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朝ドラで更新される“新しい役のかたち” 役者本人も疑問を抱いた“意外なキャスティング”

  • 2025.7.17
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『あんぱん』第3週(C)NHK

朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、漫画『アンパンマン』を生み出したやなせたかしとその妻・小松暢をモデルにした物語。愛と勇気、そして逆転しない正義をテーマに、名もなき人々の声なき思いをもすくい上げるようなストーリーが、主人公・朝田のぶ(今田美桜)を軸に展開していく。この物語のなかで、ひときわ静かに、けれど確かな存在感を放つ人物がいる。のぶの母・羽多子である。そしてその羽多子を演じるのが、江口のりこだ。

江口が演じる“新しい母”

江口のりこと言えば、個性派女優として知られ、作品ごとにまったく異なる顔を見せるカメレオン的存在だ。朝ドラのお母さん役としてはやや意外とも思える配役だが、彼女自身は2025年5月7日に配信された、高知新聞『PLUS DIGITAL』のインタビューにて下記の様に語っている。

まずオファーを受けたときに、どう考えても私は朝ドラのお母さんっぽい感じはないので、なんでだろうと思いました(笑)引用元:高知新聞 PLUS DIGITAL 2025年5月7日配信

一方で、この様にも綴っている。

見ているだけで羽多子の気持ちになれるので、美桜ちゃんのお母さん役をやらせてもらえるというのは、すごくうれしいなと思います。
引用元:高知新聞 PLUS DIGITAL 2025年5月7日配信

その言葉通り、羽多子という役にぴったりと“はまって”いる。

第1週では、まだ幼いのぶ(永瀬ゆずな)と、彼女が守ろうとする少年・嵩(木村優来)の出会いが描かれていた。ある日、嵩が同級生にいじめられていた現場にのぶが飛び込み、「ひきょうもんは許せん!」と啖呵を切る。ふたりは揉み合いになり、相手は頭から血を流す怪我を負ってしまう。ここで登場するのが羽多子だ。

「大事な息子さんに怪我をさせてしもうて申し訳ありません」と、江口演じる羽多子は相手の両親に丁寧に頭を下げる。だがその後、のぶに対してこう語る。「なんぼ自分が正しい思うたち、乱暴はいかん。恨みは恨みしか生まんがよ」。この一言に、羽多子という人物の芯が見える。

正しさを押し通すのではなく、人の心の綾を知った大人の言葉で、娘に生きる知恵を渡す。その声は穏やかで、抑制が効いていて、それでいてずっしりと響く。江口のりこが得意とする、“語らずに語る”演技の真骨頂だ。

「実在しそうな人」を演じられるということ

江口のりこの魅力は、なんといってもそのリアリティにある。彼女が画面に現れるだけで「この人、実際にどこかにいそうだ」と思わせる。ただセリフを言っているのではなく、そこにある言葉として自然に発しているように感じさせる演技。その絶妙な間の取り方や、感情の波を最小限の表情で表す技術に、観る者は知らず知らずのうちに引き込まれていく。

代表作でもあるドラマ『ソロ活女子のススメ』では、派手な展開がない分、日常をどう積み重ねるかが求められる作品だったが、江口のりこはその難しさをあっさりと乗り越え、“独身であることを前向きに生きる女性”の姿を誠実に演じ切った。

肩に力が入らない自然体の佇まい。視線の先にある感情の重さ。そんな細やかな表現力が、今回の羽多子にも色濃く反映されている。

「強く、静かに」生きる母としての姿

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『あんぱん』第3週(C)NHK

『あんぱん』で描かれる羽多子は、朝ドラ的な「支える母親」の枠にとどまらず、一人の働く女性であり、生活者でもある。夫を早くに亡くし、女手一つでのぶを育てるその姿には、昭和的な母性ではない、現代的な選び取る強ささえ感じさせる。

江口の演じる羽多子が素晴らしいのは、どこまでも自然体であることだ。朝ドラ特有の抑揚やドラマチックな台詞回しに寄せることなく、独自のリズムで言葉を紡いでいる。それが、羽多子という人物の地に足の着いた強さと、どこか飄々とした人間味を形作っているに違いない。

今後、のぶが“正義とは何か”という人生のテーマと向き合っていくなかで、母・羽多子の言葉や生き方が、何度も彼女の背中を押す存在になるのだろう。いわば、羽多子は語られるよりも、染み込んでいく存在だ。その奥ゆかしい母性のあり方に、江口のりこの演技がこれ以上ない説得力を添えている。

派手さはなくても、確かな印象を残す。江口のりこの演技とは、まさにそういうものだ。そしてその演技が、たくましくて優しいお母さん=羽多子という役に、新しい「朝ドラ母像」の風を吹き込んでいる。ドラマ『あんぱん』における羽多子の存在は、これからも静かに、そして確実に視聴者の心を揺らしていくだろう。


NHK 連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_