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いまも酒場に

  • 2026.1.7
小川哲のイラスト

小川 哲 作家

いまも酒場に

2026.01.07 illustration: Yoshifumi Takeda

いい酒場、記憶に残る酒場ってなんだろう。各界の一流が綴る、忘れられない酒と酒場の物語。第9回は作家の小川哲さん。


学生時代、下北沢の「12」というバーでバイトをしていた。酒場をバイト先に選んだのは、大学では出会うことのない人たちを知りたかったからだ。実際に、「12」にはいろんな職業の、いろんな年齢の人がやってきた。

そこで僕は数多くの酒飲みたちを見た。そのときに、年齢や職業に関係なく、「人間は二つの種類に分けることができる」と知った。「飲み会の途中で帰ることができる人間」と「飲み会の途中で帰ることができない人間」だ。

飲み会の参加者たちが大いに盛り上がり、互いの人生観などが開陳され、酔いも合わさって「私たちは今日、この場所で飲み会をするために生まれてきた」「ここで交わされている会話は世界の真実を解き明かしている」「この飲み会が永遠に続けばいいのに」などという錯覚が生まれる。そんな瞬間に「そろそろ終電なので」などと宣言するのが前者の人間だ。「今日は朝まで楽しもうよ」「まだ話し足りないよ」などという説得も丁重に断り、断固とした決意のもと帰宅する。

後者の人間は、前者の人間が帰ったあともダラダラと酒を飲み続ける。夜が深くなっていくにつれ、話題も減っていき、同じ話を何回も繰り返すようになる。さっきまでの多幸感が消え、何人かがイビキをかきはじめる。しかし、今さら帰ろうと思ってももう電車が動いていないので、仕方なく始発まで時間を潰すことになる。

僕自身は後者の人間だ。

終電前に帰る人、タクシーで帰る人、そんな人たちを数多く見送ってきた。飲み会の途中で帰ることのできない人間だけが残っていくので、最終的にはいつも同じメンバーになる。同じメンバーで同じような話をして、「途中で帰ったやつらは何もわかってない」などとどうしようもない会話をしたりしなかったりして、目をこすりながら帰路につく。翌日は夕方くらいまで寝て、「どうしていいタイミングで帰ることができなかったのか」と後悔する。


大学で博士課程に残ることを決めたとき、「大学もまた酒場なんだ」と思った。

学部で卒業して就職する──これは一次会で帰る人たちだ。

修士課程で卒業して就職する──これは二次会で終電前に帰る人たちだ。

博士課程まで残る──これは終電を逃し、始発まで酒場に残ることを決めた人たちだ。

酒場という非日常空間からどんどん人が帰っていく。修士課程は、一般企業に新卒で入社する最後のチャンス──いわば終電だ。博士課程には、飲み会を終えられない人たちが残っている。

僕にとって小説家として生きることは、酒場の中に残ることと似ている。今でも自分が、終わらない飲み会の中にいるような気がする。自分の日常と向き合うために酒場から去っていった人々に向けて、酔っぱらいの妄言を聴かせているような、そんな感覚を抱きながら、この原稿を書いている。

小川哲 作家

おがわ・さとし/1986年生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年『ユートロニカのこちら側』で作家デビュー。2018年『ゲームの王国』で山本周五郎賞、日本SF大賞、2022年『地図と拳』で直木賞、山田風太郎賞、2023年『君のクイズ』で日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞。近著に『火星の女王』など。

*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。

※20歳未満の者の飲酒は法律で禁止されています。

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