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建築好きがいくべき、「国宝」の名建築10

  • 2025.12.24
松本城

国宝とは、国の有形文化財のうち、特に重要であり、世界文化の見地から特に価値の高いと認められたもの。現在、国宝に指定されている文化財は1149件、そのうち建造物は233件303棟(2025年12月現在)だ。各時代の技術者や芸術家の力が結集した建築は見どころが多く、さまざまな視点から楽しむことができる。本記事は、そんな国宝の名建築の中から、外観に内部のディテール、竣工に至る歴史まで堪能できる城郭や教会建築、旧学校などを特に注目したい10件をピックアップ。この機会に、気になるところから訪れてみてはいかがだろうか。



提供:姫路市

姫路城/兵庫

真っ白な外観と、その美しい佇まいから「白鷺城」という異名をもつ、17世紀初頭、日本の城郭建築の最盛期に造られた木造建築の最高傑作。1609年、池田輝政によって築かれて以来、戦などで大きく損傷することもなく、今に至る。現在の姿が整ったのは、本多忠政が西の丸を造営した1618年。敷地(内曲輪)の広さは約23haに及ぶ。

提供:姫路市

姫路城郭の一番の見どころである「大天守」は、南面を正面とし5重(「重」は屋根の数を意味する)6階、地下1階。それぞれの屋根の千鳥破風(ちどりはふ、屋根の上にのるで出窓のような屋根)・唐破風(からはふ、半円型の屋根)と軒隅の反りが立体的に組み合わされている。

<写真>「大天守」の外観。最上階の屋根に据え付けられた大鯱(しゃちほこ)瓦にも注目。

提供:姫路市

この他、それぞれ「大天守」の南西、北東、西北に位置するのが、「西小天守」「東小天守」「乾小天守」だ。これらにイ・ロ・ハ・ニの渡櫓(わたりやぐら)を合わせた計8棟が国宝に指定されている。

なお、姫路城では、2009年から2015年にわたり「平成の修理」が行われ、「白鷺」を思わせる真っ白なしっくい壁が復活した。

<写真>「大天守」内部、最上階の様子。

提供:姫路市

姫路城
住所/兵庫県姫路市本町68

写真提供:松本城管理課

松本城/長野

松本城天守群は、「大天守」「乾小天守」「渡櫓(わたりやぐら)」「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」「月見櫓(つきみやぐら)」の5棟で形成されており、この天守群が国宝に指定されている。この中で「大天守」「乾小天守」、そしてこれらをつなぐ「渡櫓」は戦国時代末期に築造され、「辰巳附櫓」と「月見櫓」は江戸時代初めに完成したと言われている。

写真提供:松本城管理課

松本城天守の外壁の上部は白しっくい仕上げで、下部は黒漆塗の下見板。この下見板の役割は、屋根で防ぎきれない雨水をはじいて天守の壁を守ることだった。

写真提供:松本城管理課

「渡櫓」の2階には、曲がった木がそのままの状態で梁として使われている場所も。自然木を加工せずに使うことで、強度を保った。

写真提供:松本城管理課

戦乱の世が終わり平和な時代に増設された「辰巳附櫓」には、石落(石垣に到達した敵を攻撃するために、床に開けた穴のこと)がなく、「月見櫓」の「舞良戸(まいらこ)」と呼ばれる板戸には、武備がない。また、朱色の漆をほどこした刎高欄(はねこうらん)も、泰平の世の豊かさと平穏を感じさせる。

見学の際には、それぞれの時代背景を反映した建築の特徴にも目を向けたい。

<写真>月見櫓の三方を巡る刎高欄。

写真提供:松本城管理課

松本城
住所/長野県松本市丸の内4-1

提供:元離宮二条城事務所

元離宮 二条城/京都

江戸幕府の初代将軍、徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築いた城。

提供:元離宮二条城事務所

見どころは多いが、その中でも、全6棟の建物からなる国宝「二の丸御殿」は、住宅様式・書院造の代表例として日本建築史において非常な重要な遺構だ。1867年、15代将軍慶喜が「大政奉還」の意思を表明した舞台として記憶している人も多いのでは。

提供:元離宮二条城事務所

3代将軍家光の時代に行われた大規模な改修の際には、狩野探幽率いる狩野派によって《松鷹図》(写真)などの障壁画も数多く加えられた。この他にも厚さ35cmのヒノキの板を両面から透かし彫りした欄間彫刻や飾金具など、将軍の御殿にふさわしい豪華絢爛なしつらえとなっている。

二条城二の丸御殿は、江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に現存する唯一の御殿群として1952年、国宝に指定された。

<写真>「二の丸御殿」には、《松鷹図》を含め、約3600面もの障壁画が残されている。

元離宮 二条城
住所/京都府京都市中京区二条城町541


出典:内閣府迎賓館HP

迎賓館赤坂離宮/東京

1909年に東宮御所として建設された、日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物。第二次世界大戦後、国の迎賓施設として大規模な改修を実施。和風別館の新設と合わせて1974年に現在の迎賓館として新たな歩みを始めた。その後、2009年の大規模改修工事を経て、日本の建築を代表するもののひとつとして、国宝に指定。

東宮御所設計・建設の総指揮をとったのは、ジョサイア・コンドルの弟子だった片山東熊。この他、当時第一線で活躍してきた芸術家や技師が集められた。

出典:内閣府迎賓館HP

メディアに登場する機会も多い本館の正面玄関から中央階段を上がり、さらに進むと、賓客のサロンとして使われ、表敬訪問や首脳会談が行われる「朝日の間」(写真)。床に敷かれた敷物、緞通(だんつう)は、桜花をモチーフにしたもので、この微妙な色調の変化をつけるために、47種類の色の糸が用いられている。それを照らすのは、創建時にフランスから輸入されたクリスタルシャンデリアだ。

出典:内閣府迎賓館HP

「朝日の間」と相対するのは、条約の調印式などに使われる「彩鸞の間」(写真)。室内の装飾には19世紀初頭ナポレオン一世の帝政時代にフランスで流行したアンピール様式を採用した。

この他にも、天井画が雅な「羽衣の間」や公式晩餐会が催される「花鳥の間」も必見。そして、豪華絢爛な館内はもちろん、四季折々の植物を楽しめる庭園も見どころなので、こちらも訪れて欲しい。

出典:内閣府迎賓館HP

<写真>「花鳥の間」のシャンデリアは、1基が1,125㎏もある、迎賓館赤坂離宮の中で最も重いシャンデリア。中には球形スピーカーが組み込まれている。

迎賓館赤坂離宮
住所/東京都港区元赤坂2-1-1

画像提供 富岡市

富岡製糸場/群馬

富岡製糸場は、明治政府が自国資本によって建てた大規模な器械製糸工場。指導者として製糸場に迎えられていたフランス人、ポール・ブリュナが計画書を作成し、これをもとに、1871年に建設が始まり、翌年には主な建造物が完成、操業が開始した。

<写真>「東置繭所」の中には、現在、シルクギャラリーやショップも入る。

画像提供 富岡市

日本における製糸業の衰退とともに、富岡製糸場もその歴史に幕を閉じるが、大半の建物は大切に保管され、2014年6月には世界遺産に登録。さらに、同年12月には「繰糸所」「西置繭所」「東置繭所」の3棟が国宝となった。

創業時、「西置繭所」と「東置繭所」は対となって建てられていた。共に繭を貯蔵し、長さ104mに及ぶ「東置繭所」は、2階に乾燥させた繭を貯蔵。1階は事務所・作業場として機能した。来訪者を最初に迎える木骨レンガづくりの建物でもあり、アーチ中央の要石には創業年「明治五年」が刻まれている。

<写真>「東置繭所」と対で建てられた「西置繭所」。

画像提供 富岡市

「繰糸所」は、繭から糸を取る作業が行われていた建物。こちらは長さ約140mの巨大な工場で、フランスから導入した金属製の繰糸器300釜を設置。屋根にトラス構造を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作り出すことができた。

<写真>創建当時、世界最大規模の器械製糸工場だった「繰糸所」。

画像提供 富岡市

富岡製糸場
住所/群馬県富岡市富岡1-1

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旧開智学校校舎/長野

1873年、廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校。3年後に同じ土地に新校舎が建てられ、1963年まで使用された。2019年、近代学校建築としては初めて国宝に指定。

同校が計画された明治初期は、日本中が文明開化に沸いていた時代。建物も洋風なものが求められていたため、設計施工を率いた棟梁の立石清重は東京や横浜といった都市に出て情報を集めた。

こうして日本の伝統技術や身のまわりの材料を応用し、洋風を目指した建物は「擬洋風建築」と呼ばれた。

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旧開智学校でも、建物四隅の模様は西洋建築における石積みのようにも見えるが、実はしっくいに色付けし、コーナーストーンのように仕上げている。また、木柱にレンガ模様を描くなど、「塗り」の技術を駆使。建物正面に見える、天使と龍の彫刻を並べてレイアウトした独創的な車寄は圧巻だ。

校内では、校舎の設計基準が定まっていなかった当時において、整った教育環境を実現しようとした意図が見える。たとえば中廊下によって各教室を独立させて、それぞれの広さも統一し、子どもたちが学ぶ教室はなるべく南側に配置しようとした。立石がデザインしたとされる洋風の装飾がほどこされた照明など凝った内装も必見。

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旧開智学校 校舎
住所/長野県松本市開智2-4-12

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旧閑谷学校/岡山

岡山藩主池田光政が、1670年に日本初の「庶民のための公立学校」として創建。その後、この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣、津田永忠が、約30年かけて1701年に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させた。

敷地内には数々の建造物がのこるが、その中心となるのは学問の殿堂であり、国宝に指定された入母屋造の「講堂」だ。「しころ葺き」(大棟から軒まで一面ではなく、途中に区切りがある)の大屋根と花形の火灯窓が独特の外観を形成する。この屋根は創建当時、茅葺きだったが、改築の際に現在の堅牢な備前焼瓦に葺きかえられた。

<写真>旧閑谷学校の敷地中心部に位置する「講堂」の外観。

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内部は10本のケヤキの丸柱で支えた内室と、その四方を囲む入側(いりかわ)で構成。拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれており、火灯窓から入る光をやわらかく反射させている。

敷地内には、この他にも「校門」や、1686年に造営された池田光政を祀った「閑谷神社」、儒学の祖、孔子の徳を称える「聖廟」をはじめとする重要文化財や、旧閑谷学校の貴重な資料が展示されている「資料館」も。見どころが多いので、ゆっくりと時間をかけてめぐりたい。

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旧閑谷学校
住所/岡山県備前市閑谷784

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本願寺/京都

親鸞聖人が開いた浄土真宗の教えを伝える本願寺には、「阿弥陀堂」、「御影堂」、「書院」(「対面所」「白書院」など)、「唐門」、「飛雲閣」、「北能舞台」といった多くの国宝建造物が立つ。

中心となるのは、親鸞聖人の木像を安置した1636年再建の「御影堂」と、1765年に再建され、阿弥陀如来の木像などが安置されている「阿弥陀堂」だ。

また、「対面所」と「白書院」に大別できる「書院」は、桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式の代表例。床、違い棚(段違いに取り付けた飾り棚)、帳台構え(装飾的な出入り口)、付書院(床の間横に張り出した棚)といった座敷飾りを完備し、金碧障壁画や彫刻で彩られている。

「黒書院」は、「白書院」一の間の東北隅から板敷と畳敷の複廊で繋がる重層柿葺寄棟造(じゅうそうこけらぶきよせむねづくり)の建物。「白書院」が公の対面の場であるのに対し、「黒書院」は内向きの対面や接客などに使われてきた。

<写真>「書院」の中でも大きな広間である「対面所」。上段正面の欄間に雲間を飛ぶ鴻の透かし彫りがあることから、「鴻(こう)の間」とも呼ばれる。

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「書院」の北側には、現存する最古の能舞台である「北能舞台」も。

「飛雲閣」は、境内の東南隅にある名勝「滴翠園(てきすいえん)」の池に面して建つ三層柿葺(こけらぶき)の楼閣建築だ。

<写真>「飛雲閣」は、金閣、銀閣とともに京都三名閣。三層からなる楼閣(ろうかく)建築。

本願寺
住所/京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町

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大浦天主堂/長崎

長崎湾を見下ろす丘に立つ、日本におけるキリスト教の教会建築を代表する建物。1864年、居留地に住む外国人のために建てられた大浦天主堂は日本に現存する最古のカトリックの教会堂で、教会建築として唯一、国宝に指定されている。

設計を担当したのは、開国した日本に布教をすすめるべく長崎に派遣されていたフランス人のフューレ神父とプティジャン神父。天草出身の大工棟梁、小山秀之進が施工を行なった。ゴシック様式が採用され、高い八角尖塔を持つ。

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入り口に立つマリア像を見ながら足を踏み入れると、中央大扉尖頭式アーチ形の窓や大祭壇などに設えられたステンドグラスが、教会内に色とりどりの光を取り込む。

さらに注目したいのは、高いアーチ型の天井が欧米によく見られる石ではなく、木の補強財を用いたリヴ・ヴォールト(こうもりが羽を広げた姿にも似ていることから「こうもり天井」とも)である点。施工を担った日本人大工たちの技術力を思わせる。

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大浦天主堂
住所/長崎県長崎市南山手町 5-3

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通潤橋/熊本

1854年に完成した長さ約78m、高さ約21.3mにおよぶ近世最大級の石造アーチ水路橋。周囲を谷と河川に囲まれている水源に乏しい白糸大地へ農業用水を送るため、五老滝川に架けられた。アーチ橋に凝灰岩製の通水管をのせる独特の構造で、今も約100haの水田を潤している。

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通潤橋から勢いよく放水されている様子は、さまざまなメディアを通して目にしたことがある人も多いのでは。これにより、橋の心臓部ともいえる通水管の内部にたまった土砂やゴミが排出される。

2016年4月の熊本地震による橋上部の損傷に加え、2018年5月の豪雨で石垣が崩落するなどの被害を受け、保存修理工事が行われたが、2020年に放水が再開。放水のスケジュールは、公式サイトなどに発表されているので、事前にチェックすることをお忘れずに。

近くには通潤橋史料館も。ここでは、通潤橋がかけられるまでの工程や、橋の構造を紹介する実物の石管やジオラマが並ぶほか、200インチの大画面で放水を体感することができる。

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通潤橋
住所/熊本県上益城郡山都町長原

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