1. トップ
  2. 朝ドラで“ダンゴムシ”を食べようとした兵士役を演じたのは? 公共放送の枠で“狂気”と“哀しみ”を表現し切った若手俳優

朝ドラで“ダンゴムシ”を食べようとした兵士役を演じたのは? 公共放送の枠で“狂気”と“哀しみ”を表現し切った若手俳優

  • 2025.6.23
undefined
『あんぱん』第11週(C)NHK

戦時下を生きる若者たちの揺れる心を描き出す、NHK連続テレビ小説『あんぱん』。第12週「逆転しない正義」では、戦争の過酷さが前面に出た描写が続き、多くの視聴者の心を揺さぶった。そのなかでもとくに注目されたのが、櫻井健人が演じた今野康太(コン太)という青年兵士の姿だ。

同級生という立場がつくる「支え」と「悲しさ」

「おい、食いもん出せ!」と銃を向けたときの彼の顔が、いまも忘れられない。正気を失っていく青年を、ただの“暴走”ではなく、“空腹と絶望がつくりだす狂気”としてリアルに体現した演技。その背後には、確かな演技力と覚悟があった。

今野康太は、主人公・柳井嵩(北村匠海)と同じ小学校に通っていた幼なじみ。彼らは偶然、同じタイミングで小倉連隊に配属され、再会を果たす。敵地に赴き、空腹と疲労、そして死の恐怖にさらされる毎日。そんななかでの「知った顔」は、嵩にとって心の支えになっていたはずだ。

櫻井は、この“旧友”という立場をうまく演じている。最初は親しげに笑い、嵩との間に安心感を与えながらも、戦況が悪化するにつれ徐々に変わっていく。その変化のグラデーションが実に自然で、説得力がある。

ダンゴムシを食べようとするリアルさ──“壊れていく人間”を描く

undefined
『あんぱん』第12週(C)NHK

『あんぱん』第12週でもっとも衝撃的だったシーンのひとつが、コン太が空腹のあまり“ダンゴムシを食べようとする”シーンだ。演技としてはシンプルな動作に見えるが、その目の焦点の定まらなさに、思わず目を背けたくなる視聴者もいたのではないだろうか。

そして極めつけは、民家に駆け込み、老婆に銃を向け「食いもんを出せ!」と叫ぶ場面。彼の目には、もはや“人”としての理性が残っていなかった。それでもどこかにまだ人間らしさが見えるように感じるのは、櫻井健人の演技に「壊れた悲しさ」と「かつての彼」が同居しているからだろう。

これまでの櫻井の出演歴を振り返ってみると、大河ドラマ『いだてん』や『First Love 初恋』『痛ぶる恋の、ようなもの』など、しっかりとした作品で着実に実力を磨いてきたことがわかる。

彼の芝居の特徴は、内側から湧き上がる感情を、言葉ではなく身体で語ること。今回の『あんぱん』でも、大声を出すわけではない、セリフが多いわけでもない。それでも、立ち尽くす背中、上ずった声、ぎらつく目つきに、視聴者は彼の「壊れ方」を感じ取ってしまう。SNS上でも「無事でいてほしい」「戦争の悲惨さがつらい」といった声が相次いだ。

公共放送である朝ドラという制約の多い舞台のなかで、ここまで“狂気”と“哀しみ”を表現し切った若手俳優は珍しい。

戦争のなかの“人間”を見せた貴重な存在

undefined
『あんぱん』第11週(C)NHK

櫻井健人という俳優の魅力は、何よりも「真摯さ」にある。どんな役にも自分を投げ打ち、決して中途半端にしない姿勢。ときに、羞恥心を乗り越えなければ演じきれないシーンにも正面から挑み、感情を晒け出す強さがある。

そしてその背景には、確固たる“芯”が感じられる。自分のなかに役柄の根っこをつくり、それを丁寧に育てるように表現していく。『あんぱん』における今野康太役は、まさにそうした積み重ねの結晶だ。

戦争がもたらすのは、名誉や正義の話ではない。そこには、飢え、恐怖、狂気、そして壊れていく人間が確かにいる。櫻井健人が演じた今野康太は、まさにその象徴であり、だからこそ多くの視聴者の心に刺さったのだろう。

今後の活躍がますます楽しみであると同時に、『あんぱん』という朝ドラのなかで彼の存在が、強いインパクトを残したことは間違いない。


連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_