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それがまだ「痴ほう症」と呼ばれた時代。40代夫は『若年性認知症』と診断された

  • 2026.1.20

36歳になってから、SNSで育児日記として漫画を描き始めた吉田いらこ(@irakoir)さん。彼女が長年胸に秘めてきた家族の物語がある。それは1990年代、まだ「認知症」という言葉すら浸透していなかった頃の出来事だ。

始まりは、父の「異常ないびき」「頭痛」だった。病院で判明したのは脳の腫瘍。緊急手術が決まっても、吉田さんには現実感がなかったという。しかしこれが、優しかった父との別れ、そして23年にわたる壮絶な介護生活の幕開けであった。

本記事は、吉田さんがブログで公開している「若年性認知症の父と私」をベースに取材したもの2025年2月には、当時の詳細な物語をより深く描いた『家族を忘れた父親との23年間』がKindleで出版された 知られざる23年間の軌跡を、彼女の視点から紐解いていく。

制度の空白。現役世代の父が「なじめる場所」はなかった

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『若年性認知症の父と私』12話 父が特別病棟に移った場面。異様な空気に包まれていた。

当時の社会は、働き盛りの世代が介護を必要とする事態を想定していなかった。父はまだ40代前半。しかし、周囲にあるのは高齢者向けのサービスばかりで、家族は情報の荒野に取り残されていた。

ーー当時は若年層向けの介護サービスはほとんどなかったのでしょうか?

吉田いらこ(以下、吉田): まったくありませんでした。デイサービスなども高齢者向けのものしかなく、現役世代の父がなじめる場所はどこにもなかったんです。仕方なく障害者全般を対象とした施設を利用していましたが、やはり周囲との年齢差や環境の違いに戸惑うことも多かったですね。今なら病院にケースワーカーさんがいて相談に乗ってくれますが、当時は家族が自分たちで調べない限り、情報は一切入ってこない時代でした。

ーーお母様も、制度を知らないまま長く一人で背負われていたのですね。

吉田: 母は「家族が支えるのが当たり前」という認識で、十数年もの間、家の中で必死に耐え続けていました。ようやく後半になって知識が入り、サービスを使い始めて少し楽になったと聞いた時は、それまでの孤立していた期間の長さと過酷さを改めて痛感しました。今の充実した制度と比べると、当時はあまりにも「家族の力」に頼りすぎていたのだと思います。

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『若年性認知症の父と私』14話 記憶は長く持たず、尿意を我慢できない父。そんな父をたった一人で支えていた母。


▶︎ 母の苦労を、私は置いてけぼりにしてしまった【本編を読む】

#1 変わらぬ愛を誓えますか?…
#1 変わらぬ愛を誓えますか?…

取材協力:吉田いらこ
書籍情報:『家族を忘れた父親との23年間』(Kindle版)

1990年代、脳腫瘍から認知機能に障害を抱えた父。混乱する家庭、薄れゆく記憶、そして壮絶な介護の果てに家族が見つけたものとは。SNSで大きな反響を呼んだ実体験コミック。