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20年前、空前のブームを巻き起こした「トップモデル」街じゅうのOLが真似した“めちゃモテ”ファッション

  • 2026.8.27
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2019年撮影、写真集「YURI EBIHARA 2002-2019 THE DAYS」「YURI EBIHARA Here I am」の同時発売記念イベントを行った蛯原友里(C)SANKEI

2000年代の半ば、日本の女性誌の風景はひとりのモデルを中心に回っていた。『CanCam』の発行部数は80万部を超え、「エビ売れ」という造語まで生まれた。彼女が着たものが売れる、彼女が出たCMの商品が売れる。マクドナルドの「えびフィレオ」は2005年10月の期間限定商品として4週間で1000万食を売り、翌年1月にレギュラー化され、2007年3月には累計1億食を超えた。

その中心にいた蛯原友里について、当時いちばん多く語られたのは「かわいさの完成形」という評だった。けれどのちに本人が明かしたところによれば、あの象徴的な立ち姿は、憧れの発明ではなく、隠すための工夫の集積だった。

「エビ売れ」という言葉が生まれた数年

1979年10月3日、宮崎県佐土原町(現・宮崎市)に生まれた。大学時代に福岡のデパートの広告に出たことが糸口になり、2002年4月に上京する。翌2003年、ゼスプリのゴールドキウイのイメージガールオーディションでグランプリを獲り、坂口憲二と並んだCMで顔が知られた。

『CanCam』の専属になったのは2003年。以後2008年12月まで、6年にわたって同誌の看板を務める。スタイリスト入江未悠が組み立てた「エビちゃんOL」は、通勤の服として現実的でありながら十分に甘く、街と会社に一気に広がった。誌面の合言葉は「めちゃモテ」。ブランドの高級志向を降ろし、誰の目にも柔らかく映る方向へ舵を切ったこのコピーが、四大赤文字系のなかでの一人勝ちを決めた。

同誌には押切もえと山田優がいて、三人はそれぞれ別のテイストを引き受けていた。フェミニンで甘い側を担ったのが蛯原で、その担当区分がいちばん広く真似された、というのが「ブーム」の実態である。

象徴のポーズは、隠すための工夫だった

のちに『CanCam』のインタビューで、彼女は自分の代名詞になったポーズについてこう語っている。

「脚をクロスにしたり、膝を曲げて脚を上げるポージングをよくしていたのですが、私自身、脚の形にコンプレックスがあって、それを隠すためのポーズだったり」。肩を内側に入れて顎が少し隠れる角度も、輪郭をカムフラージュするためだったという。

真似た側は、あれを「かわいい人の自然な立ち方」として受け取っていた。実際には、鏡の前で自分の弱点を数え、服のどこを見せるべきかを瞬時に判断し、その二つを同時に成立させる技術だった。当時の現場は一日に4、5本の撮影、朝四時半集合で終わりは深夜という日もあった。それでも彼女は「仕事が息抜きだった」と振り返っている。

「エビちゃんっぽくならないように」と言われた日

その代名詞が、次の段階では枷になる。『CanCam』を離れて姉妹誌『AneCan』へ軸を移したころ、撮影現場で言われたのは「そのポージングだと今までのエビちゃんだから」「『CanCam』のエビちゃんっぽくならないように」という指示だった。

「私、エビちゃんなんだけどなぁ」と思いながら、彼女は「いちばん悩んだ時期かもしれません」と当時を語っている。そして続く言葉が、この人の芯を示している。「とにかく、やるしかなかったです」。求められる像を自分の中に落とし込み、その雑誌のエビちゃんを一から研究した。

自分の名前が付いた記号を、他人の手で書き換えられる。しかもその記号は、自分が数年かけて完成させたものである。それを惜しまずに手放し、次の現場の要求へ作り替えたことが、彼女がブームの数年で終わらなかった理由だろう。

20年後、教える側の椅子に

私生活では2009年にRIP SLYMEのILMARIと結婚し、翌年6月にパリ近郊で式を挙げた。2015年11月に長男、2021年11月に長女が生まれている。

仕事の側も、静かに移り続けた。2016年6月に『AneCan』を、2017年12月に『Domani』を卒業。2018年4月には約15年在籍したケイダッシュグループから独立し、個人事務所「Kiharat」を立ち上げた。2022年4月からはテレビ朝日『BeauTV~VoCE』のMCを務め、美容を見せる側から、語り伝える側へ回っている。

ブームというものは、たいてい本人の意思とは無関係に始まり、無関係に終わる。1億食のえびフィレオも、80万部の雑誌も、彼女が望んで起こした現象ではない。ただ、脚の形を気にしていた宮崎出身の女性が、鏡の前で見つけた角度が全国の通勤電車に並んだのは、間違いなく彼女の仕事の結果である。


※記事は執筆時点の情報です

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