1. トップ
  2. 朝ドラ“序盤のたった数話”で視聴者の記憶に刻まれた圧倒的存在感 従来のイメージを覆した名俳優の“大胆な演技”

朝ドラ“序盤のたった数話”で視聴者の記憶に刻まれた圧倒的存在感 従来のイメージを覆した名俳優の“大胆な演技”

  • 2025.8.26
undefined
『あんぱん』第1週(C)NHK

朝ドラ『あんぱん』は、今田美桜演じるヒロイン・のぶの成長を軸に、戦後から高度経済成長期を生き抜く人々の姿を描く群像劇である。その冒頭を彩ったのが、加瀬亮演じるヒロインの父・朝田結太郎だ。商社に勤め、各地を飛び回りながらも家族を大切にし、娘たちに「女らしく」ではなく「自分らしく」生きることを促す。彼の存在は、物語序盤で急逝するにもかかわらず、のぶの人生に強い光を投げかけるものだった。

未来を指し示す演技の真髄

結太郎の言葉でもっとも印象的なのが「女子も大志を抱け」である。戦後間もない時代を背景に、女性の進路や可能性が大きく制限されていた時代にあって、この台詞はまるで未来からのメッセージのように響く。

のぶにとってはもちろん、視聴者にとっても、その先の物語を導く大きな指針となった。この一言を、押しつけがましくもなく、しかし確かな信念を持って伝える。そこに、加瀬亮の演技の真骨頂があると思えてならない。

結太郎という人物は、家族思いで温厚でありながら、同時に先進的な価値観を持ち合わせていたと言える。加瀬亮は、その二面性をさりげない表情や声の抑揚で表現した。

家族と食卓を囲む場面では穏やかで柔らかな笑みを浮かべる一方、娘に未来を託す瞬間には、少し鋭さを帯びた眼差しを向ける。その微妙な変化によって、結太郎が単なる“優しい父親”に留まらず、時代を先駆ける人物として描かれていたことは特筆すべきだろう。

視聴者の心へ刻み付ける存在感

このような演技の背後には、加瀬亮自身の“嘘のない芝居”への信念がある。彼はかねてより「演技は嘘をつくことではない」と語っており、役柄の感情や行動を、理屈ではなく身体や心の自然な流れから生み出すことを重視している。2023年11月16日に配信された『オリコンニュース』のインタビューでは下記の様に語っている。

簡単に言えば、嘘がないようにということですかね。とても正直にやることといいますか。別の言い方をすれば、演技しないでどう演技をするのか、そんなようなことを今でもずっと模索してるのかもしれません。
引用元:『オリコンニュース』 2023年11月16日配信

『あんぱん』での結太郎も、まるで隣にいる誰かを思わせるような生身の存在感があった。台詞を強調せずとも、背筋の伸ばし方や一瞬の息遣いで観客の心を掴む。それは加瀬亮にしかできない表現である。

さらに注目すべきは、結太郎の“早すぎる死”の描かれ方だ。船上での心臓発作という突然の別れは、物語に大きな転機をもたらす。短い登場ながらも、彼の存在がのぶの行動力や自立心を育む基盤になっている。

つまり結太郎は、この物語における“不在の主人公”として、最後まで娘を導き続ける存在なのだ。加瀬亮は、その役割を理解し、序盤の数話で視聴者に強烈な印象を刻み込んだ。上京し、夫婦となった嵩(北村匠海)とのぶの自宅に結太郎の遺影が飾られていない件について、SNS上では「忘れたんかな?」と言及されているが、それほど彼の存在は視聴者に刻み付けられていると言える。

加瀬亮のキャリアを振り返ると、この結太郎役はこれまでの代表作とは対照的な位置にあるものかもしれない。

『アウトレイジ』では冷酷なインテリヤクザを演じ、その鋭い存在感で観客を震わせた。『SPEC』では仲間想いで実直な刑事・瀬文を体現し、硬派なキャラクターで人気を博した。そして映画『首』では、尾張訛りのチンピラのような信長を怪演し、従来のイメージを覆す大胆な演技を見せている。

こうした“尖った役”に比べ、『あんぱん』での結太郎は穏やかで家族思いという正反対の人物像だ。しかし、だからこそ彼の演技の幅広さと表現の深さが浮き彫りになったともいえる。

加瀬亮が見せる新たな景色

結太郎は物語の序盤で姿を消すが、のぶの原動力となり続ける“永遠の父”として存在感を放ち続ける。その役割を見事に演じ切った加瀬亮は、あらためて“俳優が物語にもたらす力”を示してくれた。

彼の嘘のない芝居は、ドラマを観る者にとって単なるフィクションではなく、“あの時代に確かに生きていた人物”として結太郎を記憶に刻ませる。

朝ドラという国民的作品において、加瀬亮が演じた父親像は、単なる家族ドラマの枠を超えて“生き方の指針”として心に残る。短い登場ながら、視聴者に深い余韻を残した今回の演技は、彼のキャリアにおいても重要な一頁になるだろう。

そして今後もまた、ジャンルを超えた挑戦で、観客を新しい景色へと導いてくれるに違いない。


連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_