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五輪目前にまさかの「乳がん宣告」…元日本代表が「再発リスク承知」で挑んだ闘病と、奇跡の出産

  • 2026.3.12
Yoichiro KIKUCHI

2011年、夏。ロンドンオリンピック開幕まで、あと1年。 フェンシング女子日本代表・池田めぐみさん(当時31歳)は、韓国で行われたアジア選手権からの帰国便の中にいた。

機内のシートに深く体を預け、思うようにいかない結果に終わった試合を振り返りながら、無意識に自分の体をさする。その時だった。指先に、硬い異物が触れた。

「胸に、しこりがある」

その瞬間、アスリートとしての直感が警鐘を鳴らした。「これは、嫌な予感がする」。帰国後すぐに病院へ駆け込み、検査から2週間後。医師の口から告げられたのは「悪性」という言葉。ステージⅡの乳がんだった。五輪という夢の舞台を目指していた彼女は、その日、病室のベッドの上で「引退」と「命」の重みを同時に突きつけられることになる。

これは、絶望の淵から這い上がり、命がけの出産を経て、いま多くの人々の「生きる力」を支えている一人の女性の物語だ。

池田めぐみ(YAMAGATA ATHLETE LAB.) 元フェンシング女子日本代表。2004年アテネ、2008年北京五輪に出場。2011年に乳がんが発覚し引退。現在は山形県を拠点に、スポーツと暮らしをつなぎ、新たなアスリートの価値を創造する活動を行っている。HEROs AWARD 2025受賞。



「データ」は嘘をつかない。五輪1年前のSOS

2011年当時、池田さんは日本フェンシング界のトップ選手として、ロンドン五輪でのメダル獲得を有力視される存在だった。彼女には確固たる習慣があり、365日欠かさず、体温、体重、体脂肪、血圧などの身体データを記録し、ピークを本番に合わせるための調整を続けていた。

現役時代の池田選手 Hearst Owned

しかし、その夏。「いつもとなにかが違う」という違和感が彼女を襲った。 「いつものリズムなら調子が上がってくるはずなのに、データがいつもと違う。主観的な感覚も、客観的な数値も、明らかにこれまでとズレていたんです」(以下、「」内は池田さん)

データは嘘をつかない。体が発していたSOSを、彼女は見逃さなかった。もし、あの日、機内で違和感に気づかなければ。もし、日々の記録をつけていなければ。発見はもっと遅れていたかもしれない。自身の身体と向き合い続ける「アスリートのコンディショニング」が、結果として彼女の命を救うことになったのだ。

再発リスクを承知で選んだ「母になる」という夢

2011年、闘病中の池田さんの姿。枕元には、コンディショニングトレーニング施設の仲間たちの写真 ご本人提供

手術は診断のわずか1ヶ月後。 あまりに急な展開に、心は追いつかない。当時、結婚2年目。「いつかは子どもを」と願っていた矢先の出来事だった。

ここでも、池田さんはアスリートらしい、そしてあまりに重い「決断」を迫られた。 通常5年推奨されるホルモン治療を、再発リスクを承知の上で「2年」に短縮すること。年齢的なリミットを考慮し、その後の妊娠の可能性にかけるという選択を取った。

そこからの日々は、想像を絶するものだった。右乳房の手術、ホルモン治療、放射線治療。 「ホルモン治療の間は生理が止まり、副作用でホットフラッシュなどの更年期障害の症状に悩まされました。体が思うように動かないもどかしさ、女性としての自信を失いそうな日々。鏡を見て、手術の傷跡に心が沈むこともありました」

それでも彼女を支えたのは、やはりスポーツの中で培ったマインドセットだった。「フェンシングでも何度も怪我をして、手術をしてきましたから。何の根拠もないですが、『私の前世はきっと侍だったんだ。刀で切られた傷がまた一つ増えただけかも』そう感じたんです」

そして、パートナーの言葉が彼女の背中を押した。病気になった申し訳なさから弱音を吐いた時、彼はこう言ったのだ。「あなたには色々なことが起こって、面白い人生じゃないか」

その言葉で、視界が開けた。「確かに!と思い直しました。病気すらも人生の一部であり、一つの貴重な経験なんだと。スポーツは、負けても人生が終わるわけじゃない。『じゃあ、次はどうする?』と、常に次の一手を考える訓練をしてきたことが、闘病でも活きたんです」

育児で気づいた「ママの不調」

手術から約3年後、第一子の男の子を出産した ご本人提供

再発のリスクと向き合いながら駆け抜けた2年間の治療。治療終了から程なくして、池田さんは自然妊娠で新しい命を授かった。 命がけで勝ち取った「母」になる喜び。しかし、そこで待っていたのは、新たな「挑戦」だった。

「念願の子育てだったのに、必死すぎて、気づけば鬱っぽくなっていました。体はボロボロ、心も限界。『なんでこんなに育児って大変なんだろう』って」

ふと周りを見渡せば、同じように疲れ果て、自分のケアを後回しにしているお母さんたちがたくさんいた。 「みんな、自分のことは二の次。でも、お母さんが倒れたら家族にかける負担が大きくなってしまう」

子育ての経験を重ねていく中で、点と点が繋がっていった。かつて自分の命を救ってくれたのは、体の異変にすぐに気づける「観察眼」と、自分を整える技術だった。「このアスリートの知恵(コンディショニング)を、お母さんも子どももアスリートも、スポーツを頑張るすべての人たちに伝えたい」。それが、引退後の彼女の新たな使命となった。

「コンディショニング」とは、よりよく生きるための技術

Hearst Owned

現在、池田さんが代表を務める「YAMAGATA ATHLETE LAB.」では、トップアスリートの世界で培われた最先端のノウハウを、一般の人々へ「人生をより良く生きるための術」として伝えている。

なぜ、彼女はこれほどまでに「コンディショニング」にこだわるのか。それは、彼女自身が身を持って「体を整えること=命を守ること」だと知っているから。

「コンディショニングとは、単なる運動ではありません。『今の自分を、より良くしていくこと』そのものです」

例えば、多くの人が悩む「腰痛」。池田さんは、「どう痛むのか」、その身体の声を聞くところから始める。「腰痛の原因が、実は『腰にない』ことは多いんです。例えばデスクワークで姿勢が崩れ、肩の位置が悪くなると、肩本来の動きができなくなります。その分を腰が無理にカバーしようとして、結果として腰痛になる。根本原因は『肩』や『座りすぎ』にあることが考えられます」

だからこそ、「30分に1回は立ち上がる(座りすぎは"新たな喫煙"と言われるほど体に悪い)」、「肩を大きく回して可動域を取り戻す」。そんな小さな積み重ねが、未来の自分を守ることに繋がる。

「今日はなんだか体が重いな、と思ったら早く寝る。それも立派なコンディショニングです。自分の体の声を聞いて、自分で整えてあげること。それが、自分を大切にするということでもあります。スポーツの中で培われてきた知見を、日々の暮らしの中で活かしていくこと。私が一番伝えたいのは、そうした『より良くなるためのアプローチ』なんです」

HERO’s AWARD

自分のために、「よりよくなる」選択を

ラボでは現在、子供を預けて自分自身と向き合える産後ママさん向けの教室や、親子で参加できる農業イベントなどとのコラボレーションを通じて、繋がりを作っている。

「最初は疲れ切っていたお母さんたちが、体を動かすことで前向きになり、コンディショニングを通してコミュニティが生まれています」

こうした地道な活動は大きく実を結び、昨年末には、スポーツの力で社会課題の解決に取り組んだアスリートに贈られる「HEROs AWARD 2025」を受賞した。かつて病によって競技生活からの「引退」を余儀なくされた彼女は、今、新たなフィールドで再び輝きを放っているのだ。

「アスリートが金メダルを目指して調整するように、皆さんも『自分の人生のパフォーマンス』を上げるために、自分がより良くなるために、自分に合った睡眠や食事、運動を見つけていってください」

がんサバイバーとして、母として、そしてコンディショニングのプロとして。しなやかに変化し続ける池田さんの姿は、「自分の体は、自分で守り、より良くしていくことができる」という希望を、私たちに力強く教えてくれている。

池田めぐみ(YAMAGATA ATHLETE LAB.) 元フェンシング女子日本代表。2004年アテネ、2008年北京五輪に出場。2011年に乳がんが発覚し引退。現在は山形県を拠点に、スポーツと暮らしをつなぎ、新たなアスリートの価値を創造する活動を行っている。HEROs AWARD 2025受賞。

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