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手は口ほどに#21:一音成仏。三味線を次代へ届ける音曲師

  • 2026.8.19
桂小すみさん

撥(ばち)をひと振り。「バチッ」と、乾いた音が小さな劇場に響く。桂小すみさんは、その音を確かめるように、もう一度、撥を振った。「その音なんです」

三味線は、強く弾けばいいわけではない。狙うのは、3本の糸を正確に捉える一点。撥が当たる角度も、振り下ろす速さも、そのあとの力を抜くタイミングも少し違うだけで、音色はまるで変わってしまう。

「三味線のお師匠さんには、昔の水銀体温計を振るような動きだって教わりました」。勢いよく振る。しかし、当たった瞬間にはもう力は抜けている。見ていると、右手だけがすっと走る。余計な力はどこにもない。

最初に教わった言葉は、「一音成仏」。一度鳴らした音は、二度と戻らない。だから、一音ごとにすべてを込める。その教えは、今も稽古の中心にある。

「お稽古するたびに、『もうちょっとこうすればいいんじゃないか』って発見があるんです。だから毎日おもしろい」。その“おもしろい”が、撥を振り続ける理由なのだろう。

演奏中の桂小すみさんの手元
「力じゃなくて、当たる角度と正確さ」。3本の糸に対して、撥がほぼ直角に当たる一点を探る。
高座の準備中の桂小すみさん
本番前の準備も、音作りの一部。三味線を組み立てて、糸を張り、その日の音を仕上げていく。
高座の準備中の桂小すみさん
一番細い三の糸は、細い絹糸300本分を束ねて作られている。繊細な糸だから、張りや結び方にも気を配る。
客入りを待つ桂小すみさん
開演前の舞台準備を、尺八奏者である夫の松本浩和さんが静かに手伝っていた。椅子を並べて、客入りを待つ。
高座中の桂小すみさん
演奏中に切れたらすぐに張り替えられるように、結び方にも工夫する。「でも上手な人は切れないみたい」
高座中の桂小すみさん
両国の小劇場にて、一人だけの高座が始まる。ここは、三味線弾きとして歩み始めた街でもある。

小すみさんは、三味線のワークショップを開くときも最初に曲を教えない。まずは、撥を持ってもらう。「撥の当たり方に、その人の人生が出る」。師匠にそう教わったときには、意味が分からなかった。けれど、多くの人の手を見てきて、今は分かる。「例えばピッコロを吹いた瞬間に、人生が分かるとはあまり思わない。でも三味線は違うんです」

撥を落とす角度。音を飛ばそうとする身体の使い方。力の入り方。そこに、その人が積み重ねてきた時間が、そのまま表れる。三味線は、人が出る。

小すみさん自身、今なお理想の音を追い続ける。明治の名人が残したSPレコードを、何度も聴き返す。録音は一発。編集もない。それでも驚くほど音が飛んでくる。「こんな音が残っている」。追いつけない。だからおもしろい。終わりがないから、稽古を続けられる。

高座中の桂小すみさん
江戸の粋を今に伝える音曲。三味線の音と声が重なって、客席との距離がふっと縮ままる瞬間だ。
高座中の桂小すみさん
「音を飛ばしたい」。一音成仏の教えを胸に、三味線の音色が客席の隅々まで届いていく。
桂小すみさんの楽器
「音色が違うと雰囲気が変わるので」。三味線以外の楽器も使った楽しい舞台が、小すみさんの持ち味。
高座中の桂小すみさん
演奏の合間には、曲の背景や公演の旅先での話も。軽妙な語りが、舞台をさらに身近なものにする。
桂小すみさんの手元の所作
語りの際中にも、撥を持つ手の動きには無駄がない。一音を磨き続けてきた時間が、その所作ににじむ。
高座中の桂小すみさん
笑顔は柔らかく、三味線は端正に。その緩急が、桂小すみさんという芸人をつくっている。

小すみさんが最初に覚えた音楽は、三味線ではない。幼い頃からピアノを習い、中学校では吹奏楽部でフルートやピッコロを吹いた。音楽教員を目指してクラシックを学び、ウィーンに留学してミュージカルを研究した。

「音楽はやりたかったんです。でも、何をやるかは決まっていなかった」。だから、どれも本気だった。ピアノも。フルートも。歌も。

帰国後、日本の伝統芸能と出会い、三味線を手にした。寄席囃子を学び、やがて落語家とともに高座へ上がり、三味線と唄で寄席を彩る演者、音曲師となった。「下手でもいいから、これをやりたいと思ったんです」。クラシックから邦楽へ。そう聞くと大きな転身のようにも思える。けれど桂さんにとっては、どちらも音を探す旅だった。

15年ぶりにクラシックを演奏したとき、自分でも驚いたという。「びっくりしたんです。私、もう三味線の人になっていると思っていたのに」。身体は、クラシックを忘れていなかった。「これが、ずっと追い求めてきたものだったんだって思いました」

西洋音楽で学んだ呼吸も、舞台で培った身体感覚も、三味線と出会って一本につながった。だから今、小すみさんは演奏するだけで終わらない。寄席を飛び出し、自ら三味線を手渡し、「まずは音を出してみましょう」と声をかける。

「三味線を始めてみたい、という人がいると、それがうれしくて」。そう話す表情は、演奏しているときとはまた違う。今日もまた、誰かに三味線を手渡す。そして、自分はまた、撥を握る。

profile

高座中の桂小すみさん

桂 小すみ(音曲師)

1973年3月生まれ。小学校で合唱部、中学では吹奏楽部とオペレッタクラブ、高校では吹奏楽部に所属。クラシック、なかでも音楽劇好きが高じて、東京学芸大学教育学部音楽学科の在学中に、ウィーン国立音楽大学への留学でミュージカルを学び、音楽教諭となる。「洋楽も邦楽も教えられたらいいな」という理由で三味線に出会い、その後、2003年にお囃子として落語芸術協会に入会し、寄席囃子などの影弾きを担当。2018年に演者として高座に上がる音曲師に転向し、伝統的な端唄や小唄とともに三味線を弾いている。時に尺八など様々な楽器でクラシックやポップスまで演奏する独自の舞台で、文化庁芸術祭優秀賞や国立演芸場花形演芸大賞などを受賞している。

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