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12年通った保育園で見た「時代の変化」~遠すぎる園に通った我が家の、ちょっとした歴史~

  • 2026.3.12

12年通った保育園の「今と昔」について、今日は少しお話しさせてください。

我が家と保育園の、12年の付き合い

我が家には、小6の長男、小4の次男、そして年長の三男がいますが、なんとこの3人、全員が同じ保育園に通っており、気がつけば我が家はその園と12年の長いお付き合いをしていることになります。長男が0歳のときに入園して以来、毎日の送り迎え、行事、連絡帳、そして時には朝のバタバタ劇まで含めて、保育園はまさに我が家の生活の中心にずっと存在してきた場所なのですが、ここでひとつ大きな問題があります。それは――その保育園、めちゃくちゃ遠い距離なのです。「遠い」と言っても、徒歩圏とか自転車圏とか、そういう可愛いレベルではありません。車がないと、なかなか厳しい距離。もちろん行こうと思えば公共交通機関でも行けるのですが、以前どうしても車が使えない日にタクシーを使ったところ、往復で5000円以上かかりました。その時、私は思いました。「これ…ちょっとした小旅行では?」しかもこれは8年くらい前の話なので、今の物価で計算すると、たぶんもう少し豪華な小旅行になっている可能性があります。ええ、そんな保育園に、我が家は12年通っているのです。では、なぜそんな遠い保育園に通うことになったのか。理由はシンプルです。

近所の保育園が、めちゃくちゃ激戦だったから

もうね、本当に。当時、子育て広場などで会うママさん達は常に保育園の話をしていました。保育園話のはずなのに、どこか受験情報交換会みたいな雰囲気がありました。「倍率どうなん?」「何点くらい?」「フルタイム?」などなど、保育園の話なのに、なぜか偏差値の匂いがする会話がそこかしこで繰り広げられていたのです。しかも長男は12月生まれ。これがまた微妙なタイミングで、当時の制度では月齢によって入りやすさに差が出ることもあり、結果として「うーん、ちょっと厳しいかもしれませんね」というラインになりました。そのため我が家は、最終的に空きがある保育園を探すことになり、地図を見ながらこう思いました。「ここ…ほんまに通える?」そして、その場所に、結果として12年通うことになるとは、このとき誰も想像していませんでした。ちなみに、これは12年前の話です。つまり、まだ平成。

平成の会社(特に地方都市)は、なかなかワイルドだった

今では少し信じられないかもしれませんが、当時の会社の総務担当のおじさん(地方都市のザ・日本企業にいそうなタイプ)は、こんなことを普通に言っていました。「基本、育休は1年で戻ってきてね。」そして続けて、「できれば時短もあまり取らない方向で。」いやいやいや。令和なら即コンプラ会議です。しかし当時は、こういう発言がそこまで大問題になるわけでもなく、「まあそんなものか」という空気で普通に流れていたのも事実です。今振り返ると、働く母たちはなかなかタフな環境で日々を回していたのだなあと、しみじみ思います。もちろん現在では制度もずいぶん改善されましたので、この話は完全に昔話枠です。ただ、あの頃の働く母たちは、だいたい気合いで毎日を突破していました。

激戦保育園に入れる家庭の特徴

では、その激戦保育園に入れたのはどんな家庭だったのか。長男と同い年で近所の人気園に入った子たちを振り返ると、いくつか共通点がありました。例えば、・月齢が早い子・上に兄姉がいて在園児加点がある家庭・介護などの事情がある家庭・収入面などで条件が優先される家庭などなど。つまり、普通のサラリーマン共働き家庭は、ちょっと通りにくい構造だった気がします。もちろん制度にはいろいろな配慮があるので一概には言えませんが、体感としてはそんな印象でした。まあ、このあたりはあくまで個人の感想なので、へ~くらいで聞き流して頂けたら幸いです。

遠い園、意外とめちゃくちゃ良かった

そんなわけで、我が家は「遠いけど空いている保育園」に通うことになりました。そして結果から言うと、めちゃくちゃ良かった。自然が多く、先生たちはゆったりしていて、子どもたちは毎日泥だらけになって帰ってきます。そして何より、激戦ではない園の余裕のようなものがあり、親としてもかなり気持ちが楽でした。当時、駅近くの園に行くことになったママ友と、そうではない人の軋轢が実際にありました。『なんでうちが行けなかったんだろう』と仲の良いママ友から涙のLINEも届きました。ほんと、構造的にちょっとな~~というところがあったのです。そんなこんなからは無縁だった遠方の園。もちろん送り迎えは遠い。遠いですが、12年も通うと人間は慣れるもので、今では、「ちょっと遠いくらいがドライブ気分でちょうどいい」などという、完全に慣らされたコメントを平気で言うようになりました。人間の適応能力って、すごいですね。

保育園も、この12年でかなり変わった

さて、そんな保育園ですが、12年も通っているといろいろな変化が見えてきます。まず大きいのは、電子化。昔は、欠席や遅刻の連絡は電話でした。忙しい朝に電話をかけると、「はい、〇〇保育園です~」という先生の声の後ろで、子どもたちのカオスな声が響くという、なかなか臨場感のあるシステムだったのですが、今はすべてアプリ管理です。登園、欠席、遅刻。すべてスマホで完結。文明ってすごい。そしてもう一つ変わったのが、制服のジェンダーレス化。以前は、「男の子はこの色」「女の子はこの色」と、きっちり色指定があったのですが、最近になってようやく好きな色を選んでOKになりました。正直、この点だけは昔からちょっと気になっていたので、「おお、ついに変わったか」と、静かに時代の流れを感じた瞬間でした。さらに、もう一つは、圧倒的に保育園に入りやすくなっている!!!もうね、少子化ですもんね。12年前とは違いますよ~~

消えた文化、そして保育園生活の終わり

一方で、なくなった文化もあります。それが、卒園児の親が主催する先生との親睦会。長男や次男のときはコロナで中止になり、その後なぜか復活せず、そのまま消滅してしまいました。どうやら水面下で、「親睦会リーダーの保護者と先生がちょっと揉めた」という噂も聞いたのですが、真相は分かりません。12年も同じ園に通っていると、制度だけでなく、こうした文化の変化もじわじわと感じるようになります。そして今、三男の卒園が近づき、我が家の保育園生活もいよいよ終わりです。思えば、送り迎えに始まり、保活の苦労、制度の変化、そして時代の空気の移り変わりまで、保育園は子どもだけでなく、親の人生の一部でもあったのだなあと感じています。一つ言えるのは。もしあのとき近所の激戦保育園に入れていたら、我が家はきっと、タクシー5000円の思い出を持つことはなかったでしょう。そう考えると、人生ってなかなか面白いものです。

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