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Jリーグで「背番号11」をエースナンバーにし歴史を作った4名の選手

  • 2025.11.11

本日は11月11日。

そこで、Jリーグにおいて「11番」を背負い、チームのエースとして歴史を作った4名の選手を紹介する。

三浦知良

画像1: (C)Getty Images

まずは何と言ってもこの人!現在JFLのアトレチコ鈴鹿に所属する、カズこと三浦知良。

まだ固定番号制ではなかった1993年のJリーグ初年度から、ヴェルディの11番として大暴れ。記念すべきJリーグの初代MVPに輝いた。

ヴェルディ川崎、京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCと、所属したすべてのJクラブで11番のユニフォームを着用。

唯一、シーズン途中にクロアチア・ザグレブから加入した1997シーズンの京都のみ36番をつけていた(※この年も天皇杯は11番)。

佐藤寿人

画像2: (C)Getty Images

J1通算得点数は、大久保嘉人、興梠慎三に次ぐ3位の161得点。J2を含めれば歴代最多の220得点を誇る、Jリーグ史上屈指のストライカーだ。

トップ昇格したジェフユナイテッド市原時代から世代別代表の常連だったが芽が出ず。2003年に期限付き移籍したベガルタ仙台で浮上のきっかけを掴んだ。

この時につけていたのが11番で、以降仙台での2年目を経て、2005年に完全移籍したサンフレッチェ広島でも同番号を着用。J1初優勝を達成した2012シーズンには得点王とMVPにも輝いた。

その後も2013年と2015年にリーグを制したほか、2014年の川崎フロンターレ戦で決めたゴールはFIFAプスカシュ賞にノミネートされた。

豊田陽平

画像3: (C)Getty Images

2012年にJ1へ初昇格し、2024年まで日本サッカー最高峰の舞台を戦ったサガン鳥栖。そのJ1昇格を決めた2011シーズン、J2得点王に輝くなどチームをけん引したのが豊田陽平だ。

当時は京都サンガからの期限付き移籍だったが、J1昇格に合わせて完全移籍。ユン・ジョンファン監督のもとサイド攻撃に強みを持つ鳥栖の最強フィニッシャーとして長く活躍した。

実は鳥栖でもJ2時代の2年間は9番を着用。J1へ昇格した2012シーズンからモンテディオ山形時代につけていた11番へ変更した。

2022年には出身地である石川県のツエーゲン金沢へ加入し、3年間プレーして現役を引退。2025年2月からサガン鳥栖のクラブ・コンダクターを務めている。

小林悠

画像4: (C)Getty Images

最後は、川崎フロンターレで現在も11番をつける小林悠。

拓殖大学からプロ入りした2010年は24番だったものの、2年目の2011シーズンに11番に変更するといきなり二桁の12ゴールを記録した。

その後は、2013シーズンから3年連続J1得点王を獲得した大久保嘉人をサポートしつつ点取り屋としてのスキルを磨き、鬼木達監督が就任した2017シーズンに大爆発。

キャプテン就任1年目でクラブを悲願の初タイトルへ導くとともに、自身もJ1の得点王&MVPに輝いた。

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