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褒められなくてもいい?人の目に疲れたとき、宮本信子さんにかけられた一言【一田憲子さん】

  • 2026.3.27

褒められなくてもいい?人の目に疲れたとき、宮本信子さんにかけられた一言【一田憲子さん】

私たちは日々誰かの目にさらされながら生きています。「認められたい」「褒められたい」——そんな思いに知らず知らずに縛られてはいないでしょうか。エッセイスト・一田憲子(いちだのりこ)さんが、自身の葛藤や気づきをもとに、自分軸で生きるヒントを綴った新刊『褒められなくても、生きられるようになりましょう』が話題です。一部抜粋してお届けする第1回は、「褒められたい自分」に苦しくなったときの気づきについて。

褒められないと、なぜ苦しいの?

『褒められなくても、生きられるようになりましょう』

こんなタイトルの本を書こうと思ったのは、私が「褒められること」が大好きだからです。逆に言えば、褒められなくちゃつまらない、と思っているということ。

けれど、この呪縛に囚(とら)われていると、生きることがとてもつらいのです。

どんなに頑張っても、褒められるとは限りません。自分が「いい」と思っていても、ほかの人が「いい」と言ってくれるとは限りません。つまり「褒められる」か否かは、自分のコントロールの外にあるということ。自分の力が及ばないところにあるものを「なんとかしよう!」とすればするほど、「外」と「内」の力がすれ違って、どんどん自分を消耗してしまいます。

「人にどう思われるか」に神経をすり減らし、誰かの顔色ばかり見て一喜一憂していた20〜30代のころ、よくベッドの中で泣いていたなあと思い出します。

「あの人にあんなこと言われた……」と、ひとつひとつの出来事に傷つき、感情がジェットコースターのように揺れていたなあ〜。

でも、どうしてそんなに苦しいのか、その理由がわかったのはずいぶんあとになってからでした。30代になって、フリーランスで働くようになると、「私は私」と、のびのびと好きなように生きている人に出会いました。え? なにかが私と違う……。

あるとき、俳優の宮本信子さんにインタビューをさせていただく機会がありました。夫の伊丹十三氏とともに、自分が信じる道を歩き続けてこられたエピソードをお聞きし、最後に「どうしたら、人の目を気にしないで生きられるようになるんでしょうか?」と聞いてみました。すると……。「あなた、ずっと優等生で生きてきたんじゃない?」と宮本さん。「失敗したっていいじゃない。失敗したってあなたの価値は変わらないのよ」。その一言に不覚にも涙がぽろりとこぼれました。そっか。私は優等生でいたかったんだ……。

他人軸で生きることをやめたいと

幼いころから「いい子でいなさい」「人から尊敬される人になりなさい」と育てられました。その結果、私は誰かに褒めてもらえる人になることを一生懸命に目指しながら生きるようになりました。学校では学級委員長を務め、成績はそこそこよくて、品行方正。

そんな優等生体質が、自分を苦しめていると知ったとき、なんとかそこから抜け出したいともがきました。なのにどうしてもやめられない……。他人軸で生きることをやめたいと心から願っているのに、気がつくと「褒められたがっている私」が顔を出します。

世の中には、意識しなくても「人の目なんて全然気にならない」「褒められなくたってまったく平気」という人もいます。彼ら、彼女らは、自分全開で、お腹と頭がちゃんとつながって生きています。どうしたらそんなふうに考えられるの?と聞いてみても、「昔から当たり前にこうしてきた」と涼しい顔です。

いいなあと思う半面、私自身が「褒められたがっている私」からなんとか脱出し、「褒められなくても、生きられるようになる」までのプロセスの中には、なにかとても大切なものが隠されているんじゃないだろうか、と考えるようになりました。そこには「褒められたがってきた」私にしか見えないものがきっとある……。

「褒められなくても、生きていく」ためには、「褒められる」というメモリ以外に、自分の心を満たしてくれる新たな単位を見つけなくてはいけません。いったいそれはどんな単位なのか?

※この記事は、『褒められなくても、生きられるようになりましょう』一田憲子著(主婦の友社刊)の内容を、ウェブ記事用に再編集したものです。

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