1. トップ
  2. 2025年に逝去したサッカー界のレジェンド7名

2025年に逝去したサッカー界のレジェンド7名

  • 2025.12.17

2025年もあと半月を残すのみとなった。サッカー会では今年も数々の歴史を残した偉大なレジェンドが残念ながらこの世を去り、様々なファンが悲しみに暮れた。

今回は2025年に惜しまれながら逝去したサッカーのレジェンドをご紹介する。

釜本邦茂

画像: 釜本邦茂

逝去した日:2025年8月10日

日本サッカーの歴史上、今なお最高のストライカーだったと評価されている釜本邦茂氏。日本代表での最多得点記録を49年もの間保持し続けているほか、1968年メキシコオリンピックでは7ゴールを決め、チームを銅メダルに導き、自身も得点王を獲得した。

引退後はメディアでのキャスターや解説者の他、ガンバ大阪の監督を務めたり、日本サッカー協会の副会長に就任したり、参議院議員として政治活動を行うなど、多彩な形でサッカー界に貢献。各地域でのサッカー教室にも精力的に参加し、全国に競技の普及を進めた。

この数年間は闘病生活を送っていたと伝えられており、2025年8月10日には肺炎を悪化させたことで大阪府内の病院で死去。享年81歳であった。

ディオゴ・ジョタ

画像: ディオゴ・ジョタ

逝去した日:2025年7月3日

リヴァプールでプレーしていたポルトガル代表選手。2024-25シーズンはプレミアリーグ優勝に大きく貢献し、さらに6月のUEFAネーションズリーグでもトロフィーを獲得。6月22日には3人の子供を授かったパートナーと結婚式を開いていた。

しかし7月3日、チームのトレーニングに戻るためにスペインの高速道路を車で走っていたところで単独交通事故を起こし、車両が激しく炎上。同乗していた弟のアンドレ・シウヴァとともに死去した。享年28歳だった。

なおリヴァプールは彼の着用していた20番を永久欠番とし、天に召されたディオゴ・ジョタに捧げている。

デニス・ロー

画像: デニス・ロー

逝去した日:2025年1月17日

マンチェスター・ユナイテッドで栄光の時代を作り上げたレジェンド。1962年にトリノから加入し、エースストライカーとして長年チームの中心に。名将マット・バズビー監督に率いられた伝説の「バズビー・ベイヴズ」の一員として活躍し、数多くのタイトルに貢献した。

2002年にはイングランドサッカー界への貢献が認められて殿堂入り。マンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラッフォードにもジョージ・ベスト、ボビー・チャールトンとともに銅像が建てられた。

ただ2021年にアルツハイマー病と血管性認知症と診断されたことが発表され、闘病ののちに今年1月17日に死去。享年84歳だった。

レアンドロ・ドミンゲス

画像: レアンドロ・ドミンゲス

逝去した日:2025年4月1日

2010年にヴィトーリアから柏レイソルに加入し、ネルシーニョ監督の下で活躍したブラジル人アタッカー。J2に降格していたチームの中で驚異的な活躍を見せ、1年目にJ2優勝、2年目にJ1優勝を達成。さらにJリーグ年間最優秀選手賞を受賞した。

その後名古屋グランパス、横浜FCでもプレーしたが、2022年に精巣がんに罹っていることが判明。闘病生活の後に今年4月1日に死去したことが発表された。享年41歳であった。

ニコラ・ポクリヴァツ

画像: ニコラ・ポクリヴァツ

逝去した日:2025年4月18日

クロアチア代表として15試合に出場した名ストライカー。ディナモ・ザグレブでブレイクを果たしたあと、ASモナコやレッドブル・ザルツブルクなどでプレーした。2008年に行われたEUROにも参加しており、2010年ワールドカップの予選でも出場している。

2015年にホジキンリンパ腫と診断され、複数回の再発を経験して2017年に引退。2021年には指導者として活動しながらアマチュア選手として現役復帰を果たしたものの、2025年4月に4台の車が絡む交通事故に遭い、この世を去った。享年39歳であった。

ジョルジュ・コスタ

画像: ジョルジュ・コスタ

逝去した日:2025年8月5日

FCポルトとポルトガル代表で長く活躍した伝説的なセンターバック。アグレッシブなプレーと激しいタックルで「戦車」の異名を取り、リーダーシップにも優れたキャプテンであった。2002-03シーズンに就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下でUEFAカップやチャンピオンズリーグの優勝を果たし、トロフィーを掲げた。

2006年に現役を引退したあとは指導者に転身し、ブラガを皮切りに国内外の様々なクラブを率いた。そして2024年6月には古巣FCポルトのスポーツディレクターに就任し、チームの強化に従事していた。

しかし2025年8月5日に行われたプレシーズンのトレーニング中に心臓発作を起こし、病院に運ばれたものの息を吹き返すことはなく、そのままこの世を去った。享年53歳であった。

レオ・ベーンハッカー

画像: レオ・ベーンハッカー

逝去した日:2025年4月10日

オランダを代表する名指揮官といえるベーンハッカー氏。選手としては怪我のために19歳で引退を余儀なくされたものの、若くして飛び込んだコーチとしてのキャリアで成功を収め、数多くのタイトルを獲得した。

フェイエノールトやアヤックス、レアル・マドリーなど数々のチームを指揮し、1990年のワールドカップではオランダ代表を率いて出場。さらに2006年大会ではトリニダード・トバゴを初のワールドカップ出場に導き、EURO2008予選ではポーランドを本大会出場へと導いている。

プロ選手経験がないこともあってヨハン・クライフやズラタン・イブラヒモヴィッチらからは批判されたものの、指導者としての弁論術や支配力に長けていた「教師タイプ」の監督だったと言われている。

2025年4月10日にロッテルダムで死去したと伝えられており、享年82歳であった。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

元記事で読む
の記事をもっとみる