1. トップ
  2. 「なんて恥ずかしいことをしたんだ」旅行帰りに乗ったグリーン車。だが、他の乗客が困っていたワケ

「なんて恥ずかしいことをしたんだ」旅行帰りに乗ったグリーン車。だが、他の乗客が困っていたワケ

  • 2026.8.27

下を向いて、くすくす笑っていた

家族で出かけた帰りだった。普通列車のグリーン車に、そろって乗り込んだ。うちは誰も交通系ICカードを持っていないので、乗る前に紙のグリーン券を買ってある。

「これ、失くさないようにね」

「大丈夫、こっちで持っているよ」

途中の停車駅から、何人かが同じ車両に乗ってきた。カードを持っている人は慣れた手つきだ。頭上の棚の近くにある読み取り部に当てると、ランプが赤から緑に変わる。それだけで、すっと席に座っていく。

ひとりだけ、手こずっている人がいた。紙のきっぷを読み取り部に押し当てては離し、角度を変えて、また押し当てる。

きっぷを裏返し、印刷された面を下にして当ててみる。ランプは赤いままだった。

反応するわけがない。私は下を向いて、くすくす笑っていた。

笑いながら、その人の手がふと止まったのが目に入った。

きっぷを持ち直して、周りをうかがっている。誰にも聞けずにいる顔だった。

私は笑うのをやめた。

(なんて恥ずかしいことをしたんだ)

面白がっていた自分が、急に決まりが悪くなった。知らなければ、誰でも同じことをする。

うちだって、家族が券を買っておいてくれなければ分からなかった。

通路を進んで、声をかけた

座席の背に手をかけて立ち上がった。責める話でも、教えてやる話でもない。

知らないだけの話だ。通路を進んで、なるべく普通の声で言った。

「その紙のきっぷ、電車の読み取りには反応しません」

手が止まった。それから私の指した先ときっぷを見比べて、意味が分かったらしく、表情がゆるんだ。

きっぷを持つ指から、力が抜けていくのが見えた。

「紙のきっぷをお持ちなら、読み取り部は使わなくていいんです。そのまま席にいて大丈夫ですよ」

「そうなんですか。壊れているのかと思って、ずっと当てていました」

「うちも家族の分をまとめて買ってきたので、同じ紙です」

その人は何度も頭を下げた。助かりました、ありがとうございます、と繰り返す。近くの席の人が顔を上げて、笑って口を挟んだ。

「私も最初は分からなくて、同じことをやりましたよ」

小さな笑い声が起きて、こわばっていた車内の空気がほどけた。誰も、この人を笑ってはいなかった。

その人はきっぷを手に、落ち着いて席に座った。窓のほうを向いた背中から、さっきまでの力みが消えていた。

降りる駅が近づくと、その人は荷物を持って、わざわざ私の席まで来た。もう一度深く頭を下げて、扉のほうへ歩いていく。私は座ったまま会釈を返した。

笑って見ているだけにしなくてよかった。窓の外を、夕方の景色が流れていった。


※本記事は、GLAMが独自に実施したアンケートで寄せられた60代以上男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ