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33年前、情報がない時代だからこそ成立した“深夜ドラマの金字塔” 不可解すぎたオープニング映像の衝撃

  • 2025.7.31
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豊川悦司 (C)SANKEI

現在はテレビドラマの一ジャンルとして完全に定着した深夜ドラマだが、筆者が高校生の頃に観ていた90年代の深夜ドラマはどこか胡散臭く、プライムタイムで放送されている万人に向けて作られた明るいドラマにはない、世界の裏側を覗き見てしまったかのような、いかがわしさに満ちたカルト感の漂う作品が多かった。

その筆頭が1992~93年に放送された『NIGHT HEAD』である。

本作は超能力者の兄弟が主人公のSFドラマ。

感情が高ぶると物を破壊し他人を傷つけてしまうサイコキネシスの能力を持つ霧原直人(豊川悦司)と、他人の考えていることを読み取るリーディングの能力を持つ直也(武田真治)はその超能力ゆえに行く先々で様々なトラブルに巻き込まれてしまう。

監督・脚本は飯田譲治。後に『沙粧妙子 -最後の事件-』や『ギフト』といった連続ドラマの脚本を手掛けた飯田の出世作となった『NIGHT HEAD』だが「もしも超能力が存在したら?」というシミュレーションを突き詰めたことで、オカルト的な考えをベースにした哲学的な内容に仕上がっていた。

漫画やアニメではこういった作品は珍しくなかったが、テレビドラマでここまで作家性を感じるSF作品はとても新鮮だった。おそらく深夜ドラマという何でもありの場所だったからこそ、こういうカルトドラマが生まれたのだろう。

情報がない時代に観る深夜ドラマの禍々しさ

直人と直也は幼い頃に超能力研究所に送られ、何年もの間、社会から隔離された生活を送っていた。

ある日、研究所の「結界」が解かれたことをきっかけに二人は研究所を脱走し、旅をしながら暮らしていたが、やがて二人はARKという超能力者を束ねる謎の組織から命を狙われることとなる。

毎回二人は超能力を用いて困っている人々を助けようとするのだが、超能力者ゆえに周囲から恐れられ、酷い差別を受けることがほとんどで後味の悪い結末も多い。

登場人物の多くが悪人というダークな物語は深夜ドラマにぴったりで、高校生の時にリアルタイムで観ていた時は、何か凄い瞬間に立ち会っているのではないかと興奮した。

現在はインターネットがあるため、こういったマニアックな深夜ドラマが放送されると、すぐに話題となり内容について細かく考察した動画やSNSのコメントが溢れかえるのだが、放送当時は雑誌等で取り上げられることも少なく、放送を観ても話題を共有できるのは同級生の友達ぐらいだったので、どういう意図でこのドラマが作られたのかよくわからなかった。

何より不可解だったのが、オープニング映像だ。

脳の映像と共に「人間は、脳の容量の70%を使用していないと言われている。」「人間の持つ不思議な力はこの部分に秘められていると考えられている。」「使用されることのない脳の70%はこう呼ばれることがある――」というテロップが表示された後「NIGHT HEAD」というタイトルが表示され、蓜島邦明の民族音楽調の劇伴に乗せてどこかの部族が踊っている映像と霧原兄弟の映像が挟み込まれるのだが、この映像だけだと何のドラマなのかさっぱりわからない。

エンドロールで流れる劇伴もそうだが、蓜島の音楽は本作に禍々しい手触りを与えている。まるで怪しい儀式に立ち会っているかのような気持ちにさせられるのも『NIGHT HEAD』ならではの味わいだろう。

超能力者のドキュメンタリーのようなドラマ

だからドラマを観ているというよりは、現実に超能力者の兄弟が存在して、彼らの姿を追いかけているドキュメンタリーを観ているような気持ちで番組を追っていた。

主演の豊川悦司と武田真治は俳優としてブレイクする直前で、ドラマや映画に脇役としては出演していたが、知名度はまだ高くなかったため、役者が演技しているという感じがしなかった。

画面も薄暗く、超能力の描写もアニメやゲームのようなエフェクトを多用する派手なものではなく、瓶や皿が割れたり、鼻血が出るといった地味な描写だったが、だからこそ凄くリアルだと感じた。

何より直也が触った他人の心を読み取る力の持ち主だったため、心の奥底にあるトラウマに触れるような精神世界の描写が多かった。

今振り返ると予算が少ない深夜ドラマの中で効果的に見せるための苦肉の策だったのだろうが、近年のCGやテロップを用いた演出過剰なドラマや映画と比べると『NIGHT HEAD』の演出はストイックだ。だからこそ超能力にまつわる謎や「変革」という言葉に象徴される人類が超能力者になることで進化するというSF的モチーフが迫ってきた。

テレビ放送が終了した後、雑誌で『NIGHT HEAD』が特集されるようになり、豊川と武田のメディア露出が増えていくと、テレビドラマとしての全貌が少しずつ認識できるようになっていった。

しかし放送期間中はとにかく情報がなかったため、逆に色々と妄想を膨らませてしまい、放送期間中は「これは作り物のフィクションじゃない。本物の世界を描いているんだ」という気持ちで観ていた。

今となっては思わせぶりな展開にまんまと乗せられていたと思うし、後から振り返ると結局、豊川と武田が演じる霧原兄弟の色気が作品人気の中心だったと思う。

だからといって本作に対して気持ちが醒めるという感じはあまりなく、むしろ多感な思春期の時にこんな面白い世界を見せてくれて「ありがとう」という気持ちの方が大きい。

インターネット以前の情報環境だからこそ成立した、深夜ドラマの金字塔である。


ライター:成馬零一

76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。