怒りや嫉妬、妬みなどの負の感情はなぜ生まれるのか。『世界は行動経済学でできている』(アスコム)を書いた橋本之克さんは「私たちの判断基準は、最初に見せられた情報で大きく変わってくる。他人を羨ましいと思うのも、通販で安いと感じるのも、“アンカリング効果”が作用しているからだ。この効果をうまく利用しているのが人気テーマパークだろう」という――。(第4回)
“羨ましい”と思うのは「アンカリング効果」
「同期が自分より先に出世してしまった」
「後輩がどんどん成績を伸ばして活躍している」
「友人が充実した毎日をSNSに投稿している」
こんなとき、心がモヤモヤして妬ましい、羨ましいという気持ちになってしまうことはないでしょうか。そう思ってしまうとしたら、あなたは行動経済学で言う「アンカリング効果」にハマってしまっているかもしれません。
「アンカリング効果」とは、「アンカー」(=船のいかり)の位置によって、情報の判断がゆがめられてしまうことを言います。いかりには、船をその位置で安定させる役割がありますが、人間の心理に働いた場合は「どこにいかりを下ろすか」によって、情報や事実の価値判断や予測が変わってしまうのです。
行動経済学の大家、アメリカのダニエル・カーネマン教授らによる有名な実験があります。ひそかに仕掛けを施したルーレットを用意します。このルーレット、被験者からは0〜100の数字のうちのどこかで無作為に止まるように見えますが、実際は「10」もしくは「65」のどちらかで止まるよう仕組まれています。
“直前に見た数字”に引きずられた
被験者は、そのルーレットを回してどちらかの数値を見せられたあとで、「国連加盟国に占めるアフリカ諸国の割合」を推定するよう求められます。すると、ルーレットで「65」の数値を見せられたグループが答えた値の中央値(さまざまな答えがある中で、最大値と最小値のちょうど中央に来る値)が45だったのに対して、ルーレットで「10」の数値を見せられたグループの中央値は25だったのです。
ルーレットの数字には何も意味がなく、そのあとの質問と何の関係もないことが明らかなのに、質問の答えが直前に見たルーレットの数字に引きずられてしまったわけですね。
私たちは、知らず知らずのうちに、誰かと比較しながら自分の立ち位置を確認してしまうものです。出世した同期や後輩、充実した毎日を過ごしている(ように見える)友人にモヤモヤしたり嫉妬したりしてしまうのも、逆に自分より下だと感じている人に小さな優越感を覚えたりするのも、単にアンカーをどこに下ろしているか、という違いだけなのです。そして、このアンカーの位置を間違えてしまうと、嫉妬の感情に苦しみ、自己肯定感を下げることになってしまいます。
“アンカーの位置”がネガティブに働くことがある
こうした「アンカリング効果」は、ときに人生に大きな影響を及ぼします。例えば、世間的に一流とされる学校出身の親は、自らがアンカーとなり、自分の子どもも同じレベルの学校に合格するのが当然と考えて行動しがちです。
子どもはそれほど勉強が好きでなかったりするのに、塾に入れて無理に競争をさせたり、本人が望む進路を否定して高学歴路線に引き寄せようと説得する親もいるかもしれません。そのことが子どものストレスやプレッシャーにつながり、精神的に追い詰めてしまう可能性も考えられます。
上司が、自分よりも10歳も20歳も後輩の新入社員に、自分自身が新入社員だったころの基準や目標を強いるのも同じような現象です。当時と今では時代も状況もまったく違うはずなのに、自らの体験にアンカーを下ろしてしまっているために、「私が若いころは……」などと昔の価値観にこだわり、誤った指導をしてしまうこともあります。
一度生活レベルが上がると、なかなか元に戻せないという話も、高収入時に味わった生活レベルがアンカーとなってしまっているからです。
ディズニー・USJの待ち時間は“実際よりも長い”
一方で、最初に見た数字で印象が操られてしまうバイアスは、企業の戦術でもよく使われています。わかりやすいのは、東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどの人気テーマパークで表示されている「待ち時間」。そこで表示されている値は大概、実際の待ち時間より長く設定されていると考えられます。
「120分待ち」と表示されていて待っていたら、実際は90分くらいだったというような経験、みなさんにもあるのではないでしょうか。
合理的に考えれば、「予測の基準がおかしいから、数値の算出方法を改善するべきだ」ということなのでしょうが、実際は「思っていたよりも早く回ってきてラッキー!」「乗りたかった人気アトラクションに早めに乗れて嬉しい!」となることがほとんどでしょう。逆に、「120分待ち」表示だったのに3時間待たされたら、「なんでこんなに待たされるんだ!」「表示されていた待ち時間をオーバーしているじゃないか!」と不満が噴出するに違いありません。
「通販の値引き」「目標設定」にも使われている
もっとベタな「アンカリング効果」は、商品の元の価格と値引き価格の関係です。ジャパネットたかたなどに代表される通信販売番組で「通常価格14万円のところ、今だけ9万9000円!」などのように、値引き前の価格を何度も強調するのは、最初に見せられた価格にアンカーが下ろされるため、それが基準となって値引き価格を安いと感じるからです。
「こんなに値引きをしてもらえるなんて、お得だ! 買わなければ!」という気持ちにさせられてしまうわけですね。実際はそれほど安くなかったとしても。また、車や家電製品などで、フルオプションの高い価格を見せられたあと、標準的な商品の価格を見ると、安く感じてしまうこともあります。
出版社の部数の目標設定も同じです。最初の目標を「10万部」や「20万部」という高い位置に設定してしまうと、結果5万部だったときに、「思ったより売れなかったな」という評価になりますが、「3万部目標」としておいて結果が5万部だった場合、予想以上のヒットという高評価をもらえたりするようです。
「アンカリング効果」は時間とともに薄まる傾向があり、あくまで一時的なものにとどまることが多いのですが、いずれにしてもアンカーの下ろされている数値が重要になってくることは間違いありません。
「他人」より「過去の自分」を基準にするといい
本項の冒頭でお話したような、モヤモヤした嫉妬の感情に苦しまないためには、「自分は自分、他人は他人だ」と割り切り、他人の行動や立ち位置を気にしないというのが根本的な対処方法です。しかし、これがなかなか難しいのもわかります。「そんなことはわかっているけど、考えないようにするのは難しい」のが、人間というものですよね。
ここまで見てきた「アンカリング効果」を応用すると、誰かに嫉妬心を抱いたり、自己肯定感を下げて落ち込んだりしないためには、「アンカーを下ろす基準を変える」ことが解決策になるといえるでしょう。
仕事でもプライベートでも、優秀だと感じる同僚や後輩の実績、成功していたり毎日が充実している(ように見える)友人などにアンカーを下ろすのではなく、3年前、1年前の過去の自分を基準に考えてみる。
そうすると、「3年前はできなかったことが、今はできるようになっているな」「あのころと比べたら、余裕をもって商談の準備ができているな」「前より作業のスピードが上がって残業時間が減ったな」「趣味などに自由に使える時間が増えているな」など、自分にとってプラスとなる評価ができるようになるはずです。つまり、「アンカーを自分の外ではなく自分の中に下ろす」ということですね。
ただ、高すぎる、あるいは低すぎるところにアンカーを下ろしてしまうと、アンカーに届かないことで「自分はだめだ……」などと自信を失ったり、逆に何年経っても成長しない……ということになってしまうので、自分にとって「適正だ」と思える基準を見つけることも大事ですね。
橋本 之克(はしもと・ゆきかつ)
マーケティング&ブランディングディレクター
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。東京工業大学工学部社会工学科卒業後、大手広告代理店を経て1995年、日本総合研究所入社。1998年、アサツーディ・ケイ入社後、戦略プランナーとして金融・不動産・環境エネルギー業界等多様な業界で顧客獲得業務を実施。2019年、独立。現在は行動経済学を活用したマーケティングやブランディング戦略のコンサルタント、企業研修や講演の講師、著述家として活動中。著書に『9割の人間は行動経済学のカモである 非合理な心をつかみ、合理的に顧客を動かす』『9割の損は行動経済学でサケられる 非合理な行動を避け、幸福な人間に変わる』(ともに経済界)、『世界最前線の研究でわかる! スゴい! 行動経済学』(総合法令出版)、『モノは感情に売れ!』(PHP研究所)などがある。