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父は40代で「認知症」になり、63歳で逝去した。「介護は一切やっていない」娘が語る"罪悪感"

  • 2026.1.16

36歳になってから、SNSで育児日記として漫画を描き始めた吉田いらこ(@irakoir)さん。彼女が長年胸に秘めてきた家族の物語がある。それは1990年代、まだ「認知症」という言葉すら浸透していなかった頃の出来事だ。

始まりは、父の「異常ないびき」「頭痛」だった。病院で判明したのは脳の腫瘍。緊急手術が決まっても、吉田さんには現実感がなかったという。しかしこれが、優しかった父との別れ、そして23年にわたる壮絶な介護生活の幕開けであった。

本記事は、吉田さんがブログで公開している「若年性認知症の父と私」をベースに取材したもの2025年2月には、当時の詳細な物語をより深く描いた『家族を忘れた父親との23年間』がKindleで出版された 知られざる23年間の軌跡を、彼女の視点から紐解いていく。

「母に全てを押し付けた」消えない罪悪感と、母の覚悟

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『若年性認知症の父と私』24話 学生生活を“楽しんでしまった”ことに罪悪感を感じる吉田いらこさん

父が発症した当時、吉田さんは学生だった。家では母が父の介護に奔走していたが、吉田さんは学校へ行き、部活に励み、友達と遊ぶ時間を「すごく楽しんでしまった」と振り返る。それは過酷な現実からの逃避でもあった。「母に全部押し付けた」という罪悪感は、大人になった今でも消えることはない。

ーー当時は、あえて家庭の状況から距離を置いていたのでしょうか?

吉田いらこ(以下、吉田): ほとんど母に押し付けて、逃げてしまったんです。学校がすごく楽しくて、部活も忙しく、大学生になると友達の家に泊まり歩いて家にはほとんど帰りませんでした。そうしていないと、自分の心が保てなかったのかもしれません。でも、自分が母親になった今、当時の自分を振り返ると「なんて迷惑をかけたんだろう」と申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

ーーお母様はその状況をどう受け止めていらしたのでしょうか。

吉田: 後に母へ謝ったことがあるのですが、母は「子供に世話をさせる気は最初からなかった」と言っていました。「好きな人が倒れたら、一生かけて世話をするのが普通だと思っていた」と。母はたった一人で背負う覚悟を決めていたんです。その強さと孤独を、今改めて噛み締めています。だからこそ、自分の子供たちには「親の介護よりも自分の人生を楽しんでほしい」と強く願うようになりました。

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『若年性認知症の父と私』24話 吉田いらこさんの一人立ちに際して、母が伝えた言葉

※ 出典:photoAC(本記事のサムネイル画像はイメージです)



▶︎「お前は誰だ もう来るな!」優しかった父が“最愛の娘”を忘れる日まで【本編を読む】

#1 変わらぬ愛を誓えますか?…
#1 変わらぬ愛を誓えますか?…

取材協力:吉田いらこ
書籍情報:『家族を忘れた父親との23年間』(Kindle版)

1990年代、脳腫瘍から認知機能に障害を抱えた父。混乱する家庭、薄れゆく記憶、そして壮絶な介護の果てに家族が見つけたものとは。SNSで大きな反響を呼んだ実体験コミック。