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『オクニョ』出生の秘密にも関係する「大尹テユンと小尹ソユンの対立」とは?

  • 2026.5.14

ドラマ『オクニョ 運命の女(ひと)』の主人公オクニョは、自身の出生にまつわる過酷な真実を追う中で、王宮を揺るがす巨大な権力闘争に巻き込まれていく。

その対立の根源にあるのが、第12代王・仁宗(インジョン)の外戚である「大尹(テユン)」と、第13代王・明宗(ミョンジョン)の外戚である「小尹(ソユン)」による熾烈な争いである。大尹と小尹の対立について解説しよう。

(写真=MBC『オクニョ』)

大尹は、仁宗の実母の兄である尹任(ユン・ イム)一派のことで大尹には新進気鋭の儒教知識人層である士林派(サリムパ)が多かった。

一方の小尹は、文定王后尹氏(ムンジョン ワンフユンシ)の弟・尹元衡(ユン・ウォニョン)一派のことだが、大尹と小尹の対立の始まりは朝鮮王朝・第11代王・中宗(チュンジョン)に遡る。

中宗の2番目の王妃・章敬(チャンギョン)王后が仁宗を産んで急死すると、新たに文定(ムンジョン)王后が王妃の座に就いた。彼女が後の明宗を産むと、その兄弟である尹元老(ユン・ウォンロ)と尹元衡(ユン・ウォニョン)は、明宗を王位継承者である世子(セジャ)に据えようと画策する。

しかし、仁宗の伯父にあたる尹任(ユン・イム)がこれを阻止したため、その策略は実現せずに終わった。この一件を機に、尹任率いる「大尹」と、尹元衡率いる「小尹」の対立は修復不可能なほどに鋭くなっていったのである。
中宗が崩御し、仁宗が即位した当初は大尹派が勢力を強めたものの、仁宗がわずか数か月でこの世を去り、幼い明宗が即位すると事態は一変した。

文定王后が垂簾聴政を行い、実権が小尹派へと移った1545年、朝鮮王朝4大士禍の一つに数えられる「乙巳士禍(ウルササファ)」が勃発する。「士禍(サファ)」とは士林(サリム)派が対立する勢力によって弾圧を受け、多大な犠牲を払った粛清事件を指すが、この「乙巳士禍(ウルササファ)」により大尹派は一掃されて処刑の憂き目に遭い、小尹派による独裁体制が確立されることとなった。

この時代、尹任を中心とし士林派が多く集まった「大尹」と、文定王后の弟である尹元衡を筆頭に権勢を振るった「小尹」という二つの尹氏勢力の争いは、まさに国家を揺るがす血塗られた歴史そのものであったのだ。

文=森下 薫

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