1. トップ
  2. カルチャー・教養
  3. 「ブラッサム」では描かれない「初恋」のその後…失恋で朝鮮に行った宇野千代が同僚教師へ買った"恐怖の土産"

「ブラッサム」では描かれない「初恋」のその後…失恋で朝鮮に行った宇野千代が同僚教師へ買った"恐怖の土産"

  • 2026.10.21

NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」では、作家・宇野千代をモデルとした主人公・珠と同僚教師(島村)の恋愛が描かれた。ライターの栗下直也さんは「宇野の自伝や評伝によると、彼女は失恋の後に日本統治下のソウルに向かった。意図的に男と距離を置いたのだが、それでも宇野は同僚教師を忘れることはできなかった」という――。

宇野千代(1972年4月16日、神奈川県鎌倉市の東慶寺、田村俊子賞授賞式)
宇野千代(1972年4月16日、神奈川県鎌倉市の東慶寺、田村俊子賞授賞式)
宇野千代と包丁の切っても切れない関係

大正5(1916)年の夏、朝鮮からの連絡船が下関に着いたのは昼だった。山陽線の汽車まで、まだ時間がある。18歳の宇野千代は街を歩き、大きな店に入った。昼間だというのに、店じゅうに電気がついている。金物店だった。

鋸、ナイフ、包丁。はるばる朝鮮から帰ってきたのに、土産が何ひとつない。千代は、小さな出刃包丁を買うことにした。実家には、よい包丁がなかったからだ。

「これを買って帰ったら、母はどんなに喜ぶことか。」

紙袋に包んでもらった包丁を、帯の間に挟んで店を出た。自伝『生きて行く私』にある場面だ。

朝ドラ『ブラッサム』第4週(11月19日~23日)の珠は、男の家で包丁を振り回したなどとうわさされ、行く先々で仕事を断られる。モデルとなった作家・宇野千代も包丁を帯に挟んだまま、恋の相手に会いに行く。その包丁がこの土産だった。

もう私に手紙を出さないでください

千代が朝鮮へ渡ったのは、この年の春である。1915年(大正4年)3月末、郷里・山口の小学校で、代用教員の職を失っている。同僚の教員、玉田精磨(自伝では「佐伯」の仮名、ドラマでは工藤阿須加演じる「島村辰彦」)との恋愛が、村じゅうに知れわたったからだ。

自伝によれば、このとき考えたのは、遠くへ行くことだった。

「人の噂を避けるために、どこか遠いところへ行かなければならぬ。」

自分が遠くへ去れば、男はうわさから解放される。行き先は、当時日本の統治下にあった朝鮮の京城(現在のソウル)に決めた。女学校時代に目をかけてくれた国語の教師が、そこの女学校に勤めていた。

京城では、その教師の世話で、雑誌『朝鮮及満洲』を手がける出版社の社長の家に仕事を得た。2人の子どもの勉強を見るのが仕事で、時間はたっぷりある。千代は毎夜のように、別れてきた男へ長い手紙を書いた。返事は、ごくたまにしか来なかった。

ある雨の朝、その男から分厚い手紙が届く。封筒の裏に住所はなく、名前だけが書いてあった。

「私もまた、罰をうけたのです。」

罰を受けたのは自分ひとりだと、千代は思っていた。だが男も、山奥の村の学校へ転任させられていた。手紙は続く。これを最後に、自分は一枚のハガキも出さない。あなたからの手紙も、一通も受け取れない。

「私を助けると思って、手紙は出さないで下さい。もう一度、同じことが起きると、私は破滅します」

実家ではなく男の家に直行する

千代が凄いのは真逆のことを考えたところだ。すぐに発って男に会い、これからどう生きていけばいいのか、よく話し合おう。そう思った瞬間に、荷物をまとめた。社長の夫人と国語の教師には、母が急病だと嘘をついた。京城に来て、まだ半年とたっていなかった。

夜行列車と連絡船を乗り継いで、下関に着いた。金物店に寄ったのは、このときである。包丁を帯に挟んだ千代は、山陽線で岩国に着いた。川西の実家へは向かわない。駅からそのまま、男が千代とのいざこざの後に転任した村への道に出た。行ったことはないが、川に沿ってどこまでも歩けば、六里(約24キロ)か七里(約28キロ)先にその村はあるはずだった。

「この道をどこまでも行きさえしたら、佐伯に会える。そう思うと、私の足は軽かった。」

その夜のことは、千代の自伝に詳しい。ただし評伝は、彼女の記述を信じるほかに真相を確かめる術はないと記している。

村に着くと、小学校の小使い(いまの用務員)が、男の住む寺の離れまで案内してくれた。障子に灯がついている。千代は縁側に駆け寄り、名乗った。障子が開いた。

「ああた、どうして、どうしてお戻りんされたのじゃ。」

竹の格子窓から見える庭
※写真はイメージです
「あ、短刀じゃな」

男が気にしたのは人目だった。ここへ来る道で、誰かに会わなかったか。学校の小使いに会っただけだと千代が答えると、男は声を上げた。

「小使いにお会いんされたら、もう不可ん。明日は村中に、ああたの話が拡がる。」

男は庭へ飛び下り、千代を力いっぱい突き飛ばした。もう一度突き飛ばされた弾みに、帯の間の包丁が紙包みから抜け、草むらに落ちる。おぼろな月明かりに、それが光った。

「あ、短刀じゃな」

男は包丁を拾い上げた。こんなもので脅すつもりか。そう言って、遠くの竹藪へ投げつけた。

母への土産だと話しても、信じてはもらえまい。そう思った瞬間、千代は自分自身を疑った。

「ひょっとしたらこの庖丁は、母への土産物なぞではなく、あの下関の店で買った瞬間に、いま、男の口から聞いたように、男を脅す積もりで、それで、こんな、誰の眼にもつき易い、帯の間なぞに挟んで来たのではなかったか。」

男は「いまからなら、朝までには実家に帰れる」と言い残して部屋へ駆け上がり、雨戸をぴしゃりと閉めた。

暴れた父の面影が浮かぶ

千代は庭の冷たい土の上に、いつまでも座っていた。

「人には信じられないことかも知れないが、私は泣かなかった。」

閉まった雨戸を、もう一度叩こうともしなかった。やがて起き上がると、両手で着物の土を払い、実家へ向かってゆっくり歩き出した。

引き下がったわけを、千代は父に結びつけている。亡くなった父の命令には、どんなに不条理でも従ってきた。その習慣がまだ残っていて、男が別れを望むなら従うほかないと思えたという。金物店で包丁を帯に挟んだ瞬間に思い出したのも、かつて出刃包丁を振り回して叫んだ父の姿だった。

80代半ばでこの自伝を書いた千代は、同じように失恋した人に向けて、こう言い添えている。

「私のした通りにして下さい。決して、もう一度、雨戸を叩いたりして、男を呼んだりはしないで下さい」

母についた「真っ赤な嘘」

実家に着いたのは、朝だった。弟妹たちが学校へ出かける時刻で、あけ放した障子の向こうから、にぎやかな声がする。「お母、いま、朝鮮から戻って来たでよ」。そう声をかけたとき、初めて涙があふれたという。

だが畳に座るなり、千代は別の話を始める。『朝鮮及満洲』を、岩国のあたりでも広められないかと思って帰ってきたというのだ。男のことで戻ったと言えば、母は心配する。母の喜びそうなことを言わなければと、帰る道々考えてきた言い繕いだった。

「これは真っ赫な嘘であったが、また、ほんとうでもあった。」

嘘だったのは、帰ってきた理由のほうである。雑誌の仕事そのものは、作り話ではなかった。評伝によれば、千代は京城にいたころから雑誌の販売に興味を持ち、戸別訪問で予約を取る仕事もしていた。社長に手紙を出して、購読の申込書を送ってもらえばいい。申込書に購読料を添えて京城へ送れば、その3割が手数料として手元に届く。

京城府の鍾路
京城府の鍾路(写真=国書刊行会『目でみる昔日の朝鮮』より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

母が喜ぶと思うと、仕事の準備にも張り切った。そんな自分を、千代はこう書いている。

「この私のどこにも、朝鮮から男を追いかけて帰って来て、帯の間に出刃庖丁を隠し持って、庭の土の上に突き飛ばされた娘、と言う印象のなかったのは、不思議であった。」

うわさの的は“歓待”された

知恵を出したのは、中学2年の弟・薫である。父の実家にあたる高森の宇野本家へ申込書を持って行き、分家を紹介してもらう。そうすれば、一度に10枚でも20枚でも申し込みが取れる。千代は早速、出かけていった。

ちょうどそのころ、本家にはうわさが届いていた。千代が小学校の職を失い、朝鮮へ渡ったという話である。当の千代は、自分がうわさの的であることを忘れている。平気で申込書を差し出した。

「私に対する人々の好奇心が強ければ強いほど、私は歓待され、容易に目的を達することが出来た、ように見えたのであった。」

ドラマの珠は、うわさのせいで働き口を断られ続ける。自伝の千代は、うわさを聞いた人々の好奇心に迎えられた。評伝によれば、本家の伯父は親類への紹介状まで書いているというから驚きだ。

収入は少しずつ入ってきた。家に、久しぶりのにぎやかな笑い声が戻る。ある夕方、千代は弟妹を連れて、河原の屋台へ氷を食べに出かけた。懐には、わずかだが金がある。弟妹がねだるのは、甘く煮た小豆に氷を山盛りにして、赤い砂糖水をかけた金時だ。氷のなかで、いちばん値の張るものだった。弟妹たちは、姉の懐に金があるのを知っていてせがむのだ。そう思うと何とも言えず幸せだった、と千代は書く。大きな声で頼んだ。

「金時を六つ。おばさん、金時を六つでよ」

嫁いだ家のことはもう忘れていた

そこへ声がかかった。女学生のころ、10日ほどだけ嫁いだ家の伯母である。その家に嫁いだことなど、千代のほうは、とうに忘れていた。

「ああたらも金時かいの、そいじゃ、こっちも金時じゃ。おばさん、金時を八つ。銭は一緒にわしが払うけえのう」

伯母の腰掛けには、学生帽の若者が座っていた。かつての夫の弟、藤村忠である。ドラマの保(ドラマでは演・金子大地)と同じく、京都の第三高等学校(三高)に通っていた。

実際、金時八つ分は、伯母が払った。家に帰ってから、妹の薫が言った。

「銭を一緒にあっちで払うたけえ、姉さまの銭が減らんで宜かったのう」

子どもたちは一緒になって笑った。包丁を帯に挟んで山道を歩いた夜と、同じ夏のことである。

【参考文献】刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版新書)、宇野千代『生きて行く私』(角川文庫)

栗下 直也(くりした・なおや)
ライター
1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ