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脳は思い出すたびに記憶を書き換えている――なぜそんな余計なことを?

  • 2025.12.10
脳は思い出すたびに記憶を書き換えている――なぜそんな余計なことを?
脳は思い出すたびに記憶を書き換えている――なぜそんな余計なことを? / Credit:Canva

イギリスのイースト・アングリア大学(UEA)と米テキサス大学ダラス校の研究者がまとめた最新の研究レビューによると、記憶は写真やビデオのように過去そのままを再生するものではなく、呼び出すごとに現在の状況に合わせて再構成される即興作品のようなものであることが示されました。

また研究では新たに作られた即興作品が再び記憶されることで、記憶が徐々に書き換わる仕組みも解説されています。

しかしそのような不正確化は記憶を劣化させ正確性を損ないます。

では、なぜ私たちの脳は、あえて記憶をそのつど書き換えるような、理不尽な仕組みを採用しているのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年10月11日に『Neuroscience & Biobehavioral Reviews』で公開されました。

目次

  • 私たちが「記憶」と思っているものは「今」作られた即興品
  • 海馬の「脚本」と新皮質の「即興演出」が思い出の最新作を作り続ける
  • なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか?

私たちが「記憶」と思っているものは「今」作られた即興品

私たちが「記憶」と思っているものは「今」作られた即興品
私たちが「記憶」と思っているものは「今」作られた即興品 / Credit:川勝康弘

一度覚えた思い出は脳の中に写真アルバムのように保管され、開けばいつでも同じ光景が蘇る──そんなふうに考えてしまいがちではないでしょうか。

しかし現実の記憶は必ずしも鮮明な写真のようではなく、しばしば断片的で抽象化された断片にすぎないことが知られています。

心理学者ロフタス博士の研究など、誤った情報が入り込むと人は実際になかった出来事さえ「記憶した」と思い込むケースがあることが示されています。

このように記憶は当初から不完全なのですが、最新の研究ではさらに踏み込んで「記憶は思い出すたびに組み立て直されている」という考え方が提唱されています。

実は、記憶はアルバムというより「記憶の骨格」あるいは「映画の脚本」に近いのだとたとえることもできます。

私たちが自分の記憶を完全だと錯覚してしまうのは、新皮質(大脳の表面にある高次機能を担う領域)がその“骨格”をもとに演出を加え、本物さながらに感じさせてしまうことがあるからだと考えられます。

ところが私たちは普段、自分の記憶が改変されているなどと夢にも思いません。

かつて心理学者バートレットは、人が自身の体験を語るとき都合よく話をつくり変えてしまうことを指摘しましたが、それを私たちは自覚できません。

それほどに脳の“演出”は巧みであり、私たちは記憶をあたかも事実そのものだと信じてしまうのです。

ですが積み重ねられた研究結果は、私たちの頭に浮かぶ「思い出」という記憶表象は、過去の出来事の完全な再演ではなく、その場その場で再構成された即興の生配信であることを示しています。

問題は、その演出が「思い出した瞬間」に即興で行われるがゆえに、どうしても今の気分や知識など現在の状況に影響されて不正確になってしまう点です。

ですがそれで終わりではありません。

演出された記憶は再び海馬(長期記憶の中継を担う脳の部位)に保存し直されることがあるのです。

つまり、思い出すたびに記憶内容がその時の自分に合わせて少しずつ書き換わっていくという現象が起こります。

ではなぜ脳はそんな面倒なこと(毎回記憶を作り直すこと)をしているのでしょうか?

そして本当に、思い出すたびに大切な記憶が少しずつ変質してしまうのでしょうか?

次ページではここで説明した概略をより詳しく、解説していきたいと思います。

(※詳しい解説よりも、なぜ脳が記憶を作り直す仕組みがあるかだけを知りたい人は最後のページの「コラム:なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか?」に飛んで下さい)

海馬の「脚本」と新皮質の「即興演出」が思い出の最新作を作り続ける

海馬の「脚本」と新皮質の「即興演出」が思い出の最新作を作り続ける
海馬の「脚本」と新皮質の「即興演出」が思い出の最新作を作り続ける / Credit:Canva

なぜ記憶は元から書き換わる仕組みを内包しているのか?

研究チームは、まず記憶とそれが思い出されるメカニズムを整理しました。

記憶を呼び出すとき、まず海馬に蓄えられた記憶痕跡(過去の体験の記録の「骨格」)が呼び起こされます。

海馬は脳内の情報ハブのような役割を果たしており、体験時に活動していた大脳新皮質のパターンを指し示す索引のような働きをします(つまり脚本の指示書に相当します)。

こうした海馬の記憶痕跡の正体として、近年の研究ではエングラム細胞という考え方が広く用いられています。

エングラム細胞とは、ある出来事を学習したときに特に強く活動し、その後その出来事を思い出すときにもう一度活性化されるニューロンの集団のことで、「この細胞たちがまとめて動くと、その記憶が立ち上がる」記憶の骨格をしまい込んだスイッチのような存在だと考えられています。

たとえば「特定の場所(自宅など)」や「ある物体(リンゴなど)」にだけ強く反応するエングラム細胞があり、それらの細胞がその記憶を支えています。

このように、海馬には「どの細胞集団がどの記憶の骨格を表すか」というエングラムの割り当てがあり、特定の出来事を思い出すときには、そのときのエングラム細胞の一部が優先的に再び火を吹きます。

その結果、脳内では「ある記憶の骨格を表すエングラム集団」が先にオンになります。

しかしここでオンになるのは「記憶の骨格部分」の情報に過ぎません。

私たちが過去の思い出を回想するときには、色鮮やかな景色や感情の流れが浮かび上がりますが、エングラム細胞だけにはそのような豪華な演出部分の情報はありません。

映画でたとえならばエングラム細胞に記されている情報は「いつ、どこで、誰が」といった「映画脚本」程度の情報に過ぎないからです。

では足りない部分はどうなるのでしょうか?

その答えは大脳の新皮質です。

先にも述べたように、海馬が引き出した断片的な過去情報に対し、新皮質は自分の持つ一般的な知識や先に蓄えた概念、現在の状況に関する情報などを総動員して、いわばその場で即興演出を加えて記憶として意識に向けて生配信するわけです。

(※子供の頃の誕生日シーンを詳細に思い出したとして、もしケーキのクリームの質感や蠟燭の火のゆらめき、空気感までイメージできるとしたら、その部分はおそらくその場でつくられたものです。)

さらに重要なのは、この再現された記憶が再び保存され直すという点です。

こうした想起→再保存のサイクルが繰り返されると、オリジナルの体験から現在の記憶痕跡へと因果の鎖が何重にも連なっていくことになります。

特に何年も前の古い記憶ほどこの「積み重ね効果」が大きく、現在取り出せる記憶は当初の出来事から大きく変容している可能性があります。

ここまで読んでくると、「本当にそんなふうに記憶を書き換えられるのか?」と気になる人も多いと思います。

じつは、記憶が「思い出されたときに一時的にゆるむ」という性質(再固定化)を利用して、人間の記憶の一部を意図的に変化させる実験がいくつも報告されています。

たとえば人間では、「怖い記憶に結びついた恐怖反応が弱まったと報告された実験」があります。

怖い画像と弱い電気ショックをセットで経験してもらうと、その画像を見るだけで体が電気ショックを予測してビクッと反応するようになります。

そのあとで、画像を一度見せて電気ショックの恐怖記憶をわざと呼び起こす前に、落ち着く薬(緊張したときに出るアドレナリンの働きを弱めて、心臓のドキドキをしずめる薬)を飲んでもらいました。

つまり恐怖を感じるはずのタイミングで落ち着くという記憶を持ってもらったのです。

すると同じ画像を見ても身体の“ビクッ”という強い恐怖反応は大きく弱まっていました。

この操作は、体が勝手にすくんでしまうような恐怖反応の記憶を「落ち着く薬」で弱めたと考えられます。

またある研究では、もともと「おいしそう」「好印象」と感じられている飲み物や食べ物の情報を、不快な体験(たとえば嫌な画像など)と組み合わせて見せることで、「見た目は同じなのに、なんとなく前より好きではなくなる」という変化を起こす研究もあります。

好きなものが目の前にある「今」の状況で不快な体験をすることで、好きなものの情報や記憶が編集されて「あまり好きではない」と記憶され直してしまったのです。

またMRIを使用した実験では、「特定の顔への好意」を上下させた研究があります。

まず被験者の脳を分析して「好ましい顔を見ているときのパターン」や「嫌いな顔を見ているときのパターン」を調べます。

次にある人物の写真を見ている被験者に報酬を与えるなどの刺激を与え、事前に調べた「好ましい顔を見ているときのパターン」や「嫌いな顔を見ているときのパターン」にMRI内部の被験者の脳活動を近づける実験が行われました。

すると被験者が顔写真に感じていた好ましさ評価を上げたり下げたり変化させられる可能性が示されました。

これも外部からの干渉とセットで、写真の人物に対する好感度の記憶が変化してしまったことを示しています。

動物実験では、さらにSF的なレベルでの操作も試されています。

マウスの海馬の中で、ある場所にいたときに働いた細胞の集団だけに「目印」をつけ、あとでその細胞を人工的に活性化しながら別の場所でショックを与えると、本来は何も嫌なことが起きていないその場所をマウスが怖がるようになってしまうのです。

まるで「この部屋でひどいことがあった」という偽の思い出を埋め込んだかのような結果です。

これらの研究結果もまた、私たちの脳内にある記憶は、思い出している「今」の影響を受けて変わってしまうことを意味しています。

なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか?

なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか?
なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか? / Credit:Canva

今回の研究により、私たちの記憶は想起のたびに再構成されて更新される可能性のある動的なものであることが示唆されました。

ルノー教授は「この研究により、記憶が必ずしも正確でない理由や、それが時間・文脈・想像力によってどのように影響を受けるのかが理解する助けになります」と述べています。

言い換えれば、記憶とは過去と現在をつなぐ生きたプロセスであり、私たちが感じる「鮮明な思い出」ですら脳内で少しずつ編集されているということです。

コラム:なぜ脳はわざわざ記憶を書き換える仕組みを持っているのか?
「記憶が毎回書き換わるなんて、不利でしかないのでは?」
この疑問はとてもまっとうです。もし本当に、カメラのように過去をそのまま残しておけるなら、そのほうがテストにも有利ですし、裁判の証言も正確になりそうです。では、なぜ脳はあえて「不確かさ」を抱えた記憶システムを採用しているのでしょうか。
1つ目の理由は、「細部まで完全に覚える」ことにはコストがかかりすぎるから、という考えです。脳は無限の容量を持っているわけではありません。毎日の出来事を、音声も映像も匂いも全部そっくり保存し続けようとしたら、情報の整理や更新にとても大きなエネルギーが必要になります。そこで脳は、「その出来事が自分にとって何を意味したのか」「どんなパターンだったのか」といった骨組みを中心に残し、細かい部分は必要なときに推測で補う、というやり方を選んでいると考えられます。
2つ目の理由は、「細かいところより意味や概念を残す」ほうが後々に有利になる、という考えです。これは一見「不正確になっている」ようでいて、実は世界をきりよくまとめる圧縮処理でもあります。個々の場面の全ピクセルを保存し続けるより、「こういう状況ではだいたいこうなる」「あの人はこういうタイプだ」といった一般化された知識を増やしたほうが、将来の判断に役立つからです。
そのため海馬が「出来事の骨格」を保管しつつ、思い出すときには細部は大脳皮質の推論で埋める仕組みを選んだと考えられます。たとえるなら、脚本のあらすじや登場人物リストだけが残っていて、本番では俳優にあたる新皮質が、その都度細かいセリフや表情を即興で演じているような方式です。完璧に細部まで覚えている記憶よりも、別の新しい状況に利用しやすいように細部を切り捨て、要点だけを海馬に濃縮して残したほうが、生き延びるためには役立ちやすいと考えられます。
脳が必要としているのは「生き延びるための道具としての記憶」であって、「証拠保管庫としての記憶」ではないとも言えます。
3つ目の理由は、「未来を想像する力」との関係です。「記憶を書き換えることが、知識を育てることにもつながっている」という考え方は、いくつかの理論で支持されています。多重トレース理論などでは、古いエピソード記憶が何度も思い出されるうちに、だんだんと意味記憶、つまり事実やルールの知識の側に変身していくと考えられます。たとえば、「小学生のとき算数でこう解いた」「中学生のときも同じパターンだった」という個別の経験が積み重なると、「こういうときは分数に直して考えるといい」という一般的なコツが身につきます。完全に正確な映像記録のままでは、いつまでも小学校の解き方と中学校の解き方が並んだままで、それらをまとめて「一般的なコツ」という形にするのが難しくなります。
さらに最近の研究では、「記憶を柔らかくしておくことが創造性や問題解決にもプラスに働いている」という報告も出てきています。エピソード記憶を呼び出すときに、過去のばらばらな要素を組み合わせ直すプロセスは、違うアイデアを組み合わせて新しいひらめきを生み出す「発散的思考」や、問題を解決するためのステップを考える力を支えていると考えられています。逆に、すべての記憶が硬直して一切変わらない世界では、「別の組み合わせ」を発想する余地がなくなり、柔軟な思考が難しくなってしまうかもしれません。
最後に、「不確かさ」そのものが、じつは世界の不確かさに合っている、という考え方もあります。現実の世界は、どこまでもあいまいで、例外だらけで、将来は予測しきれません。そんな世界の中で、完全に固定された記憶だけを頼りに一直線に行動し続けるのは、むしろ危険な場合もあります。記憶が書き換わるということは、「世界が変われば、自分の理解も変えられる」という柔軟性を持つ、ということでもあります。テストで点を取る、という短い時間スケールだけで見ると不利に見えるこの仕組みも、長い進化のスパンで見れば、「多少あいまいでも更新可能な記憶」を持つ脳のほうが、生き残りには有利だったのかもしれません。

これは記憶研究の分野で長年議論されてきた「想起による記憶変容」を包括的に整理するものであり、学術的にも大きな意味を持つ整理(枠組みの提案)だと言えるでしょう。

この知見が社会にもたらす影響は小さくないかもしれません。

まずメンタルヘルスの分野では、辛い記憶を思い出しながら新しい安心できる情報を組み合わせることで、トラウマ体験の記憶を変化させて症状を和らげる可能性を探る治療法(例えばPTSD治療)への応用が研究段階で期待されています。

実際、近年の研究ではこの「再想起による書き換え」現象を利用して、マウスの嫌な記憶の感じ方が変わったり、人間の恐怖記憶に結びついた恐怖反応が弱まったと報告される研究もあります。

法律の分野では、目撃証言の信頼性を評価する際に記憶の可塑性を考慮する必要性が高まるかもしれません。

人の証言は「事実の録画テープ」ではなく、その都度再構成された物語である可能性があるためです。

裁判においても時間の経過や尋問の仕方によって証言内容が変質し得ることを念頭に置き、慎重に判断することが重要だと示唆されます。

研究チームも今回示した枠組みが未解決の問題に新たな光を当て、今後の研究の刺激になることを期待しているとコメントしており、このレビュー自体が記憶研究の次なる展開に火をつけることが期待されています。

もしかすると将来、私たちは意図的に自分の記憶を書き換えて嫌な記憶を和らげたり、過去の体験を都合よく作り変えたりできる時代が来るかもしれません。

元論文

The cognitive neuroscience of memory representations
https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2025.106417

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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