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いま見に行ける、世界三大巨匠の名建築20

  • 2026.4.22
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自然と調和する「有機的建築」を提唱し、心地よい住空間のあり方を示したフランク・ロイド・ライト。ル・コルビュジエは機能的かつ合理的な建築を目指し「近代建築の五原則」によって住まいや都市のかたちを大きく変えた。そして「Less is more」を掲げたミース・ファン・デル・ローエは、無駄を削ぎ落とした美しい空間を追求し、現代建築のスタンダードを築いた。それぞれが建築の本質を問い直し、モダニズム建築を確立した3人の巨匠たち。その思想と表現は、現代の建築や都市のあり方に深く息づいている。彼らの哲学や功績を体現した世界各地に残る作品の中から、実際に訪れることのできる名作を紹介する。

MPI / Getty Images

フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)

アメリカ・ウィスコンシン州に生まれ、シカゴで建築家としてのキャリアをスタートしたフランク・ロイド・ライト。自然と建築の調和を重視し、建物を周囲の環境や地形と一体化させる「有機的建築」を提唱したことで知られる。

初期には「プレーリー・スタイル」と呼ばれる、水平ラインを強調した住宅を数多く手掛け、独自の作風を確立。私生活や仕事で幾度も困難に直面する波乱に富んだ生涯ながら、革新的な構造や空間構成に挑戦し続け、晩年まで精力的に活動を続けた。自然と人間の関係を問い直すその思想と作品は、現代の建築やデザインにも大きな影響を与え続けている。

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ユニティ・テンプル(1908年)/アメリカ

アメリカ・イリノイ州オークパークに建つユニティ・テンプルは、フランク・ロイド・ライトが30代の頃に手掛けた初期の代表作。火災で焼失した教会の再建として計画され、鉄筋コンクリートを用いて設計された。ライトにとって初のコンクリート建築であり、装飾を抑えたシンプルな外観は、それまでの教会建築にはなかった革新的なものだった。しかし一歩内部に足を踏み入れると、その印象は一変。幾何学的な装飾と、天井の美しいステンドグラスから光が柔らかく差し込み、静かで神聖な空気が広がる。限られた開口部からの光が生み出す落ち着いた明るさは、祈りの場に相応しい精神的な集中を作り出している。構造と素材、空間が一体となった建築は、モダニズムの先駆けとして高く評価されており、現在も教会として使われながら一般公開されている。

ユニティ・テンプル
住所/875 Lake St, Oak Park, IL 60301

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ロビー邸(1909年)/アメリカ

フランク・ロイド・ライトが手掛けたプレーリー・スタイル住宅の最高傑作と言われる、イリノイ州シカゴに建つ「ロビー邸」。1909年、自転車部品製造業者フレデリック・C・ロビーの私邸として完成した。

低く抑えた屋根と深い軒、どこまでも伸びる水平ライン。鉄筋コンクリートとレンガによる構成に、連続する窓が加わり、大地に溶け込むような美しい外観をつくり出している。

内部は、リビングとダイニングが緩やかにつながる開放的な空間となり、光を取り込みながらもプライバシーが守られる巧みな設計に。家具や照明に至るまでライト自身がデザインし、幾何学的な装飾が空間全体に統一感をもたらしているのも特徴だ。

アメリカ住宅建築の新時代を切り開いた記念碑的な存在としても知られる名作。現在はシカゴ大学キャンパス内に位置し、一般公開されている。

ロビー邸
住所/5757 S Woodlawn Ave, Chicago, IL 60637

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自由学園明日館(1921年)/日本

1921年より建築が始まり、1925年に東京都豊島区に完成した「自由学園明日館」は、女性教育の先駆者である羽仁もと子・羽仁吉一夫妻が設立した自由学園の校舎として建設された。設計はフランク・ロイド・ライトと、その弟子である遠藤新によるもので、両者の協働によって生まれた貴重な作品である。

ライトが提唱した「プレーリー・スタイル」の影響が色濃く反映された木造建築は、低く水平に伸びる屋根と自然素材を生かした外観が印象的。内部では光の取り入れ方や空間の連続性が丁寧に設計され、あたたかみと開放感が心地よく共存している。

中央の芝生の庭を囲むように建物が配置され、外部からはプライバシーが守られると同時に、内側に豊かなコミュニティ空間を形づくっている。

そして明日館の顔とも言えるのが、前庭に面した中央棟ホールの大きな窓。幾何学的に構成された木枠と透明ガラスによって、ステンドグラスのような美しさを実現している点も見逃せない。敷地の南側に建つ講堂は遠藤新の設計。生徒数が増えたことでテニスコートだった場所に1927年に完成した。

自由学園明日館
住所/東京都豊島区西池袋2-31-3

博物館 明治村

帝国ホテル中央玄関(博物館 明治村)(1923年)/日本

明治23年(1890年)、海外からの賓客を迎える迎賓館の役割を担い開業した「帝国ホテル」。老朽化や外国人客の増加を背景に、国際水準を満たす施設が必要になり、1923年に2代目本館が完成した。その設計を手掛けたのが、フランク・ロイド・ライトであり、彼にとって初のホテル建築であった。なお建設途中の1922年にライトは設計監理を離れ、その後は弟子の遠藤新が工事を引き継ぎ、完成に至っている。

ライトはこのホテルを都市の玄関口と捉え、重厚で印象に残る建築を構想した。透かしテラコッタの装飾や幾何学的な空間構成を取り入れ、非日常性を備えた場を実現。構造には大谷石と鉄筋コンクリートを用い、耐震・耐火性を確保した。開業当日に関東大震災に見舞われるも、大きな被害を受けなかったことで知られる。

1968年に「帝国ホテル」新本館建設に伴い、ライトが手掛けた帝国ホテルの中央玄関部分は愛知県犬山市の「博物館 明治村」に移築。今も当時の設計や意匠を体感できる貴重な建築として保存されている。

帝国ホテル中央玄関
住所/愛知県犬山市内山1(博物館 明治村内)

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ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)(1924年)/日本

フランク・ロイド・ライトが設計した日本に現存する数少ない住宅建築で、1918年に計画が始まり、1924年に完成。灘の酒造家の別邸として、兵庫県芦屋市の六甲山の傾斜地に建てられた。敷地の高低差に沿って段状に構成された建築は、地形と一体となるように展開し、ライトの提唱する「有機的建築」を体現している。外観には大谷石が用いられ、落ち着いた質感の中に独特の存在感が際立っている。さらに、外装から内装に至るまで幾何学的な装飾がリズムよく施され、細部にまで意匠が行き届いている。

内部では空間が連続的につながり、家具や建具に至るまで統一的にデザインされているのも見どころである。都市近郊にありながら、自然と建築が密接に結びつくこの住宅は、ライトの思想を体感できる貴重な空間であり、実際に訪れてその一体感を味わいたくなる建築である。

ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)
住所/兵庫県芦屋市山手町3-10

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落水荘(カウフマン邸)(1939年)/アメリカ

1920年代後半から30年代前半にかけて、私生活の混乱や世界恐慌の影響を受け、低迷の時期にあったフランク・ロイド・ライト。しかし、それを打ち破るかのように発表されたのが、アメリカ・ペンシルベニア州ミル・ランに建つ「落水荘」である。実業家エドガー・カウフマンの別荘として、豊かな森と滝のせせらぎに包まれた地に計画された住宅で、「滝を眺める家」という施主のリクエストを飛び越え、「滝と共に暮らす家」という大胆な発想へと昇華させた。

鉄筋コンクリートのカンチレバーによって幾層にも張り出すテラスは、滝の上に軽やかに浮かび、自然と建築が溶け合うかのような風景を生み出している。その鮮烈な姿は雑誌の表紙を飾り、世界でもっとも印象的な住宅の一つとしても広く知られている。周囲の自然と呼応させるかのように石や木、ガラスといった自然素材をふんだんに使い、室内と外部の床を連続させることで内外の境界は曖昧に。建築と自然が一体となる感覚を全身で味わうことができる名作建築である。

落水荘(カウフマン邸)
住所/1491 Mill Run Rd, Mill Run, Pennsylvania

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グッゲンハイム美術館(1959年)/アメリカ

マンハッタンを代表する文化的ランドマークとして、世界中の建築家とアート愛好家を魅了する「グッゲンハイム美術館」。フランク・ロイド・ライトが15年の歳月と数百枚に及ぶスケッチを重ねて完成させた晩年の最高傑作である。

白く渦を巻く外観は都市の中で強烈な存在感を放ち、内部では中央の吹き抜けを囲むように緩やかなスロープが連続する。来館者は自然光が降り注ぐ空間を歩きながら、流れるように作品に向き合っていく。構造・動線・外観、さらには光までもが一体となったこの建築は、まさに「有機的建築」の理念を見事に体現したもので、建築そのものが芸術作品としても機能する。来訪者はスロープをゆっくり歩きながら空間とアートが一体になる感覚を楽しむことができる。

グッゲンハイム美術館
住所/1071 5th Ave, New York, NY 10128

Hulton Deutsch / Getty Images

ル・コルビュジエ(Le Corbusier)

近代建築の三大巨匠の一人で、モダニズム建築をけん引したル・コルビュジエ。スイスで時計の文字盤を作る職人の家に生まれ、当初は家業を継ぐために彫刻や彫金を学んでいた。だが、視力の問題などから職人の道を断念し美術学校へ。そこで出会った校長の勧めから建築の道へ進むことに。パリに渡り設計事務所で実践経験を積んだコルビュジエは、1914年にはそれまでのヨーロッパの伝統的な建築様式とは異なる、スラブ・柱・階段を主要要素とする「ドミノシステム」を考案する。そして1922年に従弟のピエール・ジャンヌレと事務所を構え、1926年には鉄筋コンクリート構造の可能性を最大限に生かす、現代建築の設計指針となる「近代建築の5原則」を発表した。

機能性と合理性を重視したコルビュジエの建築理論は、建築にとどまらず、現代の都市計画や家具にも反映されている。数多くの機能的で美しい作品が残されており、その革新性は今なお色褪せることなく人々を魅了し続けている。

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ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(1925年)/フランス

パリ16区に立つ「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」は、ル・コルビュジエ作品の中でも初期の代表作で1925年に完成した。ピエール・ジャンヌレとの共同設計で、銀行家ラ・ロッシュのための邸宅兼ギャラリーと、兄でヴァイオリニストのアルベール・ジャンヌレの邸宅からなる複合住宅となっている。建物にはピロティや屋上庭園、水平連続窓、自由な平面と立面など「近代建築の五原則」が採用されているが、特にピロティはこの邸宅ではじめて登場した。また「ラ・ロッシュ邸」の内部はスロープによって空間がつながり、ギャラリーと住居が有機的に結びつく構成に。コルビュジエが提唱した歩きながら空間の展開を楽しむ「建築的プロムナード」もこの作品ではじめて導入されている。

現在は「ラ・ロッシュ邸」が財団本部として公開されている。建築とアートを同時に体験できるだけでなく、住宅のために特別にデザインされた家具や照明、カラーパレットなども実感できる施設となっている。

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
住所/10 Sq. du Dr Blanche, 75016 Paris

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サヴォア邸(1931年)/フランス

近代住宅の最高傑作の一つとも言われるフランス・ポワシーにある「サヴォア邸」。ピエール・サヴォア夫妻の週末住宅として計画されたもので、ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレが設計。1931年に完成した。白い建物はピロティによって持ち上げられ、自由な平面と立面、水平連続窓、屋上庭園を備え、まさにコルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」を見事に体現した建築として知られる。

内部は1階玄関から屋上庭園まで、それぞれの空間をスロープでつなげることにより、歩いているうちに空間の変化が楽しめる「建築的プロムナード」の構成に。光と風を巧みに取り入れることで内と外を緩やかに一体化させながら、視線にも気を使いプライバシーに配慮した構成になっている。また当時、色彩によって空間を抽象的かつ絵画的に表現するピュリズムの手法を好んだコルビュジエは、場所ごとに異なるパステルカラーを採用。窓から差し込む自然光の変化と相まって、室内はやわらかく明るい印象となり、機能性と豊かな色彩を兼ね備えた心地いい空間が広がっている。

サヴォア邸
住所/82 rue de Villiers, 78300 Poissy

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マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952年)/フランス

ル・コルビュジエが設計した、20世紀モダニズム建築の象徴的集合住宅。「ユニテ・ダビタシオン」とはフランス語で「住居の統一体」や「住居の単位」を意味し、住宅と都市生活を一体化させる思想が反映されている。フランスとドイツに計5カ所作られたが、その第一号となるのが1952年に完成したマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」だ。

建物は重厚なコンクリート打ち放しの箱型構造で、屋上にプールやジムなどの運動施設が、また住民の交流空間として店舗や郵便局、保育園などが設けられ「ひとつの街」として構想された。住まいは一人暮らし用からファミリータイプまでさまざまなタイプが用意され多くがメゾネット形式で構成されている。そのため室内に光と影を美しく取り込む構造となっている。廊下からはマルセイユ港を眺めることができ、開放的な屋上庭園も設けられ豊かな住空間が広がっている。

1961年には、3〜4階部分にホテルが開業し現在も営業中。また多くの住戸が今も居住用として使われいて、建物は一般見学も可能。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン
住所/280 boulevard Michelet 13008 Marseille

Getty Images

ロンシャンの礼拝堂(1955年)/フランス

フランス東部ロンシャンの丘に建つ「ロンシャン礼拝堂」は、ル・コルビュジエが戦後に再建したカトリック教会。大きく膨らんだ曲面屋根に象徴される有機的な形態が特徴となり、それまでの直線的な近代建築から、より人間的で情緒的な空間を追求したコルビュジエの思想転換を象徴する建築としても知られる。

内部に足を踏み入れると、最大で厚さ3mにもなる壁に配された小さなステンドグラスの窓からの色とりどりの光に目を奪われる。さらに屋根と壁の間のスリットからの光も加わり、神秘的な祈りの空間が広がっている。敷地内には他にもコルビュジエが手掛けた巡礼者のための宿泊施設や、ジャン・プルーヴェによる鐘楼、レンゾ・ピアノ設計のビジターセンターと修道院なども点在し見どころも多い。

ロンシャンの礼拝堂
住所/13 rue de la Chapelle F-70250 Ronchamp

©国立西洋美術館

国立西洋美術館(1959年)/日本

東京・上野にある「国立西洋美術館」本館は、ル・コルビュジエが設計した日本で唯一の建築物。第二次世界大戦後、フランス政府に接収されていた実業家・松方幸次郎の美術コレクションが寄贈返還される条件として建設が計画された。設計を任されたのは、近代建築の中心人物であったフランスの建築家ル・コルビュジエ。計画がスタートした1955年には本人も来日して敷地を視察。その後実施設計を弟子となる前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3名が行った。

1959年に完成した本館は、展示の中心となる部屋を中央におきながら展示室を周囲に配置し、必要に応じて外側へ増築可能な「無限成長美術館」構想に基づきデザインされている。内部は緩やかなスロープで上階へ上がることができ、展示空間を連続的に体験できるのも特徴。また1階部分はピロティとなり、周囲の公園とも視覚的につながる開かれた建築に。ル・コルビュジエが目指した建築哲学を体感できる空間として高く評価されている。

国立西洋美術館
住所/東京都台東区上野公園7-7

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ラ・トゥーレット修道院(1960年)/フランス

フランス東部エヴーに建つ「ラ・トゥーレット修道院」は、ル・コルビュジエの晩年を代表する宗教建築で1960年に完成した。1965年、海水浴中に心臓発作で亡くなったコルビュジエだが、パリの「ルーヴル宮殿」で行われた国葬に向かう前、本人の希望から遺体が一晩この修道院に安置されたことでも知られる。丘の斜面に沿って建つ建物は、杭で浮かせたピロティ構造で、コンクリート造による直線的で重厚な外観が印象的。建物は4つの直方体からなり、内部には修道士の寝室や勉強室、聖堂、回廊、食堂、図書室などが機能的に配置されている。不規則に配された特徴的な窓の格子には、設計に参加したコルビュジエの弟子で音楽家でもあったヤニス・クセナキスの数学的思考と音楽的感性が反映され、建物にリズミカルな美しさを添えている。また聖堂では、天窓やスリットから差し込む自然光が空間全体に奥行きと詩的な表情を生み出し、その表情も必見だ。修道院は現在、宿泊も可能。回廊を歩いたり、窓からの光を感じながら、コルビュジエの精神性と実践性を体感して欲しい。

ラ・トゥーレット修道院
住所/Route de La Tourette, 69210 Éveux

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チャンディーガルのキャピトル・コンプレックス(1962年)/インド

多くの都市計画を構想したル・コルビュジエだが、その中で唯一実現に至ったのが、晩年に手掛けたこの「チャンディーガル」である。1947年のインド・パキスタン分離独立を契機に、新たな首都建設の必要が生まれ、インド北部にこの近代都市の構想が描かれた。都市は「セクター」と呼ばれる区画によって整然と分けられ、それぞれに生活・商業・公共機能をバランスよく配置。都市そのものを有機的なシステムとして設計している点に、コルビュジエの思想が色濃く表れている。

そのチャンディーガルの中で、高等裁判所や議事堂、行政庁舎が集まる区画が「キャピタルコンプレックス」と呼ばれ、現在も当初の用途のまま使われている。都市計画と建築が一体となった空間を体感できる貴重な場所となっている。写真は1960年に完成した高等裁判所で、カラフルな柱と大きく張り出した二重屋根が特徴となり、強い日差しや雨から建物を守る工夫が施されている。

チャンディガールのキャピトル・コンプレックス
住所/Sector 1, Chandigarh, 160001

Photo Researchers / Getty Images

ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)

1886年、ドイツ・アーヘンに生まれたミース・ファン・デル・ローエ。近代建築のパイオニア、ペーター・ベーレンスに師事し、近代建築が大きく変化する時代の中で独自の表現を確立していった。1920年代には、有名な「Less is more(より少ないことはより豊かである)」という言葉に象徴される思想を打ち立て、構造と空間を極限まで研ぎ澄ました建築へと到達。その思想は今も世界に影響を与え続けている。1930年にはバウハウス最後の校長に就任し、ナチスにより閉鎖された後はアメリカへ亡命。シカゴを拠点に活動し、ガラスと鉄骨による開放的な建築を発展させた。壁や柱に縛られない「ユニバーサル・スペース」の概念は、現代建築の基準を形づくった。また建築だけでなくデザイナーとしてもその才能をいかんなく発揮したミース。“バルセロナ・チェア”に代表される作品は、建築と同様に時代を超えて愛されている。

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バルセロナ・パビリオン(1929年)/スペイン

1929年のバルセロナ万国博覧会のために建設されたドイツ館。近代建築を象徴するこの作品では、水平ラインを強調した屋根を鏡面仕上げの金属柱が軽やかに支え、大きなガラス面と水盤が美しく調和する。内部は壁などによって視界が遮られることがなく、空間が連続して広がる。厳選された素材と緻密に計算された光も一体となり、ミースの掲げた「Less is more(より少ないことはより豊かである)」を美しく体現している。

また、デザイナーとしても活躍したミースの代表作で、モダンデザインの傑作とされる“バルセロナ・チェア”もこのパビリオンのためにデザインされた。建物は1930年に一度解体されたが、1986年に建築家イグナシ・デ・ソラ=モラレス、クリスティアン・シリシ、フェルナンド・ラモスによって元の場所に忠実に再建。現在はミース・ファン・デル・ローエ財団によって管理され、モダンデザインの聖地として多くのファンが訪れている。

バルセロナ・パビリオン
住所/Avenida Francesc Ferrer i Guardia 7, 08038 Barcelona

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トゥーゲントハット邸(1930年)/チェコ共和国

1928〜1930年に実業家夫妻のために当時のチェコスロバキア・ブルノに建設された邸宅。街を一望できる丘の上に建ち、傾斜地に合わせて3階建てで計画された。最大の特徴となるのは、鋼鉄フレーム構造と大きなガラス壁で実現した開放的な空間構成。とくにリビングフロアでは、柱を壁から分離したオープンプランが採用され、壁で仕切られない伸びやかな空間が広がる。また機能主義建築の最高峰とも評され、電動で開閉するガラス窓や空調設備を備えるなど、当時としては画期的な住宅でもあった。

インテリアには、モロッコ産オニキスやイタリア産トラバーチン、希少な熱帯木材などぜいたくな素材もふんだんに用いられ、家具には“バルセロナ・チェア”や“ブルーノ・チェア”など、ミース自身のデザインも配置。息をのむような美しいインテリアが楽しめる。

なお、施主一家は1938年のナチス侵攻により亡命を余儀なくされ、この邸宅はゲシュタポに接収された。戦後には医療施設として利用されたり、1992年には、チェコスロバキア分離交渉の舞台にもなった。さまざまな歴史の舞台ともなった建物は、現在は博物館としてモダニズム建築とデザインにおける重要な施設となっている。

トゥーゲントハット邸
住所/Cernopolni 45, 613 00 Brno

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ファンズワース邸(1951年)/アメリカ

住宅としてはミースが手掛けた最後の作品となる、アメリカ・イリノイ州ブラノに立つ「ファンズワース邸」。エディス・ファンズワース博士の週末の家として緑豊かな場所に1951年に完成した。

8本の鉄骨柱によって支えられる高床式の長方形建築の内部は、浴室やキッチン、トイレ、収納などからなる木製のコアを中心に、壁のないワンルームとして構成されている。全面がガラス張りとなる透明の建物は周辺の景色を見事に取り込み、まさに自然と一体化したミニマルな住宅となっている。

ミースの理念を最も純粋に体現した作品とされる邸宅は、現在はミュージアムとして一般公開され、その美しさを体感することができる。

ファンズワース邸
住所/14520 River Rd, Plano, IL 60545

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クラウンホール(1956年)/アメリカ

バウハウスの第3代校長を務めたミース・ファン・デル・ローエだが、1933年にナチスによってバウハウスが閉鎖されると、アメリカへ亡命。アメリカでは、イリノイ工科大学建築学科の主任教授として活躍した。その流れの中で、ミースは同大学のキャンパス計画も手掛け、現在も敷地内には彼の建築が数多く残されている。その中でも傑作と称され今も多くの学生たちに影響を与えている建物が、1956年に完成した建築学科の施設「クラウンホール」である。鋼鉄とガラスによるシンプルな構造が特徴となり、柱を外部に配置することで、内部は柱のない広々とした「ユニバーサルスペース」を実現。構造そのものが意匠として表現されミースの哲学を体現している。現在も完成当時の美しさを保ったまま、イリノイ工科大学の建築学部施設として使われている。

イリノイ工科大学クラウンホール
住所/3360 S State St, Chicago, IL 60616

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シーグラム・ビル(1958年)/アメリカ

ニューヨーク州マンハッタンのパーク・アヴェニュー沿いに建つ、超高層オフィスビル。1958年にカナダの酒造メーカー「シーグラム」のアメリカ本社として竣工した。設計は、ミース・ファン・デル・ローエと、「ガラスの自邸」で知られる建築家フィリップ・ジョンソンによるもの。鉄骨構造をブロンズで覆い、ガラスのカーテンウォールを組み合わせた外観は、革新性とともに高級感や重厚さも感じさせる仕上がりである。

なかでも特徴的なのが、建物前面にプラザと呼ばれる広場を設けている点である。都市の中にゆとりある公共空間を生み出すこの手法は、その後の都市デザインや建築規制にも広く影響を与え、世界の高層建築のあり方を形作ったとも言われる。

シーグラム・ビル
住所/375 Park Ave, New York, NY 10152

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新ナショナルギャラリー(1968年)/ドイツ

ベルリンのポツダム広場に建つ「新ナショナルギャラリー」は、20世紀初頭から1970年代にかけてのヨーロッパとアメリカの近現代美術を楽しめる国立美術館。この建物は、ミースがドイツからアメリカへ亡命した後にヨーロッパで手掛けた唯一の作品であり、また亡くなる直前に完成した「最後の建築」としても知られている。

建物は、巨大なガラス窓と水平屋根をもつ地上階と、展示空間が広がる地下階の2層からなる。ガラスと鋼鉄が生み出す透明感あふれる構造は、ミースの提唱した「ユニバーサル・スペース」を体感できる場に。開館から約50年が経った2018年からデイヴィッド・チッパーフィールド建築事務所による大規模な改修工事を実施。オリジナルの意匠を尊重しながら現代的な機能を備え、2021年に美しくよみがえった。

改修後は、地上・地下ともに、自然光がやわらかく差し込む心地よい空間となり、アート鑑賞だけでなく、建築そのものを味わうためにも訪れたくなる場所である。

新ナショナルギャラリー
住所/Potsdamer Straße 50, 10785 Berlin

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