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秦早穗子さん、戸田奈津子さんの映画案内|映画に生き、 魅せられた90年

  • 2026.8.1
撮影=HIRO

映画が描く時代と人間を見つめてきた映画評論家・秦早穗子さん。世界の名作やスターの言葉を日本へ届けてきた字幕翻訳者・戸田奈津子さん。映画が“世界への扉”だった時代から歩み続けたおふたりの90年余りは、日本の映画文化の歴史そのものです。

心に残る名作とは何か、映画は人生に何を与えてくれるのか。おふたりの言葉を通して、映画の力をあらためて見つめ直す総力特集。あなたの心を震わす一本との出合いを願って。

※往年の名作は、ご紹介したブルーレイやDVDのほか、多くの作品が各種動画配信サービスでも視聴できます。

レジェンドの映画人生

昭和、平成、令和──。戦争を体験し、映画を介して世界と出合い、日本の映画文化を支えてきたおふたり。90年余りの人生を通し、映画にかけてきた思いとは。

秦 早穗子さん

撮影=HIRO

秦さんにとって映画とは?

さまざまな世界を知り、人間を知り、自分自身を見つめるための窓──秦 早穗子

ヌーベルバーグを日本にいち早く紹介した立役者である秦さん。26歳で単身パリに渡り、新人監督ゴダールの才能を見抜いた。そのデビュー作に『勝手にしやがれ』という鮮烈なタイトルを付け、日本公開を実現させたことは、いまも映画界の伝説として語り継がれている。

その後も『太陽がいっぱい』『危険な関係』など話題作の輸入を手掛け、32歳で独立。映画評論をはじめ翻訳、エッセイなど、幅広い執筆活動を60年以上続けてきた。

映画を評する際には、事前の情報をできる限り排し、白紙の心でスクリーンに向き合うことを自らに課してきたという。そのなかから「魂の叫びが心に刺さる」作品を選び抜き、読み解き、読者へ届けてきた。小誌では2013年1月号から14年にわたり映画連載「画報の杜 世界への窓」を担当中。広い視野と深い知識、そして自らの体験に裏打ちされた映画評は、現代を生きる私たちに新たな気づきを与えるだけでなく、どう生きるべきかを問いかける。 そして一篇の文学を読むような豊かな時間へと誘うのである。

95歳となり、体の自由があまり利かなくなったという現在も、「回数は少なくなった」とはいえ、試写会場に足を運んで新たな作品と真摯に向き合っている。驚かされるのは、みずみずしい感受性を持ち続けていること。感動した作品は熱く語り、そうでない作品には怒る。

「よい作品に出合い、伝えることが喜び」と言いつつ、戦争体験者として、その痛みを伝えることが使命だという。映画への情熱も、平和への願いも揺らぐことはない。

戸田奈津子さん

撮影=HIRO

戸田さんにとって映画とは?

精神的な「飢え」を満たし、夢を与える。食べることより大事な、それが私にとっての映画──戸田奈津子

吹き替えか、字幕か。外国映画は吹き替えで鑑賞するのが常識だとする国が多いなか、日本では劇場公開作品の多くが字幕で上映される。

戸田奈津子さんは、その理由について「日本人はひとり残らず文字が読めるから」と語り、さらに「映画には俳優の声を聞く喜びもある。台詞も演技の一部であり、本物志向が強くリアリティに敏感な日本人には字幕が好まれる」という。

来日した俳優たちは、諸外国同様に日本でも自分の声は吹き替えられていると思い込んでいるため「劇場では字幕が主流」と伝えると、とても喜ぶのだという。

吹き替えは「俳優にとって体の一部を切り取られるように辛いこと」と、戸田さんは考える。ショーン・コネリーの響きのよい低音、ケビン・コスナーの鼻にかかった高い声。その声や息遣い、間や余韻を、限られた文字数に置き換えて、映画の魅力を届け続けてきた。

約40年間で手掛けた映画は2000本近い。単純計算でも年間約50本という驚異的なペースである。「下訳者がいるに違いない」と疑われるほどだったが「下訳を待っていたら納期に間に合わない」と毅然と語り、他人に任せることなく仕事を貫き、自らの人生についてはこう振り返る。「人間、一生のうちでやれることは限られている。私も捨てるべきものは捨ててきた。この仕事があるから結婚はしなかったし、子どももいない」

90年の人生そのものを字幕翻訳に捧げた覚悟が、多くの人に映画の感動を届けてきたのだ。

映画史とともに歩んだふたりの軌跡

秦 早穗子さんの歩み

1931(昭和6)年7月31日生まれ
映画評論家・随筆家

1931(昭和6)年 0歳
東京・渋谷に生まれる。父・一郎はフランス文学者であり動物学者。命名は詩人・作家の佐藤春夫。虚弱体質のため鎌倉に移住。日本女子大附属豊明幼稚園入園を機に、目白へ転居。

秦さん5歳。妹の誕生100日目を祝った家族写真。秦さんの祖母・利舞子は日本初のミシン洋裁学校を創立。女性の職業教育の道を開く。 写真提供=秦 早穗子

1945(昭和20)年 14歳
罹災。千葉から山梨へと疎開。同地で敗戦を迎える。

1949(昭和24)年 18歳
女子学院卒業。SEF(フランス映画輸出入組合日本事務所、のちの「新外映」)文芸部に勤務。その間、新制高校入学、卒業の試験を受け、大学入学。

1957(昭和32)年 26歳
ブザンソン・ド・ワグネル(マギー・ルフ)の『エレガンスへの招待』(婦人画報社/現ハースト婦人画報社)を訳したことを機に渡仏。映画・ファッションの紹介に携わる。

1958(昭和33)年 27歳
カンヌ国際映画祭を初訪問。2003年まで45回通う。訳書『全訳 ぼくの伯父さん』(ジャック・タチ著/三笠書房)刊行。

『ぼくの伯父さん』で知られるジャック・タチ監督と。完璧主義の一面もある彼だが、「映画への熱情、ユーモアと人間味に溢れていた」。 写真提供=秦 早穗子

1959(昭和34)年 28歳
映画選考の係として、「新外映」に再就職。『勝手にしやがれ』を買い付け、邦題を付ける。

1959年、アラン・ドロンのパリ左岸の自宅でインタビュー。椅子がなく、仕方なく腰掛けたのはベッド。 写真提供=秦 早穗子

1960(昭和35)年 29歳
『太陽がいっぱい』を日本に輸入し、邦題を付ける。

1961年、パリのカフェにて。アンナ・カリーナやジャン=ポール・ベルモンドらと。後方右端にゴダール。 写真提供=秦 早穗子

1963(昭和38)年 32歳
独立して、映画やテレビフィルムの輸入会社「ロアイヤル」、その後、「ジャフラ」を創立。以降、映画の紹介に努めながら映画評論・翻訳・エッセイを執筆。

1963年、日本で第3回フランス映画祭が開催された際のスナップ。来日したマリー・ラフォレらと談笑。 写真提供=秦 早穗子
1963年、『ブーベの恋人』のロケ地で、主演のクラウディア・カルディナーレ、ジョージ・チャキリスと。 写真提供=秦 早穗子
オルリー空港にて、人気絶大だった俳優シモーヌ・シニョレ(左)、フランソワーズ・アルヌールと。 写真提供=秦 早穗子

1977(昭和52)年 46歳
訳書『獅子座の女 シャネル』(ポール・ モラン著/文化出版局)刊行。

1979(昭和54)年 48歳
フランス芸術文化勲章を受章。

1982年、『婦人画報』の連載「父とわたし」のページから。母に先立たれた父との同居生活が綴られた。 写真提供=秦 早穗子

1984(昭和59)年 53歳
『パリ・東京井戸端会議』(岸惠子と共著/新潮文庫)刊行。

1990(平成2)年 59歳
『シャネル20世紀のスタイル』(文化出版局)刊行。

1996(平成8)年 65歳
『映画、輪舞のように』(山田宏一と共著/朝日新聞社)刊行。

2012(平成24)年 81歳
自伝的小説『影の部分』(リトルモア)発表、山梨文学シネマアワード受賞。翌年、日本映画ペンクラブ賞受賞。

2023(令和4)年 92歳
フランス文化普及ルネサンス・フランセーズ賞受賞。

2026(令和8)年 95歳
第99回キネマ旬報ベスト・テン読者賞受賞。

戸田奈津子さんの歩み

1936(昭和11)年7月3日生まれ
映画字幕翻訳者・通訳

1936(昭和11)年 0歳
福岡県戸畑市(現:北九州市戸畑区)に生まれる。父は銀行員。1歳のとき、父が日中戦争下の上海で戦死し、母の実家のある東京・世田谷へ移る。

1941(昭和16)年ころ 5歳
東京高等女子師範学校(現:お茶の水女子大学)附属幼稚園入園。その後はお茶の水女子大学附属小学校・中学校・高等学校で学ぶ。終戦翌年の10歳のとき、外国映画を見て衝撃を受ける。ひとりで映画館に通うようになったのは中学生のころ。

1954(昭和29)年ころ 18歳
津田塾大学学芸学部英文学科入学。卒業後、第一生命保険に秘書として就職。

バレエやオペラも好きだったが、大衆的な値段だったため映画館に通い詰めたという大学生時代。 写真提供=戸田奈津子

1960(昭和35)年ころ 24歳
第一生命を退社、映画字幕翻訳を志す。字幕翻訳家・清水俊二に手ほどきを受ける。『鉄腕アトム』などテレビ番組の英訳を行い、翻訳・通訳の仕事を始める。

1960年代 20代後半〜30代
洋画配給会社との仕事を広げる。「ユナイト映画」で、水野晴郎の依頼により映画関係者の通訳を担当。以後、通訳も継続する。

1970(昭和45)年 34歳
『野性の少年』で初めて映画字幕翻訳を担当。

1973(昭和48)年 37歳
字幕翻訳作品 『小さな約束』公開。

1976(昭和51)年 40歳
来日したフランシス・フォード・コッポラの通訳・ガイドを務める。

ロスの自宅に招待されたこともあるスティーブン・スピルバーグ監督(右)、黒澤明監督(中央)との会食。 写真提供=戸田奈津子

1979(昭和54)年 43歳
『地獄の黙示録』の日本語字幕を担当。プロの字幕翻訳家として広く認められる。

1980年代以降 40代〜
年間50本ほどのペースで字幕翻訳を担当。『E.T.』 『インディ・ジョーンズ』『タイタニック』『スター・ウォーズ』『ミッション:インポッシブル』 など話題作を手掛ける。

『スター・ウォーズ』でブレークする前の無名時代からの親交。ハリソン・フォードとは40年以上の仲。 写真提供=戸田奈津子
来日時の通訳を長年務め、戸田さんの誕生日には花束が届くほどの深い親交をもつトム・クルーズと。 写真提供=戸田奈津子

2008(平成20)年 72歳
神田外語グループのアカデミックアドバイザーに就任。

2011(平成23)年 75歳
神田外語大学の客員教授に就任。

2014(平成26)年 78歳
左目の視力を失っていることを公表。

2022(令和4)年 86歳
通訳業からの引退を発表。「瞬発力が必要な仕事だから」と理由を語る。

リチャード・ギアを招いたこともある東京の自宅にて。「自分の家の玄関ほどの広さだと驚かれた」とか。 写真提供=戸田奈津子

2025(令和7)年 89歳
旭日小綬章を受章。

2025(令和7)年 89歳
東京都より「名誉都民」の称号を受ける。

映画史とともに歩んだ二人の軌跡 映画関連年表

撮影=HIRO ヘア&メイク=松本真由美(EMBELLIR)(秦さん) ヘア=馬場利弘 メイク=大池由香里(ともに戸田さん) 編集・文=須田秀子、吉岡博恵(ともに婦人画報編集部)

『婦人画報』2026年9月号より

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■特集「秦早穗子さん、戸田奈津子さんの映画案内|映画に生き、 魅せられた90年」

・秦早穗子さん、戸田奈津子さんの映画案内|映画に生き、 魅せられた90年(この記事)
・秦早穗子さん、戸田奈津子さんが選ぶ、人生を変えた名作映画6選(8/2公開予定)
・秦早穗子さん×戸田奈津子さん対談「映画に教えてもらったこと」(8/5公開予定)
・早穗子と奈津子の心震えた映画24本「禁断の恋」(8/8公開予定)
・早穗子と奈津子の心震えた映画24本「いい男、いい女」(8/11公開予定)
・早穗子と奈津子の心震えた映画24本「反戦」(8/15公開予定)
・早穗子と奈津子の心震えた映画24本「ハッピー」(8/16公開予定)
・世界三大映画祭を繙く(8/18公開予定)
・戸田奈津子の名訳・名字幕(8/20公開予定)
・フェリーニ、ゴダール、チャップリン...秦早穗子さんが語る、忘れがたい映画監督(8/22公開予定)
・『急に具合が悪くなる』濱口竜介さん×秦早穗子さん対談(8/30公開予定)
・シャネルとシネマの幸せな関係(8/31公開予定)

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