長年の生活習慣で体が不健康な状態になり、やがて死因となる疾患をもたらす「老化負債」。その対策を呼びかける医学者の伊藤裕さんは「ホルモンのバランスが崩れれば、老化負債も増える。食事の間隔を空けたり運動したりして、若返りに役立つホルモンを出すことを意識してほしい」という――。
※本稿は伊藤裕『老化負債 臓器の寿命はこうして決まる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
ホルモンのバランスとリズムを保つことが、老化対策に
わたしたちの体と心のリズムを奏でるために、100種類以上あるホルモンは、それぞれがリズムを持って、“ホルモンオーケストラ”を形成しています(図表1)。ホルモンはそれぞれの役目に応じて1日の中でピークを迎え、お互いがお互いのリズムを生むようにバランスされています。
生活リズムの乱れは、ホルモンオーケストラの不調、体内時計の狂いをきたし、「老化負債」を大きくしていきます。それでは、ホルモンオーケストラがうまくリズムを奏でるにはどうすればいいのでしょうか。
ホルモンオーケストラがいいリズムを奏でるには、一言で言うと、「いい寝覚め!」を感じられる生活を目指すことです。この感慨は、日内リズムがうまく保てていることで初めて体感できる感覚です。
睡眠は、ノンレム睡眠、レム睡眠で構成されますが、1セット90分。実はリズムを持つホルモンも、90分が一つのリズム単位であるものが多いです。ストレスホルモンのコルチゾールやアドレナリン、ノルアドレナリン、あるいはレニン(血圧を上昇させるホルモンであるアンジオテンシンを作る酵素で、アドレナリンやノルアドレナリンによって分泌が促される)なども、その分泌に90分間の周期が認められます。
集中力が続くのは90分までだが…大学の1コマは長すぎる
ですから、集中力が必要な知的作業は90分間が限界だと考えられます。その後は短い休息を取ることが能率を上げるコツです。大学の授業は90分が1単位となっているのはそのためだと思います。しかし、実際に講義をするわたしにとっては90分は長すぎて、正直疲れてしまいます。これも老化のせいかと思いましたが、講義を聴いている学生諸君も、YouTubeを見慣れ、録画ビデオを早送りして視聴する習慣が身についているためか、90分は苦痛の様子です。義務教育での授業単位、小学校の45分、中学校の50分、つまり90分の半分ぐらいが適正だとわたしも学生も体感しています。
夜間の排尿も90分ごとになることがあります。これも睡眠の深度とともに尿の排泄を抑える作用のある、抗利尿ホルモン(バソプレッシン)の分泌リズムが変動することにより起こる現象です。バソプレッシンは全身のリズムをつかさどっている脳の体内時計の振動の調節にも関わっています。わたしたちは実際、排尿の回数や時間を自分の体のリズムを知る一つの目安としていることが多いと思います。
日々の生活でもホルモンの「90分ルール」を意識すれば、ストレスを感じることなく生活の効率を上げられ、リズムのいい生活が生まれ、「いい寝覚め」をもたらしてくれると思います。
体に溜まった「老化負債」返済の鍵となる「ホルモン三銃士」
遺伝子のエピゲノム変化を抑制し、ミトコンドリアを元気にする老化負債返済の心強い味方になってくれるホルモン三銃士を紹介します。
【1】「食」とグレリン
グレリンは、食に関わる胃から分泌されるホルモンです。グレリンは、1999年、国立循環器病センターの児島こじま将康まさやす・寒川かんがわ賢治けんじによって発見されました。
わたしたちが空腹になった時に、胃がその状態を感じ取ってたくさんグレリンを分泌します。分泌されたグレリンは、胃の周りにある、脳へ直通する神経に働きかけて「早く食べろ」と脳に命令します。また、われわれの成長と成人の体の維持に大切な「成長ホルモン」の分泌を増やせと命令します。つまり、グレリンはお腹が減ると分泌されて、しっかり食べて丈夫な体を作り、そして生きるためのエネルギーをたくさん作り出すことを促します。
わたしたちが年老いたマウスにグレリンを投与したところ、筋肉のミトコンドリアの機能が回復して、持久力の低下が防げました。また、腎臓が弱ったマウスにグレリンを与えたところ、減少した腎臓のミトコンドリアの数が増えて、タンパク尿が減って腎機能が回復することを見つけ出しました。
空腹を14時間確保すると、お役立ちホルモン・グレリンが分泌
実際にグレリンは人間に投与すると、いろいろな病気に効果を示すことが報告されています。がんで痩せてしまった人、心不全、呼吸不全、糖尿病性神経障害などを回復させることが示されました。
グレリンの分泌を高めるには、「お腹がすいた」と思える時間を持つことです。老化負債返済のためには、空腹の時間を少なくとも12時間、できれば14時間確保することが勧められます。1日2食であれば、比較的空腹の時間を取りやすく、3食食べる場合でも、朝7時と昼12時頃、そして夕17時頃に食事をして、その後は水分以外口にしないということでなんとか確保できるのではないでしょうか。
1日20〜30分、ウォーキングを毎日続けると出る利尿ホルモン
【2】「運動」とナトリウム利尿ペプチド
ナトリウム利尿ペプチドは、1984年、宮崎医科大学(現在宮崎大学医学部)の松尾まつお壽之ひさゆき・寒川賢治によって発見された心臓から分泌されるホルモンで、血管を広げ、腎臓に働いて、余計な水分や塩分を排泄することで血圧を下げます。
ナトリウム利尿ペプチドは、全身から心臓に還ってくる血液の量が多くなったり、心拍数が増加するとその分泌が増えます。お風呂に入った後、排尿したくなります。これは、体を湯船に浸しておくと水圧が足にかかり、足に溜まった血液がたくさん心臓に還ってくることで、ナトリウム利尿ペプチドが分泌されるようになるからです。
わたしたちがナトリウム利尿ペプチドの作用が増強された遺伝子改変マウスを作ってみると、脂肪組織や筋肉などのミトコンドリアの数が増え、脂肪が燃焼しやすくなり太りにくく、そして、持久力が維持されました。
ナトリウム利尿ペプチドは、血圧を上げる作用のあるアンジオテンシンの作用を抑制します。わたしたちは、アンジオテンシンによって作られたエピゲノム変化、老化負債がナトリウム利尿ペプチドの投与で、消去されることを明らかにしました。
ナトリウム利尿ペプチドは、適度な運動で分泌が増えます。ウォーキングなどの運動は1日20〜30分ほど、隣の人と話ができるぐらいのきつさで毎日続けるのがいいといわれています。1日のうち一度にまとめて歩く必要はなく、分割して運動しても大丈夫です。歩くことが推奨されていますが、両足が一瞬でも地面から離れるような運動、ジョギングはさらにいい動きになります。少し脈拍が上がる程度の運動を目指してください。
また、毎日運動できない人は、週末に、ややきつめの運動をする、たとえば週末に登山やハイキングで5〜6時間歩くとか、週2回スイミングに行くことなどでもミトコンドリアは強化されます。
「愛情ホルモン」オキシトシンは心の安定をもたらす
【3】「ふれあい」とオキシトシン
ここ最近「オキシトシン」というホルモンが、「愛情ホルモン」として注目を浴びています。オキシトシンは、脳の中で視床下部の「室傍核」といわれる神経で作られますが、「下垂体」といわれる場所に運ばれて血液に溶けて全身に回っていきます。
わたしが医学部学生の頃は、オキシトシンは分娩時に子宮を収縮させ、乳腺を刺激して乳汁分泌を促すと習いました。しかし、オキシトシンは男性でもありますし、妊娠分娩以外の時にも、生涯にわたって分泌されています。最近の研究から、オキシトシンは子宮に作用するだけでなく、脳にも働くということがわかってきました。
女性の場合、妊娠分娩を通じて大量のオキシトシンが分泌されます。その結果、オキシトシンが、自分が産んだ子どもを何物にも代えがたく「愛おしい」と感じるように仕向けます。さらに、子どもに対してだけでなく、性別にかかわらず自分が見つけた「パートナー」を愛おしく思う気持ちを与えます。
男性でも分泌され、「浮気防止ホルモン」となる
オキシトシンは、性交渉、さらに愛撫や抱擁などの皮膚への接触でその分泌が増えることが知られており、「抱擁ホルモン」とも呼ばれています。そうした行動の際に、オキシトシンは、ペア・ボンド(pair bond)の気持ちを高めます。pairとは、夫婦、そしてbondは、いわゆる「キズナ(一体感)」です。こうして、パートナーとの一体感を強く持てるようになると、自分たちの子どもを協力して育てようという気持ちが、夫婦2人の間で高まります。
最近、オキシトシンを点鼻で投与することが試され、投与された男性は自分のパートナーの女性に対して、さらに愛おしいと思う気持ちが高まったといいます。しかし、全く知らない女性には興味をそそられるということはなかったと報告されています。ですから、オキシトシンは、「浮気防止ホルモン」とも呼ばれます。
仲のよい夫婦が社交ダンスをする光景は、わたしにはなじみがあります。これは、仲がいいから社交ダンスをするのではなく、社交ダンスをするから仲がよくなるのかもしれません。
イヌを飼っている人が心血管病になりにくいワケ
オキシトシンは、2人の“つながり”のためのホルモンですが、ペットとのふれあいでもその分泌を高めることができます。実際、イヌを撫でていると血中のオキシトシン濃度が高まるという研究もあります。またイヌを飼っている人は心血管病になりにくく、なったとしても重症化しにくいという調査結果もあります。うつ病や自閉スペクトラム症に対してアニマルセラピーが実施されています。
パートナーのいない人は決して引きこもりがちにならず、地域のコミュニティーに出ていってボランティア活動に参加して介護に協力するなど、人との関わり合いを求めるようにしてほしいです。またペットを飼うことも一案です。パートナーがいる人は、再度その人のよさに目を向けるようにしてほしいです。
このようなホルモンの性質や作用を理解することで、自身のリズムを把握し、リズム感も磨いていけるはずです。
伊藤 裕(いとう・ひろし)
慶應義塾大学名誉教授
慶應義塾大学予防医療センター特任教授、医学博士。1957年、京都市生まれ。京都大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。専門は内分泌学、高血圧、糖尿病、抗加齢医学。世界で初めて「メタボリックドミノ」を提唱。著書に『幸福寿命 ホルモンと腸内細菌が導く100年人生』『なんでもホルモン 最強の体内物質が人生を変える』(以上、朝日新書)など。