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いま見に行ける、ル・コルビュジエの弟子が手がけた名建築

  • 2025.12.25
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ル・コルビュジエ(1887-1965)は、サヴォワ邸やユニテ・ダビタシオン、ロンシャン礼拝堂など、主に打放しのコンクリートを用いた数多くの名建築を残すとともに、「近代建築の5原則」を提唱するなど近代建築の考え方を定義づけた「モダニズム建築の巨匠」。日本でもその影響は強く、技術面のみならず、建築思想や、都市のあり方にまで及んだ。

ここで重要な役割を果たしたのは、ル・コルビュジエのもとで学んだ日本人建築家だった。本記事では、日本の建築界を牽引した前川國男と坂倉準三に加え、戦後にル・コルビュジエのアトリエに入所した吉阪隆正、そして、そこで学んだ最後の日本人建築家、進来廉の作品を紹介。実際に「見に行ける」建築を厳選したので、ぜひ訪れて彼らが巨匠から学び取ったものを見て、感じてほしい。

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前川國男

新潟県に生まれ、東京で育った前川國男(1905-1986)は、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、渡仏。パリに到着すると、ル・コルビュジエのアトリエに入所。学生時代に建築雑誌を通してその作品に触れて以来、卒業論文のテーマにも選ぶなど心酔していた建築家のもとで学び、働く機会を得た。帰国後はアントニン・レーモンドが主宰する建築事務所に入り、1935年に独立。戦後は、東京文化会館など公共建築を多く手がけるとともに、日本建築家協会会長をはじめ要職を歴任し、建築界で存在感を示した。

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東京文化会館

ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館と向かって佇む姿が印象的な東京文化会館は、開都500年記念事業として計画され、1961年に竣工。延べ面積2万1,234平方メートルの建物を囲むコンクリート打放しの庇(ひさし)が印象的だが、その高さは美術館のそれと合わせられており、上野公園に一体的な空間をつくり上げている。

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木枠の木目が残り、巨木のようなコンクリート製の柱を見ながら内部に入ると、彫刻家の流政之が手掛けたレリーフのあるエントランスホールに身を置くこととなる。その先には、不規則にちりばめられた照明が星空のように見える大ホールホワイエが。オペラやバレエの上演も想定された大ホールは5階建て2303席。舞台脇の壁面を飾る木製反射板を手がけたのは、彫刻家の向井良吉。

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この他、地下1 階から地上4階までに、コンクリート打放しで仕上げた小ホールのほか、楽屋やリハーサル室、各種会議室や音楽資料室が入る。

東京文化会館
住所/東京都台東区上野公園5-45

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前川國男邸

太平洋戦争が始まった翌年に竣工した、前川國男の自邸。1973年に一度解体されたが、その後、江戸東京たてもの園に移築復元され、現在はここで一般公開されている。

設計が進められたのは1941年。戦時体制下にあった当時は、30坪未満という建築制限に加え、金属が手に入らないなど建築資材の調達も困難な状況だった。そのような中、前川國男建築事務所の所員で、本件の設計を担当した崎谷小三郎は、前川の指示を受けながら、切妻造に瓦屋根をのせた2階建ての住宅を計画した。

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完成したのは、吹き抜けの居間を設えた、開放的な住まい。南側の庭に向けて大きな開口部を設けているため、明るく、1日を通して景色の移り変わりを楽しむことができる。厳しい制約の中にあっても、木造住宅でモダニズムを実践しようとした前川の試みを感じることができる。

前川國男邸
住所/江戸東京たてもの園 東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)

©東京都美術館

東京都美術館

建築家の岡田信一郎が設計し、東京府美術館として開館した美術館の改築を求められたことから始まった計画。東京都からは、企画展の開催と公募展の開催、そして教育・普及のための文化活動という3つの独立した機能をもたせることに加え、公園内の樹木を切ってはいけない、軒高を15メートルまでに収める、などの条件を出された。これらを叶えるため、前川は総面積の約60%近くを地下に設ける案を採用。

©東京都美術館

建設前の状態が残されたイチョウやシイ、ケヤキが並ぶ中、各棟がリズミカルに配置されている。エスプラナード(遊歩道)の先にあるメインエントランスから中に入ると、前川建築には珍しく、随所でアーチを描く「かまぼこ天井」が見られる。温かみのある色は、インド砂岩によるもの。オリジナルのカラフルな椅子やグラフィカルに並べられた床のタイルが、館内を軽快に彩る。

©東京都美術館

東京都美術館
住所/東京都台東区上野公園8-36

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坂倉準三

坂倉準三(1901-1969)は、岐阜県生まれ。東京帝国大学文学部では美術史を学んだものの、卒業論文でゴシック建築を扱ったことがきっかけで建築に興味をもち、その道を志す。卒業後に渡仏。ル・コルビュジエのアトリエを目指し、前川國男と入れ替わる形で1931年に入所し、さまざまなプロジェクトに携わる。1937年のパリ万国博覧会では日本館の設計を担当。建築部門のグランプリを獲得し、その名が世界に知れることとなった。帰国後、自身の事務所を設立し、公共施設をはじめ多くの作品をのこす。

Photo : Hiroaki Tanooka

泊船 HAKUSEN

板倉が「まちを見下ろさない庁舎」を目指して設計し、1964年に竣工した旧上野市庁舎が、図書館、観光交流、宿泊施設という3つの機能を内包する複合施設「旧上野市庁舎 SAKAKURA BASE(サカクラベース)」として、再生した。このうち、2階に開業した宿泊施設が、「泊船 HAKUSEN」だ。

Photo : Hiroaki Tanooka

水平ラインを生かした建築を覆うのは、打放しのコンクリート。よく見ると木目を確認できる。これは館内にも連続していて、同じ素材が柱や梁として使われている。木目は、タモ材を用いた壁面とも呼応。さらに、土の色を思わせるタイル、本来の色を生かした木材やコンクリートなど自然を感じさせる要素を積極的に取り入れた。

Photo : Hiroaki Tanooka

改修設計を担当したのは、MARU。Architecture。オリジナルの特徴を生かしつつ、新たな用途に求められる機能にふさわしいデザインを取り入れていった。なお、SAKAKURA BASEには、2026年4月、図書館も開業予定。

泊船 HAKUSEN
住所/三重県伊賀市上野丸之内116 旧上野市庁舎 SAKAKURA BASE

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鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(神奈川県立近代美術館 旧鎌倉館)

日本初の公立近代美術館として1951年、鶴岡八幡宮に誕生した神奈川県立近代美術館は、葉山館の開館を受けて2003年に名称を「神奈川県立近代美術館 鎌倉」(略称「鎌倉館」)と改めた。その後、2016年3月に閉館。現在は「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として運営されている。

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坂倉がパリ万国博覧会でグランプリを獲得した日本館や、ル・コルビュジエによる作品の影響を認めることができるこの建築は、鉄骨構造2階建て、延床面積1,575平方メートル。主要部分は2階に配置し、それをピロティが支える。また、建築と庭園の関係性、そして緑や水の風景と溶け合う姿は、桂離宮などの伝統建築を想起させ、板倉がフランスで学んだものと日本古来の文化を融合させようとした試みを感じられる。

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鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
住所/神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53

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岡本太郎記念館

芸術家の岡本太郎が42年にわたって住み、作品をつくり続けたアトリエとサロンが入る旧館に、新築の展示棟を加えた記念館。岡本は、1929年から1940年までパリで学び、活動しており、同時期に滞在していた坂倉とは、現地でも親交があった。その縁で坂倉に設計が依頼された。

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坂倉が設計を手がけた旧館は、1954年に完成。坂倉準三建築研究所の所員でのちにル・コルビュジエに師事することとなる村田豊が現場を担当した。限られた予算の中、2人はコンクリートブロックを積み上げて壁面とし、さらに凸レンズを2つ組み合わせたような屋根の反発力を利用して応力外皮構造を実現。その下に位置するアトリエの広さを確保した。

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応接や打ち合わせに使われたサロンでは、大きな掃き出し窓が、室内と庭の境界をあいまいに演出している。彫刻と植物が渾然一体となった庭も必見。

岡本太郎記念館(旧館)
住所/東京都港区南青山6-1-19

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飯箸邸

1939年にフランスから帰国した坂倉による、日本デビュー作となった住宅。大きな切妻屋根の下に、居間を中心とした室内空間が収められている。東京・等々力に建てられたが、2007年に解体。その後、長野・軽井沢の追分に移築され、現在はイタリアンレストラン「飯箸邸」として運営されている。

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戦時下で30坪を超える木造住宅の建設が制限されていたため、決して広くはない平屋ながら、シンプルな空間構成であることに加え、スキップフロアの採用(居間に隣接する洋室が、半階上がった構造に)や庭に向かって大きく開けられたガラス扉などにより、その制約を感じさせない。

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なお、寒冷地に移築するにあたり、構造材や瓦、タイルなどは新しい環境にふさわしいものに変更された。室内には、坂倉がデザインした「天童木工」の椅子なども置かれているので、こちらも合わせて楽しみたい。

飯箸邸
住所/長野県北佐久郡軽井沢町追分46-13

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吉阪隆正

吉阪隆正

吉阪隆正(1917-1980)は、前川國男や坂倉準三より一世代若い建築家。東京に生まれるが、父親の仕事の関係で、スイス・ジュネーブなどで幼少期を過ごす。その後、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同大学教務補助に着任。1950年からフランス政府給付留学生としてフランスへ渡り、2年間をル・コルビュジエのアトリエで働く。帰国後は早稲田大学構内にU研究室を設立し、教育活動とともに設計の仕事も積極的にこなしていった。代表作にアテネ・フランセや大学セミナー・ハウスなど。また、自著の執筆に加え、ル・コルビュジエ著作の翻訳も手がけた。

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大学セミナーハウス

国公私立の大学をつなぐ教育の場として構想され、1965年、多摩丘陵に完成した施設。「セミナーハウス」は、同施設の設立提唱者で国際基督教大学の職員だった飯田宗一郎による造語。吉阪と彼の主宰するU研究所がこれを具現化していった。

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約7万4,000平方メートルの敷地には、開設当初、本館やサービスセンター(現・交友館1階)、100棟に及ぶユニットハウス群などが展開していた。その中で、今も変わらず目を引くのが、逆ピラミッド型の本館である。「大地に知の楔(くさび)を打ち込む」という理念が形となった大学セミナーハウスのシンボルだ。建物の外周にスペースをつくり、広い最上階には200名を収容できる食堂が入ることが目指されていたため、機能も満たし、理にかなった設計となった。外壁の杉板型枠の打放しコンクリートなど、吉阪がこだわり続けたコンクリートの表情にも注目したい。

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大学セミナーハウス八王子
住所/東京都八王子市下柚木1987-1

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進来廉

ル・コルビュジェのアトリエで学んだ最後の日本人建築家、進来廉(1926-2009)は、東京大学工学部建築学科を卒業し、前川國男建築設計事務所に入所。1955年に渡仏し、ル・コルビュジエの他、ジョルジュ・キャンディリス、ジャン・プルーヴェやシャルロット・ペリアンにも師事。1963年に帰国後、レン設計事務所(後にキャビネ・レン・スズキ)を設立する。主な作品に、東京を含むエールフランス社の支店や建築家会館など。1970年の大阪万博では、ワコール・リッカーミシン館の設計を担当した。

Daisuke Hashihara

バンドル ギャラリー

進来廉率いるキャビネ・レン・スズキが設計し、1974年に完成した個人邸。延べ面積132平方メートルの平屋。同じ敷地内には、施主の両親が住んだ母屋としての日本家屋も立つ。2022年にインテリアスタイリストの川合将人が、建築創作研究所の協力により、内装を尊重しながら復元改修し、新たなスペース「バンドル ギャラリー」として運営を開始した。

Daisuke Hashihara

設計の際に施主が依頼したのは、生活感がなくアートや家具が映える建物であること。さらに、屋内外が融合するような雰囲気を希望。これに対して進来が提案したのは、空間構成の自由度が高い壁構造だった。

Daisuke Hashihara

家の中心となるのは、暖炉のあるリビング。南側と西側に開口部があり、玄昌石張りの床はほぼ同じ高さのままテラスへつながり、屋外の空気を部屋の中へ取り込む。トップライトから入り込む自然光が、室内をすみずみまで照らし出す。居住空間以外にも、住宅と一体的にデザインされた塀や、母屋との関係性から高さを抑えた屋根など、見どころは多い。

バンドル ギャラリー
住所/千葉県野田市野田 57

Courtesy of Tadao Ando Architect & Associates.

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