1. トップ
  2. エンタメ
  3. 山崎円城さん表現の点を結ぶ生き方

山崎円城さん表現の点を結ぶ生き方

  • 2025.7.31

山崎円城さんに出会って初めて「インタープレイ」という言葉を知った。主にジャズの音楽用語で、演奏者同士が互いの音に影響し合いながら即興で演奏することを指す。

この春、円城さんのバンドF.I.B JOURNALのライブに初めて行った。ポエトリージャズと聞いても、音楽にめっぽう疎い私には、まったく心構えがなかった。キーボード、ジャズベース、ドラムそれぞれが音を重ね始め、そこに円城さんが言葉をのせる。低く深い声なのだが、重く篭ることなくこちらに届き、言葉がじわじわと胸に沁みていく。

終演後、その驚きを伝えたら、「インタープレイだからですよ」と円城さんは言った。
「ジャズのフォーマットを使い、会話をするようにメンバーが奏でる音を聞きながら言葉を発しているから」と。
互いに理解し合いながら会話する時の「わかる」という心地を私は思い出した。

円城さんの音楽家としての人生は、詩を書くことから始まった。
「川崎の南部出身なんですが、10代の頃、工業廃水にのみ込まれて友人が亡くなったんです。そのことがきっかけで詩を書き始めた。生きるって、死ぬってどういうことかと。世の中の不条理に対して、いちばん最初に持てる武器は言葉だった」
その詩や言葉を公共の壁に、タギングやグラフィティの手法で表現したという。

「もちろん怒られましたよ(笑)。でもノートに書くだけでは、言葉が乾いていく感覚があったんです。家にあったオルガンを鳴らしながら言葉をのせてテープに吹き込むことも始めて。それを大学時代の同期で、すでにデビューしていたリトル・クリーチャーズに聞いてもらったら『面白い』って言ってくれた。そこが今に続く道をひらいたんです」。

今でこそポエトリーラップが聞かれるようになったが、ずっと前に円城さんはポエトリージャズを発明していた。1996年にデビューし、現在も続くバンドF.I.B JOURNALも結成。タギングの表現も評価され、アパレルブランドやCDジャケットなどのアートワークも手がけるようになった。

そんな歩みを知らず、私が円城さんを知ったのは3年前、カリグラフィー作家としての個展だった。
ガラス瓶、鏡、家具―国内外の古物を支持体に、工事用のペンとマッキーとスプレーを使って言葉がループするように描き連ねられている。写経のような均一さの中に、大胆にスプレーする破壊的なエネルギーもあり、ここに辿り着くまでのヒリヒリとした孤独な時間を想像した。

「制作のきっかけはギャラリー『galerie a』の秋吉伸彦さんとの出会い。俺の初期のタギングを見ていてくれたみたいで、国内外の古物を生かした作品制作の相談があったんです。秋吉さんとの関係はバンドに似ていて。彼がトラックメーカーという立ち位置で古物を用意して、俺はそれに対してスポークンワードする。つまりインタープレイなんです」

私は円城さんの個展で古いランプに言葉が描かれた作品を選んだ。
Sense of beauty is the simple thing. ―美しいと、感じる心は、とてもシンプルだ。―
自分に必要な言葉で、ランプを灯すように持っていたいと思ったのだった。

「作品を選んでくれる人にとっては、部屋に置く作品であり言葉。自分へのメッセージと受け取って作品を選ぶんですよね。だからこそ古物を見て、スポークンワードするんです」

今ではアーティストとして、エキシビションや巡回展の依頼なども舞い込み、「こんな人生プランなかったですよ」と円城さんは笑った。
そして「歳をとったってことでしょうね」と続けた。

「人に判断を委ねることをむしろいい選択として思えるようになった。自分と自分の言葉を見てくれる人たちが言うんだからやってみるかって。そしたら今になった」

言葉も音も人も、常に揺らぎ、交わりながら更新を続けていくのかもしれない。円城さんのインタープレイのように。そこで交わされるやりとりの中で信頼の選択をし、目の前の存在を受け入れ、応答する。
そうして人生はきっと、深く息づいていく。

元記事で読む
の記事をもっとみる