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ある日、父が「異常ないびき」をかいた。そこから始まった“悪夢”とは 【作者本人が語る】

  • 2026.1.13

36歳になってから、SNSで育児日記として漫画を描き始めた吉田いらこ(@irakoir)さん。彼女が長年胸に秘めてきた家族の物語がある。それは1990年代、まだ「認知症」という言葉すら浸透していなかった頃の出来事だ。

始まりは、父の「異常ないびき」「頭痛」だった。病院で判明したのは脳の腫瘍。緊急手術が決まっても、吉田さんには現実感がなかったという。しかしこれが、優しかった父との別れ、そして23年にわたる壮絶な介護生活の幕開けであった。

本記事は、吉田さんがブログで公開している「若年性認知症の父と私」をベースに取材したもの2025年2月には、当時の詳細な物語をより深く描いた『家族を忘れた父親との23年間』がKindleで出版された 知られざる23年間の軌跡を、彼女の視点から紐解いていく。

36歳、育児日記から始まった「形に残したい」という願い

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『若年性認知症の父と私』2話 お父様が40歳の頃。脳の腫瘍による症状が出始めるシーン

ーー吉田さんが漫画を描き始めたのは36歳からだそうですね。

吉田いらこ(以下、吉田): はい、最初はSNSで育児日記を書き始めたのがきっかけでした。でも、父との経験はずっと前から「いつか形に残しておきたい」と思っていたんです。まだ絵を描く前は、おばあちゃんになったら自費出版で本でも書こうかな、なんて考えていました。でも、育児日記を通じて漫画という表現手段を知り、「今なら描けるかもしれない」と思ったのが始まりです。

「当時は『認知症』という言葉さえありませんでした」

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『若年性認知症の父と私』13話 リハビリ時、入院していた病院で『若年性の認知症』について初めて言及されたシーン

ーー当時は1990年代。今とは社会の理解も違ったのではないですか?

吉田: まったく違いました。「認知症」という言葉すら浸透していなくて、当時はまだ「痴ほう症」と呼ばれていた時代です。病院でも適切なサポート体制が整っておらず、家族が自ら調べない限り情報は何も入ってきませんでした。母はたった一人、手探りの状態で十数年も父を支え続けていたんです。

“キレイゴト”ではない「介護のリアル」を描く理由

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『若年性認知症の父と私』13話 着替えを手伝う妻のことを認識できなくなってしまった父

ーー作品の中では、お父様に対して「いなくなってほしい」といった、非常に衝撃的で率直な感情も描かれています。

吉田: 描く時は本当に迷いました。でも、誰かに聞いてほしかったんです。友達に話すには重すぎるけれど、SNSなら見たい人だけが見てくれるから負担がないかな、と。介護は決して綺麗事ではありません。父に忘れられてしまった悲しみや、正論をぶつけて父を怒鳴らせてしまった妹の葛藤……。そうした「辛かった、嫌だった」という当時の固まった気持ちを、隠さずに吐き出しました。

介護に直面している人へ。「周りに甘えていい」

ーー今、同じように介護で悩んでいる読者に伝えたいことはありますか?

吉田: 真面目な人ほど「自分が頑張らなきゃ」と抱え込んでしまいます。でも、どうか自分を責めないで、周りを頼って甘えてほしいです。私自身、当時は学校生活を優先して母に介護を押し付けてしまったという後ろめたさが今も消えません。だからこそ、今向き合っている方には、罪悪感を覚えないでいられる環境を一番に考えてほしい。少し距離を置くことが、結果としてお互いの平和につながることもあるのだと伝えたいです。



▶︎「お前は誰だ もう来るな!」優しかった父が“最愛の娘”を忘れる日まで【本編を読む】

#1 変わらぬ愛を誓えますか?…
#1 変わらぬ愛を誓えますか?…

取材協力:吉田いらこ
書籍情報:『家族を忘れた父親との23年間』(Kindle版)

1990年代、脳腫瘍から認知機能に障害を抱えた父。混乱する家庭、薄れゆく記憶、そして壮絶な介護の果てに家族が見つけたものとは。SNSで大きな反響を呼んだ実体験コミック。