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25歳で“イケメン俳優”と電撃婚。結婚式テーマを書いた1年後、自らの結婚を告げた「人気アーティスト」とは

  • 2026.8.27
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2023年撮影、映画「怪物」の大ヒット御礼舞台あいさつに登壇した永山瑛太(C)SANKEI

2010年6月1日。木村カエラは公式サイトに一本の文章を出し、俳優・瑛太との結婚と、妊娠5か月であることを同じ日に告げた。交際の噂もほとんど流れていなかったから、翌朝の見出しは当然のように「電撃婚」で埋まった。

けれど、この日付には静かな符号がある。ちょうど一年前の2009年6月1日、彼女は『Butterfly』の配信を始めていた。親友の結婚式のために書き下ろした一曲である。他人の幸福のために書いた歌が日本中の披露宴で鳴るようになり、その一年後の同じ日に、こんどは自分の結婚を知らせることになった。

さらに言えば、「電撃」と書かれたその月に、彼女はデビュー以来はじめてオリコンのシングルチャートの頂に立っている。結婚を女性の到達点として読む筆致がいちばん賑やかだった時期に、当人の数字は上へ向かっていた。

原宿のカットモデルから、生放送のスタジオへ

1984年10月24日、東京・足立区綾瀬に生まれた。父はイギリス人、母は日本人。芸能への入口は歌ではなく、小学6年生のときに原宿で受けたカットモデルのスカウトだった。

雑誌『CUTiE』の読者モデルを経て、2001年に「ミスセブンティーン」に選ばれ、『SEVENTEEN』の専属モデルになる。そして2003年3月31日、テレビ神奈川の音楽番組『saku saku』に初めて姿を見せ、2006年3月までMCの席に座り続けた。

この順番が、のちの彼女の輪郭をつくっている。歌手として世に出る前に、彼女はすでに数年ぶん、毎日カメラの前でしゃべる仕事をこなしていた。段取りが崩れても慌てない身体、台本の外に出ても成立する言葉。ステージの合間のあの喋りは、二十歳前後の生放送で鍛えられたものだ。日本コロムビアからのメジャーデビューは2004年6月23日、そのスタジオに通いながらのことだった。

『リルラ リルハ』から『Scratch』へ

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2023年撮影、サバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」の概要発表記者会見に登壇した木村カエラ(C)SANKEI

翌2005年3月、『リルラ リルハ』がオリコン初登場3位に入り、名前が一気に外へ出る。同じ年の10月には奥田民生プロデュースの『BEAT』を出し、「CMで流れているかわいい子」から、演奏の現場に立つ人へと軸を移していった。

アルバムの歩みは、その移動をそのまま記録している。2004年12月の1stアルバム『KAELA』は初登場8位。それが2007年2月の3rdアルバム『Scratch』で、初のオリコン週間1位に届く。デビューから3年足らずでの首位だった。

そして2009年の『Butterfly』である。友人に頼まれて書いた私的な一曲が、結婚情報誌『ゼクシィ』のCMに乗り、配信は200万ダウンロードを超えた。紅白歌合戦への初出場もこの曲がきっかけで、2010年にはiTunesの年間1位まで獲っている。

「電撃婚」の八日後に届いた、初めての一位

結婚と妊娠の報せから八日後、2010年6月9日に『Ring a Ding Dong』が発売された。NTTドコモのキャンペーンCMソングで、初週4.6万枚。6月21日付のオリコン週間シングルランキングに初登場1位で入り、デビュー6年目にして、彼女はようやく頂点に触れた。

この曲について、もう一つ書き添えておきたい。歌詞には、生まれてくる子どもを祝福する言葉が織り込まれている。妊娠5か月の告白、歌の発売、そしてキャリア初の首位。三つは同じ2010年6月のなかで重なっていた。

20年、同じ声で

2013年10月7日には第2子の女児が生まれた。夫は2020年から本名の「永山瑛太」を名乗り、『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』を経て、映画『怪物』まで、主演の座を空けないまま歩いている。

木村カエラもまた、出産のたびに現場を手放しはしなかった。2023年には『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』で国民プロデューサー代表として画面の中心に立ち、2024年6月23日にデビュー20周年を迎え、同年10月26日には日本武道館でワンマンライブを開いている。二十歳の生放送で覚えた喋りは、いまも同じように働いている。

2010年6月、あの発表は「電撃婚」と書かれた。けれど同じ月、彼女は初めての1位を手にし、まだ会っていない子どものための歌を世に出していた。結婚で止まった人ではなく、結婚の周りに仕事が集まってきた人である。他人の式のために『Butterfly』を書けた人が、自分の番になっても迷わず歌にしてしまう。彼女にとって歌うことは、祝うことと同じ動作なのだと思う。


※記事は執筆時点の情報です

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