1. トップ
  2. エンタメ
  3. 「続きが気になる!」と思わせた2人組の夏の名曲 32年前に誕生した“手ざわりのある物語”のはじまり

「続きが気になる!」と思わせた2人組の夏の名曲 32年前に誕生した“手ざわりのある物語”のはじまり

  • 2026.8.22
undefined
浅倉大介-1995年8月撮影(C)SANKEI

音楽には、1枚だけでは全貌を見せない作品がある。手もとに集めて、並べて、ようやく仕掛けの全体が姿を現す。聴き手の行動までも作品の一部として設計図に組み込んだシングルが、1994年の夏に届けられた。

access『DRASTIC MERMAID』(作詞・作曲:AXS)ーー1994年8月19日発売

シンセサイザーの浅倉大介とボーカルの貴水博之による2人組ユニット、accessが夏に放った1枚。連作として構想された三部作の、これが第1弾だった。

裏ジャケットが続きをそっと予告する

このシングルの仕掛けは、盤を取り出す前から始まっている。ジャケットを裏返すと、そこには写真の断片が置かれている。続く『SCANDALOUS BLUE』『TEAR'S LIBERATION』の2枚とあわせて並べたとき、初めて1枚の写真として完成する設計だ。買った瞬間に「これで終わりではない」という予告を手渡される。

CDショップに通い、次の発売日を待ち、揃えて棚に並べる。当時の聴き手にとってCDは、再生する円盤であると同時に、手ざわりのある収集物だった。accessはその感覚を正確に見抜いていた。

音を聴かせる前に、まず「揃えたい」という欲望へ火を点ける。パッケージそのものを物語の入口に変えた発想に、このユニットの企画力の高さを感じる。

しかもこの仕掛けは、買った本人にしか気づけない。店頭のジャケットは表を向いて並んでいるからだ。裏返して初めて分かる秘密を仕込むあたりに、聴き手を信頼した遊びの上品さがある。

揃えた耳にだけ鳴り終わる組曲

仕掛けは裏ジャケットだけではない。カップリングに収められた『SEQUENCE MEDITATION 〜超電導思考回路〜』は、三部作の各盤に1楽章ずつ置かれた組曲であり、3枚が揃って初めて完結する構成になっている。

1枚買っただけでは、この曲は途中で終わる。表題曲の裏側で、シングルという器そのものを連載小説のように使ってみせたのだ。次の盤を手にした者だけが、続きの楽章を聴ける。音楽の聴かれ方まで含めて作曲する、という言い方をしたくなる。

途中で切れた音楽は、不思議と記憶に残る。終わらないまま手もとに残った旋律が、次の盤を待つ時間を、そのまま音楽体験の一部に変えていた。

組曲という言葉の選び方も効いている。ポップスのカップリングに、クラシックの様式を思わせる名を与える。この気取りが、三部作全体を「1つの大きな作品」として聴かせる額縁になった。

しかも翌週の1994年8月25日には、リミックス盤『Re-SYNC STYLE』が発売されている。本編の三部作と並走するもう1つの音源。1週差で盤を重ねていく展開の速さそのものが、この夏のaccessの勢いを物語っていた。

歌の世界が小説のページへ流れ込む

そして仕掛けは、音と写真の外側へも伸びていった。三部作の世界観は、1995年12月に小説『SEQUENCE MEDITATION』として活字になった。著者名義は朝霧遥。作詞を手掛ける井上秋緒の別名義だ。歌として鳴っていた物語が、今度は文字で読める形に置き直されたわけだ。

聴く、見る、読む。1枚のシングルから始まった物語が、3つの入口を持つ大きな作品世界へ育っていく。いまの言葉でいえばメディアミックスだが、配信もSNSもない時代に、CDと写真・MVと小説だけでそれをやり切っている。

夏の恋の物語を、シングル3枚がかりで描く。その第1章として聴き直すと、この曲のタイトルに込められた劇性が、より鮮やかに立ち上がってくる。

歌詞の中で燃えていた感情に、小説という別の照明が当たる。同じ物語を2度、違う速度で味わえる。この贅沢は、企画の派手さ以上に、物語そのものへの自信の表れだったのだと思う。

シンセの疾走に隠された切なさの設計

ここまで企画の話を続けてきたが、この三部作が成立した土台には、音そのものの強さがある。最後はそこへ降りたい。

浅倉大介は、TM NETWORK(現・TMNETWORK)のサポートキーボーディストとして最先端の現場に立ち、1991年に『LANDING TIMEMACHINE』でアーティストデビュー、翌1992年に貴水博之とaccessを結成した。シンセサイザーを浴びるように扱ってきた人の音が、この曲では惜しみなく走っている。

冒頭から張りつめた電子音が空気を締め、そこへリズムが少しずつ重なって、一気に夏の速度へ加速していく。力ずくで押し切るのではなく、順番に積み上げて期待を高めていく組み立てに、大がかりな企画を段取りよく走らせたのと同じ設計の手つきを感じる。爽快に疾走するシンセの上で、詞は切なさを帯び、貴水博之のハイトーンがその両方を一本の声で貫いていく。明るいのに胸が締めつけられる。この同居こそが、この曲の核だ。

そのハイトーンは、気軽に口ずさめる高さではない。だからこの曲は「歌う」より「聴いて浴びる」に寄っていく。電子音の砂浜の上を、生身の声だけが高く飛んでいく。その距離感が切なさの正体だと言いたくなる。夏の爽快と恋の切なさが、同じ音の中で同時に鳴っている。カラオケで再現できないことが、かえって原曲の輝きを守り続けてきたようにも映る。

買って揃えた夏がいまも入口になる

当時の聴き手は、この曲をCDショップの棚で、映像で共有した。揃えて、見比べて、続きを待つ。その時間ごと楽しむ聴き方だった。

配信が主流になったいま、「揃える」という行為はほとんど消えた。それでもこの曲は、夏が来るたびに再生され、三部作の入口として語り継がれている。かつては棚の上で完成した写真が、いまは聴き手の記憶の中で完成している。

タイトルの人魚さながらに、この曲は全身を一度に見せない。だからこそ、聴くたびに続きが気になる。

未完成のまま手渡された1枚が、30年以上たっても人を続きへ誘い続けている。仕掛けの寿命の長さこそ、この夏の設計図が本物だった証に見える。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・笄坂かける)

の記事をもっとみる

注目コンテンツ