1. トップ
  2. エンタメ
  3. 32年前、夏の王道バンドがしれっと放った“真顔のトンチキ” "日本語とスペイン語の直結"に隠れた陽気なノリ

32年前、夏の王道バンドがしれっと放った“真顔のトンチキ” "日本語とスペイン語の直結"に隠れた陽気なノリ

  • 2026.7.23
undefined
2015年6月、東京・日本武道館で行われたTUBEデビュー30年記念バースデーライブより(C)SANKEI

TUBEといえば、夏だ。海と太陽とまっすぐな恋を歌い、日本の夏の風景そのものになってきた、揺るぎない定番ブランドである。手堅く、王道で、裏切らない。そんなイメージで語られることが多い。

ところが、だ。彼らの歌詞をよくよく眺めると、ときどき妙なことが起きている。真夏の王道ラブソングのど真ん中に、思わず二度見するような言葉が、しれっと紛れ込んでいるのだ。

TUBE『恋してムーチョ』(作詞:前田亘輝/作曲:春畑道哉)ーー1994年7月1日発売

19枚目のシングルにあたるこの曲は、タイトルからしてすでに攻めている。恋して、ムーチョ。日本語とスペイン語の直結である。

バンドの顔が自分で選んだ陽気な異物

「ムーチョ」は、いかにもスペイン語っぽい響きをまとった一語だ。ノリで額面通りに受け取れば、「いっぱい恋して」と言っているようにも聞こえてくる。

考えてみてほしい。夏の恋を歌うシングルのタイトルに、格好いい英語でも、切ない日本語でもなく、ラテンの陽気な一語を据える判断を。しかも作詞はボーカルの前田亘輝本人。誰かに書かされたのではなく、ボーカルが自分で選んだ言葉なのだ。

それでいて、タイトルに漂うのは悪ふざけの気配ではない。夏の浮かれた気分を、たった一語で言い切ってしまおうとする実直さのほうだ。

この語感の飛躍には、狙いすました匂いを感じる。「恋して」という湿り気のある日本語に「ムーチョ」と続けた瞬間、曲はふっと体温を上げ、真夏の開き直った陽気さをまとう。理屈で読めば変なのに、声に出すと妙に気持ちいい。そのすれすれの言葉選びを、1994年7月1日、夏の入り口にど真ん中の勝負球として投げ込んでくる。この度胸がまず面白い。

夏になるたび言葉のたがが外れる

しかも『恋してムーチョ』は、孤立した一例ではない。TUBEのシングルの並びを眺めていくと、言葉や展開の飛躍が、数年おきに顔を出していることに気づく。

『あー夏休み』(1990年)では、夏のたびにナンパを仕掛けては撃沈する男の、下心と情けなさが臆面もなく歌われる。格好つけたい気持ちと格好がつかない現実の落差が、堂々たる夏うたの佇まいで届けられるのだから、たまらない。

『だって夏じゃない』(1993年)になると、熱をはらんだ生々しい言い回しが、際どい二重読みをうっすら誘ってくる。狙ってのことか、天然なのか。真相はさておき、聴いているこちらが勝手に赤面させられる、あの感じである。

もちろん、これらをトンチキと受け取るかどうかは聴き手次第だ。ただ、どの曲にも共通していることがある。笑いに振り切っていない、ということだ。コミックソングとして企画された気配はどこにもない。あくまで本気の夏うたの顔をして、そこに立っている。

思えば、こうした飛躍はどれも夏の曲で起きている。夏は、理屈の緩む季節だ。TUBEはその浮かれを、行儀のいい言葉に整え直さず、浮かれたままの言葉で引き受けてきた。トンチキに見えるものの正体は、夏という季節の実況中継なのだと言いたくなる。

飛躍する言葉を真顔の音が着地させる

そして、その顔を支えているのが、バンドの職人仕事だ。作曲は春畑道哉。TUBEのギタリストであり、バンドの音の設計者である。メロディは夏の日差しに負けない強度で作り込まれ、前田亘輝の歌は一切ふざけない。「ムーチョ」と歌う瞬間さえ、照れも悪ノリもなく、ラブソングの真ん中を撃ち抜く声のまま通過していく。

『あー夏休み』も『だって夏じゃない』も、土台は同じだ。歌詞だけ抜き出せば笑ってしまうのに、曲として聴くと、なぜかちゃんと胸が高鳴る。演奏と歌が真顔だから、奇抜な言葉が「変な曲」ではなく「癖になる曲」へ変わる。トンチキなのにトンチキを感じさせない。この職人芸こそ、TUBEというバンドの底力に映る。

ヒット曲なのに帰る場所がなかった

ところで、この曲には妙な後日談がある。直前のシングル『夏を抱きしめて』は1994年5月の発売で、90万枚を超える大ヒットを記録した。そこからわずか2ヶ月足らず、畳みかけるように放たれたのが『恋してムーチョ』だ。勢いそのままに、30万枚を超えるヒットとなった。

2ヶ月おきにシングルを切り、どちらもヒットさせる。1994年のTUBEは、それだけの体力と勢いの中にいた。ところが、この曲はオリジナルアルバムに収録されず、翌年のアルバム『ゆずれない夏』にも入らなかった。ようやく収まったのは、翌々年のベストアルバム『TUBEst II』(1996年)である。

売れた曲が、ディスコグラフィの上では2年間も宙に浮いていた。丁寧に作られ、しっかり売れたのに、収まる場所だけがなかなか見つからない。その巡り合わせの悪さまで含めて、どこか憎めない。この曲の言葉選びと同じで、少しだけ枠からはみ出しているのだ。

定番のふりして反則を歌い続ける

「トンチキ」という言葉は本来、ふざけた曲に貼るためのラベルだ。ところがこの曲に貼ろうとすると、大真面目な演奏と歌がそれを弾き返してくる。言葉は飛躍しているのに、音楽は一歩も飛躍していない。むしろ王道のど真ん中を、誰よりも丁寧に歩いている。そのアンバランスこそがTUBEの持ち味であり、『恋してムーチョ』はその配合が最も鮮やかに出た一曲に映る。

夏が来るたび、彼らの曲は当たり前のように鳴っている。その当たり前の中に、じつはこんな際どい綱渡りが仕込まれている。それに気づいてから聴き直す夏うたは、ちょっとどころではなく、ムーチョに楽しい。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる

注目コンテンツ