


おゆきさんは山形出身の小柄で豊潤、かつ豪快な美人さんで料理の味も素晴らしかった。朝7時ごろ、改札口から降りてくるこれから出勤する人たちを尻目に、絶品のおでんやら、鯨のステーキやら、キーマカレーを食べながら延々と飲み続けているあの空気感をなんと形容すれば良いのだろう。自由と平等と博愛に満ちたあんな広場みたいな酒場に出会うことはもう無いのかもしれないなあ、と思う。

大森克己 写真家

おおもり・かつみ/1963年兵庫県生まれ。92年、『Good Trips, Bad Trips』でキヤノン写真新世紀展ロバート・フランク賞受賞。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』『Cherryblossoms』『サナヨラ』など。2022年にエッセイ集『山の音』(プレジデント社)を出版。

*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。

※20歳未満の者の飲酒は法律で禁止されています。

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