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朝ドラが“あえて変えた”主人公の人生… 史実と重なるからこそ光る“フィクションの力”

  • 2025.6.26

今田美桜さん主演の朝ドラ『あんぱん』。そのモデルとなっているのは『アンパンマン』の生みの親である漫画家・やなせたかし氏と、その妻・小松暢さんの夫婦だ。戦中から戦後を必死に生き抜いたふたりの人生を、フィクションを交えて描いている。物語のなかには、もちろん事実に基づいた描写も多く含まれているが、ドラマオリジナルである「創作」の箇所もある。とくに、ヒロインののぶ(今田美桜)に関しては、史実には存在しないエピソードや職業設定も多い。けれども、だからこそ浮かび上がる「ドラマだからこそ描ける真実」がある。今回はその“創作”に光を当ててみたい。

「パン屋の娘」「教師ののぶ」は、どこから来たのか?

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『あんぱん』第4週(C)NHK

ドラマ版ののぶは、実家がパン屋で、愛国心のある教師として生徒たちに慕われている女性として登場する。けれど、史実においては小松暢は新聞社勤務であり、教師だった過去はない。彼女がパン屋の娘であったという記録もない。

ではなぜ、このような設定が盛り込まれたのか。これは「アンパンマン」そのものが、おなかをすかせた誰かに食べ物を差し出すヒーローであることと、深く関係しているとしか思えない。

のぶの実家がパンをつくり、彼女自身がそれを大切に思って育ってきたという背景をフィクションとして描くことで、後に生まれるアンパンマンの“分け与える正義”の源泉が、視聴者にも自然に伝わる仕組みになっているのではないか。

さらに、教師という職業設定も秀逸だ。のぶが教壇に立ち、戦時下で子どもたちに真っ直ぐ向き合う姿は、まさに理想の大人像を体現している。これは史実ではないが、子どもに何を伝えるか、どう生きるかというのぶの信念を視覚的に象徴する役割を果たしている。

幼なじみの恋という“美しい嘘”

のぶと嵩(北村匠海)は、ドラマでは高知の幼なじみとして描かれている。戦争で離れ離れになりながらも再会し、支え合い、愛を深めていく。そんな二人の関係は、まるで絵本を読んでいるかのように純粋であたたかいものになるはずだ。

しかし、史実においてやなせたかし氏と暢さんが出会ったのは1946年、高知新聞社でのこと。しかも、暢さんはそれ以前に一度結婚をしており、前夫とは死別している。やなせ氏にも、別の女性に対する初恋の記憶があったという。

この“出会いの改変”もまた、朝ドラらしい工夫だろう。幼少期からの絆という形で描くことで、視聴者が二人の運命に感情移入しやすくなり、物語全体の希望や再生のテーマを強調することができる。現実にはなかった“美しい嘘”が、視聴者の心を動かす力を持つのだ。

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『あんぱん』第4週(C)NHK

やなせ氏は、書籍『わたしが正義について語るなら』のなかで、「(思春期に)自死しようとしたことがある」と記してもいる。夜の線路に横たわり、電車の音に怯えて逃げ出した。そんな記憶が、飾らない言葉で綴られている。

これに対応するかのように、ドラマでは嵩が線路に寝そべっているシーンが複数回描かれた。ただし、あくまで明言されることはない。阿部サダヲ演じるヤムおんちゃんが、何度かその場面を目撃し助ける描写があるが、その瞬間の嵩の心境について深くは語られない。

これは、朝ドラという枠組みのなかでの“限界と配慮”なのだろう。しかし同時に「ギリギリの場所に立ちながら、ふたたび歩き出す」ことを象徴的に描いたシーンとして、じわじわと効いてくる。描かれなかったからこそ、私たちはその危うさを想像し、感じ取る。

“創作”が浮かび上がらせる「本当のこと」

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『あんぱん』第4週(C)NHK

のぶのキャッチフレーズ「ハチキン」は、史実に基づいた表現でもある。暢さんは若いころ、短距離走の得意な“韋駄天おのぶ”として知られていたという。ドラマではこれを大胆に広げ、のぶが走る、叫ぶ……そんな“破天荒なヒロイン”として描かれている。

この拡張は決して誇張ではなく、朝ドラの枠組みに適した「現代的ヒロイン」像を丁寧につくり上げた結果だろう。視聴者はこの明るくまっすぐな彼女に共感し、苦しい時代を生き抜く力をもらっている。

ドラマ『あんぱん』には、多くの創作が含まれている。だが、それは単なる装飾ではない。むしろ、史実では語りきれない部分、ふたりの関係性の深さ、アンパンマンの根底にある優しさや正義の源を視覚化するための「物語の装置」として機能している

史実をなぞるだけでは届かない何かを、創作は補う。そして、ときには嘘のように思えるフィクションが、もっとも本当のことを伝える手段になる。だからこそ、朝ドラはおもしろいし、感動するのだ。

『あんぱん』は、私たちにとっての正義や優しさ、支え合うことの意味を、丁寧に、そして少し大胆に教えてくれている。たとえそれが史実とは少し違っていても、その“違い”にこそ、伝えたい真実が宿っている。


連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_