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「さすがとしか言いようがない」“わからなさ”を楽しむ初回放送、舞台の一幕のようなプロローグに期待の声【水10】

  • 2025.10.3

三谷幸喜脚本・菅田将暉主演のフジテレビ系 新ドラマ、水10『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(通称『もしがく』)が、ついに開幕した。タイトルからして一筋縄ではいかないこの作品、第1話では“芸術とは?”や

“人生とは?”という難題に果敢に挑む群像劇のプロローグが、まるで舞台の一幕のように展開された。SNS上でも「予想外に良かった」「さすがとしか言いようがないな」「次回以降どうなる?」と期待の声が渦巻いている。

「おもしろさに価値を見出すな!」暴れる演出家・久部

昭和59年秋。舞台演出家・久部(菅田将暉)は、荒々しく、自信過剰で、そしてどこか空回りしている。彼の“こだわり”はときに暴力的で、劇団員たちを振りまわすものだ。

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菅田将暉 (C)SANKEI

『夏の夜の夢』の“夏”の部分を、舞台上に出現させた“巨大蚊取り線香”で表すという演出が象徴するように、久部の芸術観は独善的でわかりにくく、観客を遠ざけてしまう。彼に当たるスポットライトだけが照らされている、まるで舞台上にいるかのような演出は、まさに“世界は自分中心にまわっている”という久部の世界観そのものに見えた。

しかし、そんな久部もまた、芸術と現実の間でもがき苦しんでいる。50人キャパの小劇場に観客26人、そのうち21人が途中退出。当然、劇団の経営も傾いているが、誰も久部の言葉には耳を貸さない。世のなかにとって、芸術は“わかるもの”でないと受け入れられない……。そんな時代の空気に、彼は抗っているのだ。

白紙のおみくじと9万円のスナック

運命の歯車がまわり出すのは、久部が訪れた神社での出来事からだ。彼が引いたおみくじは、なんとまさかの“白紙”。巫女・江頭(浜辺美波)は言う。「良いか悪いかは、自分次第かしら」。この“白紙”こそが、久部の現状とこの先を表しているようにも思える。

何者にもなれていない、何者にも評価されていない。けれどそこには、まだ描かれていない“可能性”という余白がある。

その後、久部は無料相談所で“未来を視るおばば”(菊地凛子)に出会い、「一国一城の主になる」と予言される。さらに、たどり着いたのは、人生相談ができる不思議なスナック・ペログリーズ。メニューはなく、テーブルチャージは驚きの9万円。命より大事にしているシェイクスピア全集を人質にされ、久部は明日の夜までに金を工面することになる。

八分坂。この場所は、どこか幻想的だ。登場人物たちは皆、人生のどこかで“迷い”を抱えている。客が入らない劇場、常連客で保っているストリップショー、笑いの取れない芸人、人生に絶望した母親と、行方不明の子ども。けれど彼らは、ただの“失敗者”ではない。

どこかに希望の灯を探して、八分坂という舞台のなかで役割を模索しているのだ。

群像劇としての広がりに期待?“意味”を求める私たちへ

そして物語は、舞台上での“奇跡”を迎える。息子を探すためにステージを降りたダンサー・モネ(秋元才加)の代役として、スナックで立ち働いていたリカ(二階堂ふみ)がショーに立つ。照明技師が不在のなか、たまたま舞台袖にいた久部が、自らスポットライトを操る。リカのステージを照らし、舞台を完成させる。ここでようやく、久部の“演出家としての本能”が発揮されるのだ。

これまで自分だけに当たっていたスポットライトを、誰かのために使う。これは久部というキャラクターにとって、最初の“成長”の一歩を暗示している。芸術を自分の自己表現ではなく、他者との共鳴として捉え直す。その可能性が、リカとの出会いによって芽生え始めた。

一方で、この作品は明確な“主人公”を持たない群像劇でもある。劇団員、芸人、スナックや劇場のダンサーにスタッフたち、巫女、不思議なおばば……すべての登場人物が、“舞台”という比喩のなかで、それぞれの役割を演じている。ある人物の行動が、別の人物に連鎖し、物語が有機的に動いていくさまは、どこか伊坂幸太郎の小説を思わせる構造でもある。

わかる芸術、わからない芸術。果たして、どちらが“正解”なのか。久部は「おもしろさに価値を見出すな!」と吠えるが、もしかすると“わからないもの”にこそ価値があるのかもしれない。白紙のおみくじが“凶”か“吉”かを決めるのは、誰かではなく、自分自身なのだから。

『もしがく』第1話は、まさに“わからなさ”そのものを楽しむ作品だった。現実と幻想、喜劇と悲劇、舞台と日常。その曖昧な境界線のなかで、人はどう生き、どう照らし、どう演じていくのか。まだまだ物語は始まったばかり。スポットライトが当たるべき人物は、きっとこれから増えていく。照明技師のいない舞台だからこそ、誰もが光を求めている。

そして、観客である私たちもまた、この不思議な舞台のどこかに立っているのかもしれない。そう思わせてくれるような、魅力的な初回だった。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_