2022年の日本人の平均寿命は84歳と世界1位。慶應義塾大学名誉教授の伊藤裕さんは「しかし、2040年までに、ある国に抜かれると予測されている。長い時間をかけて体に蓄積する『老化負債』を返済するには、老化を加速させるストレスを減らすことだ」という――。
※本稿は伊藤裕『老化負債 臓器の寿命はこうして決まる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
心身に溜まる「老化負債」を減らすため、ストレスを意識する
蓄積する「老化負債」を返済するためのアプローチに共通することは、心身の“ストレス”をうまくコントロールすることです。食事も運動もわれわれの体にとっては一種のストレスです。
ストレスと聞くと、体に危害を与える嫌なイメージを持たれる方が多いと思います。しかし、ストレスのもともとの意味は、その人の“ルーティン”を変えようとする力です。そして、われわれが感じる“ストレス”の大きさとは、“ルーティンからの外れ具合”です。
その人の感じるストレスの大きさは、どれほど自分自身の強固なリズムを持ち、それを把握しているか、そして、どれほどそこからのズレを察知できるいいリズム感を体得しているかによって決まります。
“想定外”の程度が大きいと大きなストレスとなり、副腎からコルチゾールというストレスホルモンがたくさん分泌されます。コルチゾールは強力にエピゲノム変化を起こす作用を持っています。ですから、遺伝子の傷跡は大きくなって、「老化負債」をどんどん増やしていきます。
その人がいいリズム感を持っていれば、将来起こることをうまく予測できて、強く“想定外”と感じることは少なくなり、ストレスは大きくはならず、コルチゾールの分泌は抑えられます。
想定外だと分泌されるストレスホルモンをコントロール
リズムは波の動き。柔軟に少しブレることを繰り返していくと、大きくブレることがない生活を長く送ることができます。全く一本調子ではなく、メリハリの利いた山あり谷ありの生活は、むしろわれわれに“ワクワク感”を与えます。“ワクワク感”はエピゲノム変化を元に戻し、ミトコンドリアを元気にしてくれるホルモンの分泌を促します。こうして、いいリズム感を持ってホルモンのバランスをうまく保つことで、「老化負債」は返済されていきます。
ストレスに対応する能力は、精神神経科の領域では「ストレスコーピング」(コープは対応するという意味)といいます。人と接する、人と会話をするストレスを処理するのに困難を伴う人、つまりストレスコーピングに先天的に障害があると、自閉スペクトラム症が見られたり、また、うつ病を発症しやすかったりします。老化負債返済の基本は、ホルモンバランスを整え、いいリズム感を持って上手にストレスコーピングすることです。
30年も生き、がんにならないハダカデバネズミの秘密
人間の話からは少し逸れますが、ハダカデバネズミをご存じでしょうか? このネズミは体長10cm、体重数十g程度で、体の表面に感度の高い細かい体毛しか生えていない特徴的な姿をしています。
このネズミは、極めて長生きします。普通のネズミの寿命は3年ぐらいですが、このネズミは30年生きます。10倍も寿命が長いのです。人間でいえば、1000歳まで生きていることになります。そして、ハダカデバネズミは普通のネズミに比べて、圧倒的に遺伝子の傷が少ないのです。また、このネズミにはがんが起こりません。
彼らは哺乳類では珍しく、アリやハチのように真社会性集団(繁殖する個体が限定されていて、不妊の個体が多数存在し、肉親以外が協力して子育てを担当し、2世代以上が共存している社会)を作っています。光の届かない穴の中で、群れの中で一つのペアだけが繁殖を行い、他の個体は体が小さいものは住まいの穴掘りや食料の調達を行い、大型のものは巣の防衛を担当しています。
こうしたストレスの少ない平和な共同生活様式が、彼らのうまいストレスコーピングとなり、長寿につながっているのかもしれません。
先程お話しした人間のストレスと老化負債の関係性を考えるヒントにもなりそうです。
なぜスペインは2040年に平均寿命で世界一になるのか
世界経済フォーラムの2018年世界競争力レポートで、スペインは「世界一健康な国」といわれています。また、2007年にビル&メリンダ・ゲイツ財団の支援を得て設立された保健指標評価研究所(IHME:Institute for Health Metrics and Evaluation)のレポートによると、スペインの平均寿命は2040年までに85.8歳となり、日本は85.7歳で2位に後退する見込みだそうです。
スペインの長寿化の要因として食以外の要素も指摘されています。その他の理由として指摘されているものを挙げていきます。若返り、老化負債返済のヒントになると思います。
【1】家族、友人との関係と食、シエスタの生活習慣
彼らは経済的な理由もあり、1人で生活している人が少なく、家族の絆を大切にします。食事は昼食が中心で、昼には仕事場から家に帰って家族で一緒に長い時間をかけ、語らいながら食を取ります。食事の内容は地中海料理、そして昼にしっかりと食べるので夕食は軽めに終えることができます。
お昼寝、シエスタは有名ですが、実際にスペインでシエスタをしている人は、18%程度です。しかし彼らは昼食の後、デザートとコーヒーでリラックスし、コミュニケーションの時間を持ちます。
昼休みを3〜4時間、終業時間を遅らせると生産性が向上
GoogleやNASAでも「シエスタ制度」を導入し、従業員の生産性がある程度上がったとされています。実際は昼休みを現在の1時間から3〜4時間とし、終業時間を遅らせるものです。午前の疲れを十分に取り、また睡眠不足の改善などに役立つといわれています。昨今叫ばれている「働き方改革」の、集中的、効率的に仕事をこなして終業後から翌日の始業まで十分に時間を取るという方針とは異なるものです。
また、スペインのシエスタは、自宅に戻り親しい人とともに語らう意味合いが大きく、日本の現実とは異なるところもあります。日本式のシエスタの在り方が望まれます。
【2】日照時間と散歩の習慣
スペインは年間300日以上が晴天の地域もあり、外に出て散歩をしたりビーチや公園で日光浴をする人が多いです。愛犬家が多く、自然と散歩する習慣も身につきます。外に出て日光を浴び、体内時計を整え、運動することが簡単に行える環境にあります。
もちろん、最近は地球温暖化で夏の昼間に外に出ることは危険な行為と思われるようになっていますし、過度に紫外線を浴びると皮膚がんの可能性が増えます。うまく太陽を楽しむ方法は大変難しい世の中になっています。
「愛」「笑い」などスペイン語にはハッピーな言葉が多い
【3】「スペイン語」はハッピー言語
われわれは自分の考え、感情を言葉にして表していますが、逆に言葉にすることで気分が規定される面が実は大きいものです。現在、世界で最もよく話されている言語はもちろん英語であり(約13億4800万人の話者)、第2位は標準中国語、11億2000万人、第3位はインド人が話すヒンディー語で6億人です。スペイン語は5億4300万人が話し、第4位です(「25 Most Spoken Languages in the World」「INSIDER MONKEY」2021年8月12日公開)。
最近、仕事でコロンビアを訪れました。コロンビアの人々はスペイン語を話します。わたしはスペイン語がわかりませんが、陽気で楽しそうに話しているように見えました。
実際に、バーモント大学のピーター・ドッズの研究で、最も広く話されている10の言語について分析してみると、スペイン語にはポジティブな言葉(愛、笑い、など)が多いことがわかりました。またスペイン人は悲観的な物言いはせず、あくまで楽観的に語り、気おくれすることなく自然にお世辞を言うことができるとわたしは感じます。
スペインでは公的医療保険に加入すれば医療費は無料
【4】医療に対する安心感
スペインでは公的医療保険に加入すれば基本的に医療費が無料です。もちろん病院の込み具合や医療技術の格差などの問題もありますが、基本は医療が無料という安心感は大きいと思います。
老化負債の返済上手なスペインの人たちから、わたしたちも学べることがあるのではないでしょうか。文化が異なるからこそ、わたしたちがまだ気付いていない発想や考え方に出会えることもあります。それらを日本人向けにアレンジして取り入れることで、思わぬ効力を発揮してくれるかもしれません。
伊藤 裕(いとう・ひろし)
慶應義塾大学名誉教授
慶應義塾大学予防医療センター特任教授、医学博士。1957年、京都市生まれ。京都大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。専門は内分泌学、高血圧、糖尿病、抗加齢医学。世界で初めて「メタボリックドミノ」を提唱。著書に『幸福寿命 ホルモンと腸内細菌が導く100年人生』『なんでもホルモン 最強の体内物質が人生を変える』(以上、朝日新書)など。