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三菱ランタボで無茶走りする見習い整備士…愛車のMTを壊した日に工場長が見せた行動

  • 2026.7.23
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出典:PIXTA(※画像はイメージです)

元自動車整備士の男性から伺った、忘れられない愛車の記憶をご紹介します。後に高性能なスポーツカーにも乗った彼が一番熱かったと語るのは、見習い時代に手に入れた三菱ランサーターボ。

若さゆえの無茶で車を壊し、不甲斐なさに落ち込む彼を救ってくれたのは勤務先の工場長でした。速さだけではない、彼を一番育ててくれた車と、そこから学んだかけがえのない記憶を紐解きます。

自分だけの“ラリー車”と駆け抜けた青春の夜

Aさんが自動車整備士として見習いの道を歩み始めた頃、自分の車に対する憧れは非常に強かったそうです。念願叶って中古で手に入れた愛車が、三菱のランサーターボ、通称ランタボでした。

Aさんはその後、ランサーエボリューションという圧倒的な加速力を持つ車にも乗ることになります。それでも、当時の彼にとって初めての相棒となったランタボは、それらの名車にも決して引けを取らない、最高にホットな存在だったと語ってくれました。

フロントエンジン、リアドライブという構造を持つその車に、ヨコハマのラリータイヤを履かせ、アンダーガードを取り付けていたと嬉しそうに振り返ります。さらにパーソナル無線を装着し、屋根の中央には波平アンテナのようにアンテナを一本立てていたそうです。

フロントフェンダーには「MITSUBISHI MOTORS」と「RALLIART」のステッカーを貼り、当時のAさんは完全にラリー車に乗っている気分で、それが最高に格好よく感じられていたとのことです。

そうした自慢の愛車に乗り、友人たちと集まっては走っていたと振り返ります。そして夜明けには牛丼を食べ、夏の深夜にはコイン洗車場で仲間同士笑いながら車を洗っていたそうです。特別な事件が起きたわけではないものの、そうした何気ない時間が当時のAさんたちにとっては青春そのものであったように感じられます。

若さと勢いが招いた、マニュアルトランスミッションの悲鳴

しかし、そのような誇らしく楽しい日々は、突然終わりを迎えることになったそうです。当時のAさんは、自動車整備士として入社して間もない時期であり、まだまだ駆け出しの立場でした。工具の正しい使い方や部品の詳細な構造、あるいは作業の段取りも十分にわかっていない未熟な状態だったと打ち明けてくれました。

それにもかかわらず、自慢の愛車に乗ると気持ちが高ぶり、よくないことと分かってはいたものの、若さに任せた無茶な走りをしてしまったそうです。その結果として、ついにマニュアルトランスミッションを自らの手で壊してしまいます。

整備士の見習いでありながら、自分の愛車すら自分ではどうにもできなかったという事実は、Aさんにとって非常にショックだったようです。プロの世界に足を踏み入れたばかりの自分に対する激しい焦りと、大切な愛車を傷つけてしまったという無力感に、深く打ちひしがれた瞬間だったと当時を振り返ってくれました。

不甲斐ない自分を救ってくれた、工場長の無言の教え

そのように途方に暮れていたAさんに手を差し伸べてくれたのは、勤務先の工場長だったそうです。工場長はただ頭ごなしに怒るのではなく、なんと休みの日や業務の合間を縫って、修理に付き合ってくれたとAさんは語ります。

当時のAさんは自分が手伝ったというよりも、工場長の横で必死に手元を見て、作業の工程を覚えていただけに近い状態だったとのことです。 実際には、ほとんど工場長の手によって直してもらったようなものだったと、少し照れくさそうに教えてくれました。

それでも、その作業を間近で見る経験からAさんは多くのことを学んだそうです。車は決して勢いだけで走らせるものではないことや、機械の動きや故障には必ず明確な理由があるという事実を、身をもって知ることになります。そして何より、未熟で失敗ばかりの自分を見捨てずに助けてくれた周囲の人たちに対するありがたさを、深く胸に刻んだ出来事だったそうです。

工場長の無言の教えは、Aさんにとって技術以上のものを与えてくれたように思えます。

現場を離れた今も続く、あの日の恩師とのつながり

その後時が経ち、Aさんは現在バス業界へ転職し、整備の現場からは離れているそうです。自動車を自らの手で修理する機会は減ってしまったものの、当時の工場長とは10年以上が経過した今でもお付き合いが続いていると微笑んでくれました。

あの時、不甲斐ない自分を見放さず修理に付き合ってくれた恩師との出会いは、Aさんのその後の人生において計り知れないほど大きな財産になっているようです。お話を伺っていると、当時の工場長に対する深い感謝の念と、人と人とのつながりの温かさがひしひしと伝わってきました。

一つの故障から生まれた絆が、形を変えながら今もなお続いているという事実は、とても素敵なことのように思えます。 車が取り持った縁は、職場が変わっても決して色褪せることはなかったようです。

一番速くなくても、自分を一番育ててくれたかけがえのない一台

そして現在、仲間もAさんもそれぞれ年齢を重ね、別々の道を歩んでいます。それでも、あの頃ランタボとともに過ごした時間は、今のAさんの運転の確かな土台になっているそうです。

振り返ってみれば、ランタボは決して一番速い車ではなかったかもしれないとAさんは語ります。しかし、運転の楽しさや車の怖さ、整備の奥深さ、そして人に助けてもらうことのありがたさを教えてくれたという意味において、ランタボは忘れられない一台だそうです。

一番速かった車ではなく、一番自分を育ててくれた車こそが自分にとって一番熱い愛車だったというAさんの言葉には、深い実感がこもっていました。若き日の過ちと、それを包み込んでくれた人々の温もりが、ランタボという車を通じてAさんの心に今も生き続けているように感じます。

ただの機械の塊ではなく、人生の土台となる大切なことや人の優しさを教えてくれたランタボとの記憶は、これから先もAさんの心の中で熱く走り続けるのではないでしょうか。



ライター:Masaki.N
自動車メーカーで車体開発エンジニアとして設計・先行開発に携わった後、マーケティング/市場リサーチ領域で商品導入・訴求設計にも従事。さらに自動車サブスク系ITベンチャーでマーケティングを担当し、ユーザー視点のコミュニケーション設計を経験。現在は自動車ライターとして、新車情報、技術解説、モデル比較、中古車相場、維持費、業界動向まで幅広く執筆。SEO記事・コラム・インタビューなど媒体横断で制作し、専門知識を生活者の言葉に翻訳して「買う/持つ」の判断を支援します。加えて、カスタムを含む実車取材・体験を通じて得た一次情報を記事に落とし込み、机上の知識にとどまらない“現場感”のある解説を強みとしています。


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