1. トップ
  2. 「朝焼けは雨」を本当に天気予報に?全国で札幌が3番目 気象観測開始150年の歴史と変化

「朝焼けは雨」を本当に天気予報に?全国で札幌が3番目 気象観測開始150年の歴史と変化

  • 2026.9.19

札幌で気象観測が始まってから2026年の9月1日でちょうど150年を迎えました。
観測が始まったのは1876年(明治9年)。
札幌の気象観測は、気象官署として函館、東京に次いで全国で3番目に始まり、実はとても長い歴史があります。

今では気温や降水量などは自動で観測され、私たちはテレビやスマートフォンなどでいつでも天気予報を確認できます。

しかし、観測が始まった当初は、職員が1日3回、温度計などの観測機器を読み取り、実際に空を見ながら天気を一つ一つ記録していました。
天気予報の伝え方も、掲示板や旗などアナログの時代からインターネットなどデジタルの時代へ。

この150年間で、天気の「測り方」や「知り方」はどのように変わってきたでしょうか。

北海道の歴史と共に歩んできた気象観測と天気予報の移り変わりを、HBCウェザーセンターの気象予報士・篠田勇弥とともに振り返りましょう。

Sitakke

連載「気象予報士コラム・お天気を味方に」

気象観測の始まりはアメリカ人の先生!?

Sitakke
気象庁ホームページより

札幌での気象観測はアメリカ人教師「ウィリアム・ホイラー」によって始まりました。
札幌農学校(現・北海道大学)の教授として25歳の若さで赴任してきたホイラーは、土木工学などを教えながら農業と気象の関係について研究を始め、その一環として気象観測を始めました。

このようにして1876年、気象官署としては函館(1872年)、東京(1875年)に次いで全国で3番目になる本格的な気象観測が始まったのです。

気象庁にはホイラーが気象観測を始めた1876年9月からのデータが残っています。

天気の観測は「人」の仕事だった

Sitakke
1879年の気象観測原簿(札幌管区気象台提供)

観測が始まった当時から気温や気圧、風向・風速、雨量など、さまざまな気象要素が記録されていました。
気象観測が始まった当初は1日3回の観測で、人が観測機器を確認し、一つ一つ記録していました。

1879年の気象観測原簿(札幌管区気象台提供)をみると、大切に保管されてきたことがわかります。
当時は午前7時、午後2時、午後9時に観測を行っていたようです。

北海道の天気予報について

Sitakke
1877年の気象台(札幌管区気象台提供)

北海道の天気予報の始まりは、1888年(明治21年)。
はじめは、東京気象台が予想した天気予報が北海道に伝えられていました。

ただ、当時の予報は青森県(陸奥)から北海道全域に対して一つの予報を出していました。予測精度もあまりよくはなかったようです。

少し時は進み、1892年(明治25年)。地方の気象台でも予報業務を行うことができるようになったことで、札幌独自の天気予報が始まりました。

明治の時代は天気図もまともになく、伝わる情報は東京からの短い予報の電文や観測した気温や気圧などの数値のみ。
そこで「朝焼けは雨」「夕虹は晴れ」のような天気に関することわざなども使って、予報を作成していたようです。

人の手からシステムへ

Sitakke
アメダス(札幌管区気象台提供)

そんな人の手によって行われていた気象観測を大きく変えたのは、1974年に運用を開始した「アメダス(AMeDAS※)」です。
※地域気象観測システム「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略

柵の中に、気温計や雨量計、風速計などの観測機器や通信設備が設置されています。

全国各地に設置されたアメダスによって、気温や降水量などの観測を人の手を使わず自動で行うことができるようになり、機械が休むことなく記録する時代に変わっていきました。

さらに、天気を見るのは地上だけではなくなります。

Sitakke
初代気象衛星「ひまわり」の運用開始画像 1978年4月6日午前9時(気象庁提供)

1977年には、静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げられ、宇宙からも空の様子が分かるようになりました。
現在は「ひまわり9号」が日本の空を観測しています。

風を知るために旗を見上げた

Sitakke
天気予報を伝えるための予報旗(札幌管区気象台提供)

札幌では天気予報が始まるより前に、「暴風」に警戒を呼びかける取り組みが始まっていました。
1880年(明治13年)2月27日、開拓使札幌本庁は「暴風信号柱」の設立を公示しました。

暴風信号柱で警戒を呼び掛ける基準ははじめ、明確にはなかったようです。
制度が始まった当初は天気を観測していた人が暴風雨の兆しがあると判断した時に旗や灯りなどを掲げていましたが、のちに東京気象台から出される暴風警報の電報を受け取り、必要に応じて出す形に変わったようです。

当時、春先の北海道には、ニシン漁のために道外からたくさんの人が船で訪れていました。
ただ、この時期は暴風の吹くことが多く、暴風の兆候を知らせる必要があったのです。

知らせる方法はシンプルで、遠くからでも見える高い柱に旗や球を掲げ、夜には灯りを使って暴風の兆しを知らせていました。

こうした暴風を知らせる取り組みは、札幌が全国に先駆けて最初に行っていました。

時代が進み、天気予報が身近に

Sitakke
掲示板で天気を確認する人(札幌管区気象台提供)掲示板をよく見ると「北又ハ西ノ風 晴」の文字が見えます

少し時代は進み、札幌で正式に天気予報の発表が始まったのは1892年(明治25年)8月1日でした。

当時は道庁の正門前に設置された掲示板や新聞への掲載で予報を知らせていたほか、道庁の塔の上に旗を掲げることで、離れた場所からでも天気予報を知ることができたようです。

ちなみに、1898年(明治31年)4月10日の天気予報はこちら。

「北西方ノ風 雨又ハ雪」

とてもシンプルなものだったようです。

そして昭和に入ると天気予報は身近なものになっていきます。

1928年(昭和3年)にはラジオ、1957年(昭和32年)からはテレビによる天気予報がスタートしました。
ちなみに、HBCでは民放他局に先駆けて同年4月1日から天気予報の放送を開始しています。

また、昭和の時代、天気を知る方法はラジオやテレビ、新聞だけではありませんでした。
1955年(昭和30年)には電話による天気予報サービスを開始し、70年もの長い間「177」の番号で親しまれました(2025年にサービス終了)。

そして、平成から令和にかけては、インターネットの普及とともに、いつでも簡単に天気予報を確認できる時代へと変わっていきました。

150年目、初冠雪の観測も変わる

Sitakke

このように、150年間で天気の「観測」や「知る」方法は時代とともに大きく変わっていきました。そして現在も、この変化は続いています。

気象観測が始まった当初から目視による観測が続いた「初雪」は2020年から自動観測に切り替わりました。
そして、職員が実際に山を見て確認していた「初冠雪」も今年から解析積雪深などのデータをもとに観測されることになりました。

技術の進歩によって、人の目が必要と思われていたものまで新しい方法に変わるのは、時代の移り変わりを感じさせます。

変わるものと変わらないもの

人が観測機器を読み取り、一つ一つ手で記録を残していた時代から、機械が自動的に観測する時代へ。
そして、掲示板や道庁の塔に掲げられた旗で知っていた天気予報も、今ではテレビやスマートフォンなどでいつでも確認できるようになりました。

Sitakke

150年でたくさんのことが変わりましたが、こうして記事を書いてみると、変わらないものもあると感じました。

1876年に気象観測を始めたホイラーは「気象観測は、農業の試験を行うにあたり、非常に重要な要素である※」という趣旨の報告を残しています。
※原文:此事業ハ本校ノ管理ヲ以テ農業上ノ試験ヲ行フニ当リ一大肝要ノ元素タルヘク

天気を知り、私たちの暮らしに役立てる。
この目的は、150年経った今も変わっていないと感じています。

普段見ている天気予報は、150年にわたる観測の積み重ねによってできています。

次に天気予報を見る時には、その情報の向こう側にある150年の歩みに、少しだけ思いをはせてみてはいかがでしょうか。

出典:
・気象庁_札幌気象業務150周年特設サイト
・札幌気象百五十年史
・札幌気象百年史

連載「気象予報士コラム・お天気を味方に」

Sitakke

文: HBCウェザーセンター 気象予報士 篠田勇弥
札幌生まれ札幌育ちの気象予報士、防災士、熱中症予防指導員。 気温など気象に関する記録を調べるのが得意。 趣味はドライブ。一日で数百キロ運転することもしばしば。
HBCウェザーセンターのインスタグラムでも、予報士のゆる~い日常も見られますよ。

編集:Sitakke編集部あい

※掲載の情報は記事執筆時(2026年9月)の情報に基づきます。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ