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やなぎみわ【インタビュー】日本と台湾──その豊穣な文化が息づく舞台と作品

  • 2026.6.3
2026年1月、東和鋼鉄の敷地内にある廃鉄置き場にて、やなぎみわ。 photo: anpis wang. special thanks: TUNG HO STEEL FOUNDATION



大学では工芸科で染織を学んだが、それは18 歳らしい気軽な理由からだった。幼少時から、祖母や母に連れられて宝塚歌劇団や歌舞伎などに通ううちに舞台衣装に惹かれたことや、長らく日本舞踊を学んでいたことなどである。大学での学びは楽しかったが、3年目に入ると少し息苦しく感じ始める。

「素材がけっこう高いので、丁寧に全部の工程表を書いて、一度決めたらそのとおりに最後までやらなくてはならない。そこで、そうじゃない方法をいろいろ考えて、安い生地を何十メートルも買って野外に広げて、農薬をまくタンクに染料を入れて自分で背負って染めていく。そんなことをやりだしました」。そして染めた布で、当時あこがれていた草間彌生のような集積アートの立体物をつくったりもしたという。

卒業後の進路として、真剣にワダエミのスタジオに入りたいと思ったこともあった。ワダは1986 年に黒澤明の『乱』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞、『利休』 が公開されて話題を呼んでいた頃。しかし、やなぎのポートフォリオをじっくり眺めた後、ワダはこう言った。「あなたチームで働くのできないんじゃないかしら、映画のチームって大勢でやるものよ。自分の表現をもっと深めたほうがいいんじゃないの?」。やなぎはその言葉を真摯に受け止め、大学院に進学する。

大学院でも引き続き染織の作品を制作していたが、卒業後は、生活のために数年間、塾講師などをして働くことになった。制作は止まってしまったが、この時期に芽ばえた、ジェンダーを含む社会の不均衡と抑圧に対する問題意識は、やなぎを一躍有名にした「エレベーターガール」シリーズの制作へと彼女を導いていく。

やなぎの初期代表作「エレベーターガール」 シリーズより、《案内嬢の部屋 1F》(1997、2点組の1点)、Cプリント、240×200㎝。百貨店や企業ビルの案内嬢や受付嬢をモデルに、制服を着た女性たちがほぼ同じ表情と姿勢で並ぶ本シリーズは国内外で高く評価され、1990年代後半〜2000年代の現代美術の重要な作品として扱われる。 Courtesy of the artist

「当時大阪で、毎日出勤するときと帰るときに、デパートのエレベーターガールを見かけていて。小さい箱の中で、儀式的な動作を繰り返す彼女たちと自分がオーバーラップして、つくり始めたんですね」

その後2000年から取り組んだ「マイ・グランドマザーズ」 シリーズでは、さまざまな属性の10代から30代の女性たちとの長期にわたる対話をもとに、彼女たちが想像する50 年後の自分を、CGや特殊メイクといった技法を用いて作品化した。

「『エレベーターガール』 があったから『マイ・グランドマザーズ』が生まれました。クローンみたいな若い女性の集合に対して、一人だけの年配女性のシリーズ・ポートレイトが」

「マイ・グランドマザーズ」シリーズより、《YUKA》(2000)、デジタルプリント、160×160㎝。 Courtesy of the artist

この「老女」はその後、多くの作品に繰り返し登場する大切な要素となった。2009年、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館での個展「Windswept Women 老少女劇団」の発表後、やなぎは演劇の世界に足を踏み入れる。

「ヴェネチアの日本館の建物をテントでくるんで、しかも一座のようなおばあちゃんたちの写真を展示したときに、『演劇は一回やらないとだめだな』と自分で気がついた。このまま物語性の強い写真をつくるよりも、実際にライブでやってみようと思ったのです」

それより少し前の2007 年にやなぎは一人息子を授かっており、かつて著者が行った別のインタビューにおいて、「自分のコントロールを超える生命との出会い」だったと述べている。このライフイベントが、デジタル合成写真のような全権が手中にある制作方法から、他人との協働が必須となる舞台芸術への舵切りと時を同じくしたのが興味深い。それは、やなぎに大きな喜びと試練の両方を与えていくこととなった。

やなぎは、いくつかの劇場での舞台演出を成功させた後、台湾の大衆文化から生まれたタイワニーズ・キャバレーとも呼ばれる「舞台車(ステージトレーラー)」をカスタムメイドで購入し、2014年に横浜トリエンナーレでお披露目している。その後2016年から2019年にかけて、この舞台車を使って、熊野の老婆たちが全国の聖地をめぐる旅物語、 『日輪の翼』(原案:中上健次)の野外劇を、各地で行う。

「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」オープニングより。京都・二条城前で行われた、『日輪の翼』上演のための舞台車上で披露されたポールダンス・パフォーマンスの一場面。 Courtesy of the artist

タップダンスやサーカス芸、ポールダンスなどを加えた独創的で壮大な舞台は大成功を収めたが、そのプロセスは実に波瀾万丈だった。

「公私ともに破綻しかけたのは、あれが初めてだったと思います。野外劇は想定外な出来事が多すぎて予算が立たず、毎公演、札束を燃やしているような状態。しかも美術作品と違って、舞台作品は終演すればきれいさっぱり、何も残らない。立ち上げるときはまた一からです。一番非効率な表現方法です」

しかしこの経験から得られたものも大きかった。 「容赦なく奪って、かけがえのない恩恵をくれましたね。文学や詩歌、音楽の世界にも近づくこともできました。私の家は時宗だったということにもあらためて気がつきました。鎌倉時代、すべてを捨て去り、踊り念仏の遊行をした一遍上人を先達とする時宗門徒ならやらねば、と自分を励ましたりね」

この踊躍念仏が登場する舞台『大姥百合』(オオウバユリ、2025) もそうだが、やなぎの作品にはこの数年、数多くの植物が現れるようになった。「今思えば、舞台と植物がセットになってやって来たなと思います」

小説『日輪の翼』の冒頭には、夏芙蓉という架空の木とその花が登場する。「夏芙蓉の花が咲くところに、失われた故郷の物語がよみがえる。私の舞台車には、象徴として芙蓉の花を描きました」

「女神と男神が桃の木の下で別れる」シリーズより、 《川中島Ⅱ》(2016)、デジタルプリント、285×160㎝。 Courtesy of the artist

次に登場したのは桃で、やなぎは『日輪の翼』の公演の合間を縫うように、2016 年の夏に福島の果樹園に通い、『古事記』の「黄泉平坂」(よもつひらさか)をテーマに、夜の桃を写した「女神と男神が桃の木の下で別れる」シリーズを制作している。

また、台湾の蘭も、やなぎを強く惹きつける植物だ。2021年末、やなぎは台湾の伝統芸能で、台湾オペラとも呼ばれる台湾の伝統芸能、歌仔戯(ゴアヒ、発音記号は[kua-á-hì])の作品『アフロディーテ〜阿婆蘭(アポーラン)〜』 を演出している。やなぎと台湾の縁は、1998年の台北ビエンナーレでの初渡台にさかのぼる。以降、展覧会以外にもたびたび自費で渡航し、海の神様、媽祖(マーヅー)の巡行に参加したり、前述の舞台車を購入したり、タオ族の作家シャマン・ラボガンの小説に惹かれて蘭嶼(ランユー)に行ったりといったことを積み重ねていたやなぎは、日台の文化交流を促進する大型イベント「Taiwan Now」 に招聘され、歌仔戯の演出を手がけることになったのである。

2021年12月、台湾・高雄の衛武営国家芸術文化センターで上演された『アフロディーテ 〜阿婆蘭(アポーラン)〜』のメインヴィジュアル。 Courtesy of the artist

歌仔戯の名だたる俳優たちを迎え、蘭の盗掘や産業化の歴史を壮大なドラマに仕上げた『阿婆蘭』は、コロナ期の2021年末、高雄の野外劇場でプレ ミアを迎え、大きな話題を集めた。「本当に貴重な機会でした。歌仔戯のことはそれまで知らなかったんですが、宝塚歌劇のように男役が素敵で、台湾原住民(注:17以上ある台湾の先住民族の正式名称) の文化にも興味があって、蘭嶼に行って蘭のことを調べていたので、偶然声をかけていただいて歌仔戯の舞台に結実したのは、本当にうれしいことでした」

ただ、その喜びと成功の陰で、その数年のあいだに両親を立て続けに亡くしたやなぎは、その後しばらく制作の気力を失ってしまう。

なかなか元のペースで動けない日々を過ごしていたある日、台湾の取り扱いギャラリー非画廊(Beyond Gallery)から、親会社である東和鋼鉄の文化基金会が主宰するレジデンスに参加しないかという依頼が舞い込む。東和鋼鉄の社主は、1970年代からさまざまなかたちで長く台湾の現代アートを支えてきたことで知られ、2013年から、H形鋼を生産する工場の敷地内でアーティスト・イン・レジデンス事業を行い、鉄鋼を使った作品の制作サポートを行っていた。それまで鉄という素材とは縁遠かったやなぎだが、実は偶然にも同時期に、朝日新聞社から大佛次郎賞・大佛次郎論壇賞の賞牌の依頼があり、京都の鋳造工房で鉄による制作を始めていた。2024年の春から初夏にかけてレジデンスは実現。このふたつの場所で鉄と火を扱う機会を得たことで、福島の桃の写真作品を撮影して以来、8年ほどやなぎの心の奥底で眠っていた「黄泉平坂」のイメージが再び熱を持ち始める。

「『黄泉平坂』 は人間の生と死の世界のあいだで、男神と女神が別れるという変な神話です。その別れる場所が『黄泉平坂』なんですが、東和鋼鉄はその場所にふさわしいと思ったのです。廃鉄という、形と役割と名前を半分失われたモノたちがそこにあって、人間の業も感じるし、ディストピア的な景色ですが、廃鉄を溶かして、人間の知恵で再生していく場所でもあります」

やなぎみわ photo: anpis wang. special thanks: TUNG HO STEEL FOUNDATION
2024年、台湾の鉄鋼大手である東和鋼鉄傘下の東和鋼鉄文化基金会が展開するアーティスト・イン・ レジデンスにて制作された、やなぎみわの展示作品。1962年創業の同社は、鉄屑を溶解・ リサイクルし、H 形鋼や鉄筋などの建設資材を製造する台湾の鉄鋼メーカーで、アートや文化支援に深く注力していることでも広く知られる。 Courtesy of the artist

現在やなぎはこの東和鋼鉄での撮影計画を進めている。京都の鋳造工房の鉄と火、東和鋼鉄の世界中から集まる鉄のリサイクル。現代と古代をつなぐ神話の舞台が、桃のモチーフを中心に宿しながら、廃鉄に囲まれ、風が吹き荒ぶ工場の中に現れる予定だ。

「『黄泉平坂』は、火や鉄や土を産んだ女神は黄泉へ去り、その火や鉄を手にした男神は人の世へ行く奇妙な神話です。今回の映像はその舞台の一部を、東和鋼鉄の協力を得て撮影することになりました。桃の鋳造、金属の作品と写真と映像がそろうので、やっとシリーズがだいぶ完成という感じです」

展示はまず、日本と台湾の2カ所で行われる。ひとつは、大阪中之島美術館で7月20日まで行われる「驚異の部屋の私たち、消滅せよ。」展で、これは、森村泰昌が、やなぎとヤノベケンジに声をかけて実現する3人展。台湾での展示は、安藤忠雄建築で知られる台中のアジア大学附属現代美術館で、今秋開催される三嶋りつ惠との二人展だ。「私が鋳造で、三嶋さんがガラス作家ですから、火がテーマ。まだ仮ですが、展覧会タイトルは『炎の花果』になると思います」

MIWA YANAGI
やなぎみわ
: 1967年、兵庫県神戸市生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。 「エレベーターガール」「マイ・グランドマザーズ」などのデジタル合成写真や映像作品で、世界的に脚光を浴びる。2009年、第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表。2010年から舞台演出家としても活動。文学的要素の強い作品を多く制作していることから、ときに文芸賞の審査員なども務める。

〜7/20、大阪中之島美術館。
1980年代前半に登場し、日本の現代美術界に衝撃を与えた「関西ニューウェーブ」を代表する森村泰昌、ヤノベケンジ、やなぎみわが集結し、三者の表現が衝突する共作や新作を公開。やなぎによる神話的な「女性の船首像」シリーズの新作など個々の歩みが凝縮された「驚異の部屋」が出現。

From Harper's BAZAAR art no.5

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