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冷凍保存されたマウス脳の電気活動を再起動させることに成功

  • 2026.3.17
冷凍保存されたマウス脳の電気活動を再起動させることに成功
冷凍保存されたマウス脳の電気活動を再起動させることに成功 / Credit:Functional recovery of the adult murine hippocampus after cryopreservation by vitrification

ドイツのフリードリヒ・アレクサンダー大学(FAU)などで行われた研究により、マウスの海馬を中心とした脳組織を極低温で保存したあとに解凍し、再び電気信号が流れることを確かめました。

しかも細胞の形だけでなく、神経どうしの信号のやり取りや、学習に重要な反応までかなり保たれていたという驚きの結果です。

さらに今回は、脳の一部分だけでなく、脳全体の凍結➔解凍のチャレンジが行われ、有望な成果が得られました。

SFでよく見かける冷凍睡眠技術において脳機能の安全な凍結と解凍に、現実の技術が一歩迫った結果です。

研究内容の詳細は2026年3月3日に『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』にて発表されました。

目次

  • 凍った脳は本当に戻るのか――マウスで見えた驚きの答え
  • 凍結➔解凍でも脳はまだ『学習』の仕組みを保っていた
  • マウス脳全体を凍結➔解凍させてみた

凍った脳は本当に戻るのか――マウスで見えた驚きの答え

凍った脳は本当に戻るのか――マウスで見えた驚きの答え
凍った脳は本当に戻るのか――マウスで見えた驚きの答え / 液体窒素などの低温を使用してマウスから摘出した脳切片を凍結させました/Credit:Canva

「冷凍保存」と聞くと、多くの人はSF映画に出てくる宇宙船のカプセルを思い浮かべるかもしれません。

何十年も眠った人があとでピンピンと目を覚ます、あれです。

この問いに立ちはだかっていたのが、「氷の結晶」です。

水を普通に冷凍すると必ず氷ができますが、これが厄介者です。

なぜなら氷の粒は、ただじっと固まるだけじゃなくて、結晶が伸びて広がる途中で神経細胞や脳の回路をぐいぐい押し広げたり、結晶が成長する過程で鋭い刃のように細胞を傷つけることもあります。

しかも水分だけが先に凍り、残った部分が濃くなってしまうので、細胞の中の水分が変な具合に動き回ります。

その結果、細胞はボロボロに切り裂かれるだけでなく、縮んだりふくらんだりして、余計なダメージを受けてしまうわけです。

凍らせた果物を解凍すると新鮮な状態ではなく、ベチャベチャになってしまうのも、細胞やその周りの構造、さらに水分の動きが滅茶苦茶になってしまうからです。

さらに脳を凍らせるときの本当の勝負は、冷凍前と同じ回路として働けるかどうかです。

形が保てていても、内部の神経回路が大きく損傷してしまえば、解凍させた脳は凍結前とは「別物」になってしまいます。

例えばレコードの価値は、ただ円盤の形にあるのではなく、その表面に刻まれた凸凹(音楽情報)が保たれているかどうかです。

レコードの円盤状の外観が保たれていても、細かい凸凹が保てていなければ、意味がありません。

脳の場合も似ていて、微細な神経回路の微妙なつながりの形こそが生命線になるわけです。

そこで研究者たちは脳を単純に凍らせるのではなく、氷を作らない特殊な方法を試すことにしました。

凍結➔解凍でも脳はまだ『学習』の仕組みを保っていた

凍結➔解凍でも脳はまだ『学習』の仕組みを保っていた
凍結➔解凍でも脳はまだ『学習』の仕組みを保っていた / Credit:Functional recovery of the adult murine hippocampus after cryopreservation by vitrification

氷を作らない方法として研究者がとったのは「ガラス化」と呼ばれる方法でした。

この方法だと、水は氷ではなくガラスのように固まります。

氷と違い、ガラス化は大きく広がる結晶ができにくいため、細胞を切り刺したり神経同士のつながりを切断する危険性は大きく下がります。

研究ではまず、マウスの脳から、記憶に重要な「海馬」の薄いスライスを切り出して、特殊な保存液で急速に冷やしました。

その後に温め直し、詳細な観察を行いました。

まず見えてきたのは、ただ形だけが残ったわけではない、ということでした。

電子顕微鏡で見ると、神経細胞の膜やシナプス(神経どうしのつなぎ目)の輪郭はかなり保たれており、情報を受け取る小さな突起も大きく崩れていませんでした。

ただ形だけ保たれていても、復活とは言えません。

そこで次に、細胞が酸素を使ってちゃんと生きているかをチェックしました。

すると解凍後の海馬の切片は、元の76%前後のレベルで酸素を使って呼吸ができていました。

つまり解凍後の脳細胞は生きている状態にあったのです。

さらに、電気信号もかなり回復し、細胞どうしが情報交換できることが示されました。

単一の細胞で見ても、細胞の種類ごとに差はあるものの、発火そのものや自発的なやり取りはかなり保たれていました。

(※なおこうした薄い切片で詳しく観察できたのは10〜15時間ほどでした。いわば、この薄い切片そのものの寿命がそのくらいだったわけです。)

ここまでも驚きですが、今回の最大の目玉はここからです。

脳には学習や記憶を担当する回路があって、よく使われるとその回路が強くなり、新しい情報を記憶できるようになります。

今回の研究では、脳切片に新たな電気刺激を与えると、神経どうしが情報を伝える力が長く強まる反応が起こることがわかりました。

さらに海馬の別の回路では、この反応がむしろ強く観測された部分さえありました。

これは、学習や記憶を支える回路の働きが、解凍後にもかなり残っていたことを示しています。

もちろん、完璧にすべて戻ったとは言えません。

短い時間だけ強く変わる反応は一部で弱まり、細胞の種類によって回復のしかたにも差がありました。

それでも今回、「凍らせた脳を解凍しても学習の基本メカニズムが再起動した」という事実のインパクトは計り知れません。

しかし研究はそこでは止まりませんでした。

マウス脳全体を凍結➔解凍させてみた

マウス脳全体を凍結➔解凍させてみた
マウス脳全体を凍結➔解凍させてみた / Credit:Functional recovery of the adult murine hippocampus after cryopreservation by vitrification

研究チームは、脳の一部だけではなく、脳全体を頭の中に残した状態でも挑戦しました。

ただこれはぐっとハードルが高くなります。

というのも、脳全体をきちんと守るには、薬剤や水分を脳全体へ均一に届けることが難しいからです。

少しでもバランスが崩れると、水分が片寄ってしまって脳が縮んだり膨らんだりします。

脳細胞にとっては、ただ凍る以上に過酷な環境なりえます。

今回もやはり難しく、最終的な実験で生理学的な評価まで進められた標本は約3分の1でした。

しかし重要なのは、その成功したケースです。

脳全体を凍らせたあとでも、脳の記憶に深くかかわる「海馬」の入り口に近い領域では、神経細胞の電気的な活動がかなり保たれていました。

さらに、学習や記憶を支える長めの仕組みもは保たれていました。

この結果は、全脳レベルの冷凍➔解凍を行っても、一部の細胞が生き残れるだけでなく、学習や記憶を支える細胞レベルの仕組みの一部が保たれていたことを示します。

この結果が意味するのは、脳の働きが思っていた以上に「形」と深く結びついている可能性です。

脳は電気の火花が飛んでいるだけの器官ではありません。

無数のつながり方そのものが、働きの土台になっています。

だからこそ、その形を壊さずに止められれば、機能もまた立ち上がる余地があるのです。

今回の研究は、その考えをかなり強い形で支えました。

脳は壊れやすい一方で、正しい守り方さえできれば、驚くほどしぶといのかもしれません。

もちろん、ここからすぐに人間の冷凍睡眠や、記憶をそのまま未来へ運ぶ話に飛ぶことはできません。

確かめられたのは主にマウスの海馬であり、脳全体では成功率もまだ高くありません。

それでも価値が大きいのは、今回の研究が「凍らせても残るものは何か」を、夢物語ではなく具体的な回路の働きとして測ってみせたからです。

ドイツの研究者アレクサンダー・ジャーマン氏は、将来は宇宙旅行や、いまは治療法のない病気の患者のための選択肢につながるかもしれないと語っています。

もしかしたら未来の世界では、適切なガラス化で冷凍された「復活を前提とした脳」を故意に破壊することが、いまの私たちが考えるよりはるかに重い行為とみなされるのかもしれません。

元論文

Functional recovery of the adult murine hippocampus after cryopreservation by vitrification
https://doi.org/10.1073/pnas.2516848123

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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