1. トップ
  2. 週刊誌に書かれた“あやしい噂”も笑い話に【美川憲一さん×安奈淳さん】の長い友情と「歌い続ける」日々

週刊誌に書かれた“あやしい噂”も笑い話に【美川憲一さん×安奈淳さん】の長い友情と「歌い続ける」日々

  • 2026.4.27

週刊誌に書かれた“あやしい噂”も笑い話に【美川憲一さん×安奈淳さん】の長い友情と「歌い続ける」日々

2025年秋に心臓の手術をし、パーキンソン病も見つかった美川憲一さん。病を得て、歌への情熱が一層強くなったというその思いを、60年来の友人、安奈淳さんと語り合っていただきました。


Profile
美川憲一さん

みかわ・けんいち●1946年、長野県出身。
65年デビュー。66年に発表した「柳ヶ瀬ブルース」の大ヒットで脚光を浴びる。その後もムード歌謡の名曲「さそり座の女」などのヒット曲を次々と放ち、スター歌手の仲間入りを果たす。
80年代以降は独特のユニセックスなキャラクターや歌声、派手なファッションでより幅広いファン層を獲得。また、辛口のコメンテーターとしてTV番組にも頻繁に出演。

安奈淳さん

あんな・じゅん●1947年、大阪府生まれ。
65年、宝塚歌劇団入団。70年に星組男役トップスターに、74年に花組トップスターになる。75年、『ベルサイユのばら』でオスカルを演じ一大ブームを巻き起こす。
78年に退団後は、舞台、テレビドラマに出演。現在は歌手として活躍中。昨年12月には帝国ホテル大阪でクリスマスディナーショーを開催。
著書に『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』(主婦の友社)他。

私には歌しかない、と今では思ってます (安奈)

––––美川さんはコンサートの最後にシャンソンの「生きる」を歌われることが多いですね。病気をされてからは、歌詞が美川さん自身の言葉のように聞こえて、より感動的です。
美川 「生きる」は、シャンソン歌手の深緑夏代さんに譲っていただいた歌。一度、コンサートで歌わせていただいたときに、聴きにいらした深緑さんが、「美川君、あなたの声にぴったりね。年を重ねたらこの歌いいわよ。歌い続けなさいね」と。すぐ次の日から歌ったわ。一生の歌です。亡くなるまで歌い続けます。
安奈 深緑先生は宝塚歌劇団に教えにいらしていて、私はその第1期生。19歳でした。宝塚にはシャンソンを題材にしたショーが多くて、19歳のとき「ラブ・ラブ・ラブ」というショーに抜擢されて、アズナブールの曲を歌ったのがシャンソンとの出会い。そのときからずっとシャンソンを歌っています。
美川 シャンソンでは娼婦にも、貴婦人にも、少女にもなれる。殺人者にも。ドラマがあるのよね。
安奈 そう、男にも女にもおじいさんにもおばあさんにもなれる。
美川 シャンソン独特の世界ね。
安奈 私は深緑先生に「毛皮のマリー」を歌いたいって言ったら「だめ」って。「あんたの感じじゃない」って。
美川 私は娼婦の歌、上手よ。はすっぱな女の歌が(笑)。
安奈 「貴婦人」もまだ早いって言われたことがあって。やっと今、その年齢になって歌ってます。
美川 早い早いって言うわよね。
安奈 人生でいろいろ経験すると深みが出る歌が多いですね。逆に「夢見るシャンソン人形」なんかは今歌ったらおかしいけど(笑)。
美川 私は、淡谷のり子さんに「あなたはシャンソン向きだから歌ったほうがいいわよ。今は若いけど年とったら必ず枯れるの。そのときにピアノひとつで歌えるのがシャンソンよ」と言われたの。それで越路吹雪さんを紹介してほしいとお願いしたら「あらぁ、私はどうなるの?」って。お母さまって言うとまずいから、「淡谷さんは、お姉さまのような師匠のような存在です」と答えたら機嫌を直して「いいわ、コーちゃんに電話してあげる」って。それから越路さんとのおつき合いも始まりました。
安奈 越路さんは56歳で逝ってしまいました。1965年から80年まで16年間、日生劇場でロングリサイタルをされたじゃない? 普通は1日でもヘロヘロになるのに、毎年1カ月も公演した。そのストレスが体に来たのかもと思いました。
美川 越路さんは、パリでピアフのライブを観たあとに「私は今まで何をやっていたんだろう」ってホテルでわんわん泣いたんですって。それでロングリサイタルを始めたのよ。1回目のリサイタルは銀座のヤマハホールで。私、そのときの写真を持ってるわ。越路さんにいただいたの。
安奈 そう。越路さんが1953年からリサイタルをされたホールだと聞いて、私も病気から回復して初めてのコンサートはヤマハホールでやりました。光栄でしたし、復帰できた喜びをかみしめた思い出のホールです。
美川 私は初め俳優志望だったの。3枚目のシングル「柳ヶ瀬ブルース」はレコーディング直前まで気乗りがしなくて、憮然と歌ったら、それがかえってよかったみたい。その後もヒット曲に恵まれ、歌とともに年をとって、シャンソンに出合ってやっと年相応の自分らしい歌を歌えるようになったの。今、私は歌があるからこうして生きていられる。そういう意味では60年よくやってきたと思うわ。
安奈 私は自分を歌手だと思ったのはつい最近。宝塚でずっと舞台をやっていたから、歌い手という感覚があまりなかったの。でも、歌っていると体中の細胞が活性化して火事場のバカ力みたいに声が出る。今では、私には歌しかない、と思っています。

お互い、80歳も近いけどしぶとく歌い続けるわ!

––––お二人は昔からの知り合いですか?
美川 私が安奈さんのファンで、よくステージを観に行っていたの。「ベルばら」よりもっと前よ。
安奈 その当時、男性のお客さまは今よりももっと少なくて。美川さんは、いつも一番前に座られる。目立たないようにメガネかけてマスクするから余計目立つ(笑)。東京宝塚劇場で「虞美人」をやったときには楽屋に来てくださって、私があぐらをかいて項羽役のお化粧をしているのを横で横座りでじーっと見てらした。宝塚のお化粧は特殊だし、男役だから珍しかったんでしょうね。今は男性が楽屋に入るなんてとんでもないけど、その時代はゆるかったから。その後、二人があやしいと噂になったの(笑)。
美川 週刊誌に書かれたわね。
安奈 6人で食事したのに週刊誌には二人で食事をしてたって。ウソばっかり。そういうこともありました(笑)。
美川 私は今年80歳。でも、年齢のことは深く考えないようにしている。
安奈 私は来年80歳。母は58歳で亡くなったから、私もそのくらいまでかなと思っていたけど、ここまで生きた。母が守ってくれているのかも。
美川 そうよ。死を身近に感じたことのある人は強いわよ。いろんなものを達観して、強く生きられるのよ。
安奈 今はもう怖いものもあまりないですよ。人間って面白いわね、年をとると物欲もなくなる。
美川 えっ、私はまだあるわ。今もルイ・ヴィトンに凝っていて、よたよたしながら買いに行ってる。
安奈 デパートは好きで、よく見て回るけど、欲しいものがないの。
美川 あらぁ、つまらないわね。私はまだダメだわ。でも、欲しいという気持ちがあるうちは大丈夫だと思っているの。欲は大事よ。
安奈 確かにそうね。
美川 欲張って、しぶとく生きて、歌い続けるのよ! 頼んだわよ。

「しぶとく生きる」 美川語の衝撃誕生秘話

私の実母は、だまされて私を産んだの。実の父親には妻子がいたのに黙っていて、母が身ごもったと聞いても喜ばなかったそうよ。そして、「元気な赤ちゃんが生まれるビタミン剤だよ」って薬を持ってきたんですって。母は女の勘で、それを飲まずに捨てたの。おかげで私が生まれた。私が中1のときに、その話を母がしたの。「あんたは本当は世に出なかった子なのよ。だけど、しぶといから出てきた。絶対に負けない子なんだから、何があってもあきらめちゃダメよ」って。母はそうやって私に強く生きることを教えたの。

撮影/山田崇博
取材・文/依田邦代

※この記事は「ゆうゆう」2026年5月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

元記事で読む
の記事をもっとみる