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山戸結希が『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』で差し出す、決定的で絶対的な劇場体験【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

  • 2026.10.12

学生時代に撮った『あの娘が海辺で踊ってる』(12)でいきなりセンセーションを巻き起こした圧倒的な個性と新しさ。『溺れるナイフ』(16)で成し遂げた20代女性監督としての日本では前例のない商業的成功とその余波。同世代の女性監督たちをプレゼンテーションした『21世紀の女の子』(18)における貢献と先見性。2010年代の日本映画において、山戸結希の才気とその影響力が比類のないものであったことに異論を挟む余地はないだろう。

【写真を見る】「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」内の「結婚式の旅」でインタビューを受ける2人の様子も劇中に登場する

7年ぶりとなる長編映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』において、山戸結希は映画作家としての天分であったその閃きや煌めきを何一つ失うことなく、長いインターバルに相応しいだけの間口の広さや人間洞察の深さまで獲得している。このインタビューでは、長編映画の現場復帰まで時間がかかった理由や、“実話もの”というジャンルを選んだ理由だけでなく、日本映画界、そして観客との関係もふまえての作家としての“見せ方”や“生き方”にまでテーマが及んだ。

初日から3日間で観客動員は約29万1000人、興行収入は4億4081万円の大ヒットを記録している [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
初日から3日間で観客動員は約29万1000人、興行収入は4億4081万円の大ヒットを記録している [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

この取材をしたのは8月中旬のことだが、先週末に公開された『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は山戸結希作品史上最高、そして2026年東映配給作品最高の数字を叩き出して初週動員ランキング1位を獲得。インタビューで話してくれたその言葉の説得力は増すばかりだ。

「短期プロジェクトから長期プロジェクトへの、グラデーションを歩いてゆくような7年間だった」(山戸)

宇野維正の「映画のことは監督に訊け」に山戸結希監督が登場 撮影/JANG HOMIN
宇野維正の「映画のことは監督に訊け」に山戸結希監督が登場 撮影/JANG HOMIN

――自分も含め、自分の周りには男女問わず山戸監督のファンが多く、ここ数年、「山戸結希の次作映画はいつになるんだろう?」という話になることが頻繁にありました。もちろん、前作『ホットギミック ガールミーツボーイ』から7年のインターバルの間にもテレビドラマなどの演出をされていて、その作品も追ってましたが、やはり「山戸結希」という名前と「映画監督」という属性は、他の映画とテレビを横断して活躍している演出家と比べても、分かち難く結びついているという印象があります。山戸監督は、この7年という長編映画のインターバルをご自身でどのように位置付けているのでしょうか?

山戸結希(以下、山戸)「ずっと気にかけていただき、本当にありがとうございます。実際の産休と育休そのものは、短期間でした。これはきっと監督の世界に限らず、一般社会に移し替えたときに、育休明けはフルタイムではなく時短勤務やフレックス制を取り入れながら復帰されるケースも少なくないかと思います。そうしたケースと同じく、長編映画を撮るという長期プロジェクトではなく、短期プロジェクトにすぐに復帰する道を選びました。そうした短期の企画にアサインしていただくなかで、今回こうして、長編映画であり、なおかつ350館規模で公開されるメジャー作品を撮らせていただく流れになりました。また、きっとそれは複数の理由があると思うんですが──日本で30代の女性監督が、公開館数350館規模の長編映画にアサインされるのは、今作が初めてとのことで」

勤務先の回転寿司店にたびたび訪れる将一に、密かに心を寄せていた和。偶然出会い、意気投合する [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
勤務先の回転寿司店にたびたび訪れる将一に、密かに心を寄せていた和。偶然出会い、意気投合する [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――ああ、確かに。

山戸「ですので、個人的には、本当にこれ以上ない最高のかたちで、産後復帰というのか、育休明けの時短勤務の後の復帰の機会をいただいたと考えています。ここでなぜこのように、一般社会に移し替えてお話させていただいたかというと、やっぱりこれまで映画監督が産休育休を挟んで復帰するケースというのが、映画界のモデルケース、ロールモデルとしてやっぱりまだ少なく、こうしたインタビューで語られているところが数件しか見つけられないというところで、この場でこうやってお話させていただくことも、きっと後のそうした生き方を選ぶ監督が、必ず読んでくださるだろうなということを考えた時に、冒頭に触れさせていただきました。

出産後に長期のプロジェクトにアサインされるというのは、どれだけ育休を取るかにもよりますが、基本的にはフルタイムで突然働くことと同義で、それは一般社会とパラレルに、無理や障壁が生じやすい状況であると言えます。そして、それが映画界となった途端、これまでのモデルケースが少なすぎる分、その難しさがあまり共有されていない。つまり、産後即フルタイムに復帰するということは、一般社会においてはその困難は既に共有され、数え切れないモデルケースがある一方で、映画界になった途端に、そのモデルケースの少なさから、女性が産後に、完全に休むか、完全な復帰か、その二択になりかねないところは一つハードルなのではないかと考えています。 そうした意味でも、自分の場合は、そうした短期プロジェクトから長期プロジェクトへの、グラデーションを歩いてゆくような7年間だったということを、お伝えさせていただければと思います」

――先ほどスクリーン数の話が出ましたけど、『溺れるナイフ』や『ホットギミック〜』の時点でもかなり大規模でしたよね?

山戸「はい。過去の作品も、メジャー作品として、150館規模で公開されています。今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は倍以上の規模感(※354館でスタート)の作品となりました。なぜ30代の女性監督がこれまでその規模の作品には一人もいなかったかといえば、まさに、30代というのは女性にとってライフステージが変化する時期でキャリアが積みづらいことと、シンプルに、女性の監督が30代までにその規模の作品を手掛けるまでのパワーを持つことが、日本ではこれまで難しかったという環境にあるのだと思います。なので、個人としては本当に、子どもがいる状況で、そこも含めて理解してくださり、こうした長期のプロジェクトに呼んでくださった東映の皆さんに、本当にありがたく思っています」

若くして大腸がんを宣告された遠藤和さんと、その夫である将一さんの実話を映画化した本作 [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
若くして大腸がんを宣告された遠藤和さんと、その夫である将一さんの実話を映画化した本作 [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――ご出産されてから、その遠距離の長期ロケは、どうやってクリアしたのですか?

山戸「パートナーが、仕事をかなりセーブして、仕事をする時間を削って、子どもと向き合ってくれていました。撮影期間はかなり前から決まっていましたので、その段階から、事前にその期間を確保する調整をしてくれていました」

――この7年間は、コロナ禍もあって、日本の社会にも大きな変化があった時期だと思うんですけど、山戸監督の場合、そこにライフステージの大きな変化も重なった。なので、ご自身の変化と社会の変化を切り分けて考えるのは難しいかもしれませんが、この7年の社会の変化とご自身の変化は、どのように今回の作品に流れ込んでいると思いますか?

山戸「反映されたところで言うと、個人の変遷としては、20代の時に長編映画を撮らせていただいたあと、テレビシリーズでは、今作にも通じるような、“生と死”を扱う主題に連綿として携わらせていただいたという流れがありました。ジェーン・スーさんの同名自伝エッセイを原作にした『生きるとか死ぬとか父親とか』にも、藤子・F・不二雄先生のSF短編が原作のドラマ(『おれ、夕子』)にも、そうしたテーマが含まれており、演出を務めたNHKのドラマ10『燕は戻ってこない』も代理出産を扱った作品でした。必ずしも、自分から選択した主題ではなかったのですが、今この時代の変化ということに照らし合わせると、当事者性というのか、その属性の人間が撮るということに重きが置かれる流れが存在していました。その中で、例えば代理出産の話などは、自分の属性と、映画監督であるということを含めてアサインされ、自然にそうした題材が積み重なっていったのだと思います」

『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』が7年振りの長編監督作となる山戸結希 撮影/JANG HOMIN
『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』が7年振りの長編監督作となる山戸結希 撮影/JANG HOMIN

「伝承的・伝統的な物語でもある一方で、生殖に対するすごく主体的な女性の選択の話でもある」(山戸)

――ただ、今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』のような、日本のメジャー映画会社が作る実話ものの“泣ける映画”というジャンルに関しては、先入観を持っている人も少なくないですよね。

山戸「原作については、ある意味で偶然的に、そして個別的に選び取られたもので、その前提が最も大きく存在しているのですが、一方、ある種のジャンル映画であることは、もちろん間違いのないことで。これまでのエクスプロイテーション・ムービーというジャンルのように、ある種グロテスクな描写を怖がるだとか、エロティックな描写に恋愛への欲動を掻き立てられるですとか、そうした人間の根源的な欲望を写し取る機能が映画には本来的に備わっていて。そうしたエクスプロイテーション・ムービーの側面として、ジャンル映画が系譜としてあり、観客が期待するその事前の欲望に呼応するようなフォーマットでありながら、つまり集団的、共同的な枠組みの作品でありながらも、個人的な映画をもしも撮ることができたら、先ほど社会の変化についての言及もありましたが、そうした二元論的な分断を乗り越えていける可能性があるんじゃないかと考えていました。つまり、自分で『こうした読み解きもできる』という話をしてしまうのもどうかなと思うのですが、女性が出産するという、‟母から娘に受け継がれていく”伝承的・伝統的な物語でもある一方で、周りの誰に反対されても、自分が子どもを妊娠したいと女性が主体的に望み、その後もしかしたら子育てに参与できない可能性があっても出産をしたいのだと、意思を表明すること。それは、生殖に対する極めて主体的な女性の選択の話でもあって、実はフェミニズムの視線からも軸が通せるような、表裏一体の作りにひらかれています」

葛藤しながらも「子どもを産みたい」と願った自分の気持ちを大切に、出産の道を選ぶ [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
葛藤しながらも「子どもを産みたい」と願った自分の気持ちを大切に、出産の道を選ぶ [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――確かに。実話というところに注目すると見えにくくなりますが、実は、産むことへの”選択”自体が、病気であることとは関係なく一般化できる。

山戸「本当に、女性当人こそが主体的に、出産について意志を持ち選択すること、その普遍性についての話だと考えていました。また、病によって究極の取捨選択が問われ、困難が2人の前に立ち塞がるという、ラブストーリーとしての普遍的な要素も内包しています。それは、過去の作品においても、まさにエクスプロイテーション・ムービー化している少女のための映画を、内面から主体的に語り直すということを自分自身選択してきて、本作は、そうした営みと綺麗に接続するような作品でもありました。でも、これはやっぱり事後的に、撮り終えて初めて、そこまで走ってこられたからこそ、言えることでもあるのですが」

「山戸監督はちゃんと‟リスクを取る”ということをやられてる。そして、こうして問答無用の作品を差し出してみせた」(宇野)

――今回の題材で山戸監督が撮ると聞いて、最初に覚えた興奮もまさにそこなんです。こういう、先入観が強く持たれているジャンルを敢えて山戸監督が撮ることの意味。それって、誤解されることもあり得るわけじゃないですか。『あ、なんか売れ線やるんだ』みたいな。それをまったく恐れずに飛び込んで、ちゃんと自分の作品にする。作品を観終われば誰にでもその意義が伝わるところまでやりきる。先ほどのこの7年の社会の変化という話に接続すると、みんなどうでもいい炎上を恐れたりして、どんどん‟ことなかれ主義”になっている。映画界におけるいろんな問題とも関わってると思うんですけども、それでも山戸監督はちゃんと‟リスクを取る”ということをやられてるなって。そして、こうして問答無用の作品を差し出してみせた。

 川口春奈、高杉真宙のほか、和と同じくがんを患うひかり役の森田望智らが心を込めた熱演を見せる [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
川口春奈、高杉真宙のほか、和と同じくがんを患うひかり役の森田望智らが心を込めた熱演を見せる [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

山戸「そのように言語化してくださり、言い表し難い思いです。自分が本当に恵まれていた、と思うのは…もしかして当時『溺れるナイフ』を劇場で観てくださった方がこのインタビューを読まれたら、それはすぐ分かってくださるのではないかと思うのですが、いや、『溺れるナイフ』に限らず、当時の、ある種の苛烈な批判が…猛烈に批判されながら撮るっていうことは、そのこと自体が、すごく恵まれていたのだと思いますね。そして、賛否が分かれるなかでも、常に次の企画にアサインしてくださる方々がいてくれて、何よりも、声を届けてくださる観客の方々がいてくださった。追い風をいただいてきて、そして、作家にとって、批判しながらも観てくださる観客の存在というのは、一番すばらしい他者なんですね。興味をなくしたら、観ないですし言及もしないですから。やっぱりそこで言及してくださる方がいるからこそ、『こんなに批判されてるってことは、じゃあ実際どうなんだろう?』って確かめようとする方も出てきてくださって」

――そうですね。

山戸「特にそう志した訳ではなかったのですが、学生の時に撮った作品を携えて、着の身着のまま、何の装備も持たないまま、映画界に入っていって。自分だけがそうだったと言うつもりは毛頭ないのですが、ある種、権威的なところでの後ろ盾のようなものがない分、様々な声に晒されてきたことが、素晴らしい土壌になっていて。批判が土壌を豊かにするっていうことを、本当に作家としての実人生として、この身に受けられたこと、そこにやっぱり…」

――鍛えられた?

山戸「はい。もちろんそこには知的で強力な援護者が、観客の中にも、評論家の中にも、ずっといてくださって。そのことへのご恩と愛情は、何よりも大きいものとしてあり、熱い反響をくださる方達がいらっしゃったからこそ、そのように思えたのだと思うのですが、若い頃に、ある種の強い批判を浴びられたことは、本音で恵まれていたのだと、心の底から考えています。なので、この先、もっともっと批判される場所に行くということは――そうですね、これからも自分の人生を懸けて絶対に行かなければいけないと思っています」

――…最高すぎますね(笑)。…その上で、もう一度最初の質問に戻りますが、やっぱりいま、映画を取り巻く環境が流動的になっていて、配信プラットフォームの存在感や国外における日本映画の立ち位置がこの7年の間に大きく変わったという状況がある。それまで映画を撮ってきた監督が配信プラットフォームでテレビシリーズを作ったりということが、いわば当たり前のことになりつつある。ただ、そうやって映画監督という仕事が、ある種、職業としては溶解しつつあるなかで、多くの人が長編映画を――山戸監督の名前として語られる作品を待っていたと思うんです。映画って、やっぱり作家の作品として語られる側面がすごく強いですし、山戸結希というのは、そうやって”名前で語られる作家”だったと思うんです。産休や育休を挟んで、映画を撮ることというのはご自身のなかでいまも特別なものとしてあるのか、あるいはそこにこだわりはないのか、を教えてください。

撮影/JANG HOMIN
撮影/JANG HOMIN

山戸「これは作家によって異なるかとは思うんですが、基本的に企画にアサインしていただく時に、自分の場合は前提として “映画監督が来る”という形で受け入れてくださることが多く、その往還の中で作品を作らせていただけているということは、やはり大きいのだと思います。そして、実は観客からいただいたお手紙を読む際に、映画を通じて知ってくださった方と、それ以外、例えばミュージックビデオなどで知ってくださった方が、もしかしたら…」

――むしろ、最初に自分の名前を知られたきっかけは映画ではない人のほうが多いくらい?

山戸「おそらくは。その割合は、厳密にはわからないですし、これに関しては自分が特殊なケースだとは思うんですが。こうして宇野さんに、映画監督という属性ときちんと結びついていると言っていただけて、それは、なんというか、ハッ!と、胸突かれる思いと言いますか」

「一年に一本しか映画を観られない人のために映画を撮りたいと思っています」(山戸)

――確かに、きっと今作もそうなっていくと思うんですけど、山戸結希という名前、その作家性や記名性の外で作品が新しい観客に届くことが、一番大事なことかもしれませんね。そこから抜け出したいとも、別に思っていないってことですよね?

山戸「これは、本当に…なんと言うんですかね、こうしたインタビューは、作家が自己をプロデュースをするという意味では大変重要なものだと思うんですけれども、一方で、作品を観て“自分はこう生きていきたい”と、心から思えるような、観客にとって最上の体験をしてもらえたならば、監督が作品の外側で言っていることなんて、全てを忘れていただいて構わないと、心から思っています。今日この場も、もちろん真剣に臨ませていただいているのですが、こうした監督への取材がこれから一つもなくなったとしても構わない、そうあらねばならないとすら思います。作品外部での監督の語りを打ち捨ててもなお残るものが——誤解を恐れずに申し上げると、監督のポジション争いのために映画があるわけではなくて、観客の劇場体験のためにこそ、そのためだけに自分の映画はあってほしいと願っています。観客は、本気で日々の生活や仕事、学業や人間関係に追われながら映画を観てくれていて、(劇場での年間鑑賞本数の平均で)一年に一本しか映画を観られないっていうのは、その人が映画や文化を好きではないからではなくて、そこには本当に生活の“重さ”があるということの証明なのだと思います。まずチケット代だけで2000円以上かかり、往復の移動時間を含めたら何時間も割かれる、それでも劇場に足を運んでくださった方に、監督としての立場がどうこうとは言っていられない、言えるはずがないと。そこに割かれた生活のリソース、その時間とお金に見合うだけの、決定的で絶対的な劇場体験を、大きな目標ですが目指したい。本当にその人が生きていくための映画、それだけを撮りたい。一年に一本しか映画を観られない人のために、映画を撮りたいと思っています」

医師から宣告された夜。残された時間のなかで、和と将一は想いを行動に移していく [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
医師から宣告された夜。残された時間のなかで、和と将一は想いを行動に移していく [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――ただの空論ではなくて、今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』がそういう一本になり得る作品だけに、その言葉には説得力がありますね。

山戸「本当にずっと思って、ずっと考えてきたことではあるんですが、今作を尊敬すべき皆さんと作られたことで、こうして改めて公の場で明言し、より目指してゆきたいと思っています」

――その考えは、映画を作り続けてきた過程で生まれたものなんでしょうか?『21世紀の女の子』の頃は、インタビューなどでも、もちろん作品については話すけれど、なんらかの代弁者というか…発言ができる立場にあるからこその責任、みたいなことにかなり自覚的だったかと思うんですけど。そこはご自身として、変化というか成長した部分だと思われますか。

山戸「いえ…これは否定ではなく、逆に質問というか、ぜひ一緒に考えさせていただきたいのですが。今日の一番初めにお話しした、育児と長編の製作に至るまでの仕事の組み合わせ方の話も含めて、まさに今日のこの場もそうですし、後進の方に対するある種の影響力が自分にあることを信じて他者へと発言するということと、自己プロデュースのために何かを語る、作家としての行く末をコントロールするために何かを語る、つまり自己言及的なインタビューというものは、やはり異なるのではないか。隔たりがあるのではないかと…そうしたインタビューも、読むのは結構好きなんですけど。私小説文化の中で生きてきたから、それはそれで。でもやっぱり、私小説の文化がパフォーマンスとしての死にたどり着いてしまったように、私小説的に人を惹きつけた先には、当然、いつかその代償を支払わらなくてはならなくなるのだと思います。

『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』の主人公である(遠藤)和さんが自分の命が限られていると知ったとき、命を懸けて新しい命という贈り物を残そうとしたこと。それは、非常に主体的な望みであると同時に、やはり人の本質は贈与に宿るということの現れに思います。一方で、作家の姿勢としても、自家発電的な語りというものは、決して誰のことも豊かにしないのではないか。長くなってしまいましたが、自身のポジティブな影響力を信じて他者へと発言をすることと、たった一人の観客のためだけに映画を作るということは、地続きにあり、対立するところは、そこまでないのではないでしょうか」

――冒頭のシーンがテレビのバラエティ番組のリハーサル映像で始まったりとか、なんの変哲もない青森の町を背景にした市井の人たちのホームビデオやスマホで撮った動画が挟み込まれたりとか、“映画的”ということをふまえた時に美学的な意味ではそれを損ないかねない映像が、極めて山戸結希作品的な映像と並列して提示されていることも、いまおっしゃったことと通じるのかもしれないと思いました。全然違いますか?(笑)

山戸「いえ…!尊い視点だと思います」

【写真を見る】「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」内の「結婚式の旅」でインタビューを受ける2人の様子も劇中に登場する [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
【写真を見る】「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」内の「結婚式の旅」でインタビューを受ける2人の様子も劇中に登場する [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――自分がこの作品に一番感動したのも、映画監督に象徴されるアーティストの特権性を剝ぎ取った場所で、先ほどおっしゃったように、月に何本も映画を観るような都市生活者ではなく、実は圧倒的なマジョリティである、年に一本しか劇場で映画を観ないような地方で生活する普通の人たち――っていう言い方もすごく傲慢なんですけども――を同じ目線で描こうとしているところで。

山戸「ご提示くださった文脈に、感動を覚えます。作品内でそうした特権性が等質化されているというご指摘は、まさにこの世界の方が先に——この作品が生まれるよりも前に──現在、人類史上最も多くの人が、スマートフォンという形でカメラを所持しており、撮影行為の特権性が普く均質化されていることの反映でもあります。それは映画の美学を損ないかねないというご指摘もその通りで、つまりそれは、それぞれの作家がその信念において何を選択するかということのみが焦点になるのだと思います。自分個人においては、映画の美学よりも優先して、常にこの世界の倫理のほうが第一義的に存在するべきだという発想があり、この世界が、この作品をこの形式たらしめているのだと考えています」

「映画館というシェルターは、シェルターは作家を守るためではなくて、観客のためにこそあるべき」(山戸)

――例えば、『溺れるナイフ』も東京でモデルをやっているという設定があったり、『ホットギミック ガールミーツボーイ』も、いわゆる東京の湾岸が舞台になっていた。今回はそういうものとはまったく違いますよね。そういう意味では、(遠藤)和さん固有の物語を長編映画で語るということを選択したのには、そういう人たちの物語こそがいま重要なんじゃないか、みたいな想いもあったのでしょうか。

山戸「そうですね…こればかりは、この原作に出会ってない仮想実験がし得ないため、この原作が、そうしたものを含んでいた、すでに孕んでいるものに出会えたというところが、大きな前提としてありますね。今回はそうした巡り合わせの中で出会えた場所が青森だった。青森という、本当に素敵な場所で撮らせていただいたことに、今も感謝しています」

将一がプロポーズするつもりで和をデートに誘った八甲田ロープウェイなど、青森の地で撮影された [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
将一がプロポーズするつもりで和をデートに誘った八甲田ロープウェイなど、青森の地で撮影された [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――前提として、都市部でヒットしている映画と、地方のショッピングモールにあるシネコンで観られている映画って、まったく違ったりするじゃないですか。数字にしたら、本当にヒットしている映画というのは、圧倒的に地方のシネコンで観られている映画なわけで。東京だけで、あるいは都市部だけでヒットしている映画って、インディペンデント作品だったらそれでも成り立つのかもしれないですけど、そもそも山戸監督はその外側に早くから意識的だった。自分は、その外側に向かっていくという運動自体に山戸結希という名前を重ねてきたので、今回のような題材に至ったのも必然なのかな、と思ったんですよね。

山戸「東京のミニシアターを中心に展開されるインディペンデント映画を地方で公開した時にも、その地域で一番文化感度の高い方がいらしてくださるので、公開地域としては地方なんだけれども、おそらく非常に都市的な環境に近づいている。金銭的にも時間的にも余裕があって、文化教養としてもその情報をキャッチできるという方が鑑賞している。一見、日本のいろんな場所でかかっているようで、そこには果たしてどれだけ質的なバリエーションが認められるのか。特に、自由に使えるお金や時間がなく、ミニシアター系の情報にリーチしづらい層というのは若年層だと思いますので、地方に住む若い方たちが、これからの人生を考える上での映画にこそ関与していきたいと、過去作から強く願っています」

――でも、今作ではメインタイトルとサブタイトルが出るタイミングや、回想シーンの時制の使い方などを筆頭に、非常にテクニカルな部分においても腐心されていて。ともすると野暮ったくなるジャンルの作品でありながら、様々なテクニックを駆使してそうなることを回避している作品でもあると思うのですが、作品全体のデザインや編集的なところで、心がけたことを教えてください。

山戸「これは初めて映画を撮った頃から、あるいはまだ観た映画の本数が全然足りていなかった20代の頃もそうなんですが、自分は映画を数多く観て映画監督を志すという、ある種の正統な映画界のフレームの中から出てきた監督ではなく、大学3年生くらいまでは、映画監督になるとは全く思っていなかったというところがあり、映画を撮り始めた時、そこまでにインプットされていたコレクションというものが、映画以外のものに多くの影響を受けていて。職業監督になってからは、真剣に知力と体力を使って映画を勉強させていただいているのですが。映画館という空間は、観客にとっても作家にとっても、シェルターになり得るのだと思います。映画館の中でこそ磨かれていく文法や密約のようなものが存在している一方で、今ではほぼ全ての映画が配信され、そのシェルターが瓦解し、明るい光のもとでスマートフォンで見られるというところに、映像の身体感覚として、時代的な変遷がまたあって。そうした現実と、前述した自分自身の出自とがあり、おそらく意図してそうしようとしているわけではないのですが、映画の外側にある芸術やエンタメからいただいたものが、映画に反映されてるところはすごく大きいのだと思いますね。スタート地点は映画を撮ったことだったのですが、映像作家としての性質の部分を見出してくださる方がいて、ミュージックビデオや映像全般に携わらせていただき、また往還による恩恵、相互作用的な輪の中で研ぎ澄まされる感覚を持っています」

和の妹である櫛引遥と結花を松本穂香と中島瑠菜がみずみずしく演じている [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
和の妹である櫛引遥と結花を松本穂香と中島瑠菜がみずみずしく演じている [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――でも、いまおっしゃったことって、海外の優れた同世代の映画監督は当たり前に持っているもので。だから、それまでの日本映画に欠けてるところを山戸監督はごく自然に身につけていたというのが、自分の印象なんですよね。それが今回も、こういう題材で、東映配給の拡大公開の作品でもちゃんとそれがあるんだなっていう。普通の観客にとってそれがノイズになるどころか、むしろ届きやすさに繋がっているのが素晴らしいなって思うんですよね。

山戸「胸震えるようなお言葉を有り難うございます。ただ、そうした密約こそを大切に、映画という文化をシェルターとしている、本当に正統な血統の方達からすると、やはり、これは文字通り自分は雑種として、外来種として来てしまったところがありますので…一長一短かなと。ただそれでも、映画館というシェルターは、観客のためにある。そのシェルターは作家を守るためではなくて、観客のためにこそあるべきだということは思っています」

――めちゃいい話ですね。

山戸「そこは何があったとしても、どれだけ批判を受けても、貫徹したいですね、この人生の中で」

――僕も映画業界の中では雑種や外来種だと思われているかもしれないので(笑)、同じ気持ちです。

山戸「でも、その往還によって生まれるものというのはありますよね」

――そうですね。映画という文化の中で閉じた作品や閉じた批評には、自分もずっと批判的です。逆に、扉を開くという意味では、山戸監督が企画して7年前に公開された『21世紀の女の子』は、多くの監督にとってその後のキャリアのきっかけになったわけですけど、いま振り返って、あのプロジェクトについてはどのようなことを思ってますか?

山戸「『21世紀の女の子』は、当時も反響が大きかったのですが、いまになってさらに、本当に多くの方に『21世紀の女の子』の話をしていただく日々です。学生の方や、監督を志している方も、まるで必修のように観てくださったりしていて」

――あのプロジェクトに参加していた監督や役者だけではなく、観客にとっても特別なものとなっている。

山戸「肌で日々感じています。年月を経て、『あの企画・プロデュースは慧眼だったね』と言っていただくことが多いのですが、実際には逆で、あの作品に参加してくださった監督の皆さんこそが、真の慧眼の持ち主なんです。同世代の、プロデューサーでもない私の依頼に、参加していただいた監督の皆さんは、初対面の方もかなり多くいらしたのですが、全員が即答で『やります』とお答えくださいました。20代の非常に感受性の鋭い時期に、同じ国に活動をしている同性の監督同士が、あの人数集まって、同じテーマで撮るというのは、世界的にも前例がないことではないでしょうか。おそらく、これから何十年と時代が進んでも、それは変わらないのではないかと思います。人間はどうしても、若い頃には複雑な問題を抱えるので、そのプレッシャーの中で調和を試みながら撮ってくださったというのは、真に得難いことだったのだと思います。オムニバスということで、ある種競争の目線にも晒されるような局面に、表現力、個性の強い作家たちが集い、互いのまなざしを尊重し合えたということが。

今日も作家の“見られ方”の話がありましたが、皆さん、自分の“見られ方”を超えて、“何を発言すべきか”というところで、それぞれの方法で、耐えてくださっていたのだと思います。それは社会的な経験を重ねた後だったら、まさに一般社会とパラレルに、より容易かったかもしれませんが、商業映画は『21世紀の女の子』が初めてという方が圧倒的に多かった当時に、そうした枠組みや制約のある中で全員の方がやり遂げてくださったというのは、参加してくださった監督の力量と精神力、そして真の慧眼に、感謝と尊敬の思いが増すばかりです。当時も、ものすごく大きくありましたが、今も」

「ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品」と宇野維正が称賛を寄せる [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会
「ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品」と宇野維正が称賛を寄せる [c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――最後にちょっと個人的な感想を言うと、『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は観終わった後、ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品で、自分にとっては間違いなく近年の日本映画で突出した作品でした。そして、もしかしたら山戸監督にとっても、人生で一回しか撮れないような特別な作品になったんじゃないかと想像するのですが、この作品を観客に届けた後、映画監督としてこれからどこに向かおうと思っているのでしょうか?

山戸「これはぜひ、自分の立場だからこそ言わせていただきたいのですが、宇野さん、私が26歳で『溺れるナイフ』を撮った時も、まったく同じように『これは人生で一度しか撮れない作品だと思う』と、おっしゃっていました(笑)」

――え?本当に?

山戸「今、最高の天丼をいただいて…」

――マジで全然覚えてなくて戸惑ってます。読者にとっては、自分がクリシェで言ってるように思われるかもしれませんが、そんなことないですから(苦笑)。

山戸「まさに、その世代ごとの人生の実感を、50代、60代、70代と、自分も年齢と経験を重ねながら、撮っていきたいと思っています。作家としてのスタイルは全く違うのですが、大林宣彦監督や山田洋次監督のように、日本に生きる人々が、今この時代に何を感じて映画を通して対話が実現できるのかというところを、志していきたいです。もう大きすぎる遠い目標ですし、撮影所のシステムがあった背景、その環境でたくさんの本数を蓄積された監督さん方とは、同じような道は辿れないんですけれども。ただ目標のある種のイメージとしては、その想いで一作、一作、本当に人生を懸けて撮っていきたいと思っています。次の作品も、『人生に一度しか撮れない作品だね』と言っていただけますように」

「これは人生で一度しか撮れない作品だと思う」「最高の天丼です!(笑)」 撮影/JANG HOMIN
「これは人生で一度しか撮れない作品だと思う」「最高の天丼です!(笑)」 撮影/JANG HOMIN

――ヤバい。オチがついてしまいました。でも、本当に良かったです。山戸監督が40代や50代になってもティーンムービーばっかり撮っているような作家だったら、今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』みたいな映画は撮れないと思うので。いや、逆に、何年かしてから、今度はティーンの親の視点から撮ってみるのも面白いかもしれないですね」

山戸「そうですね。もしかして外側から、そうしたジャンルに括られてしまう題材だとしても、その内面へと向き合えるように、個人がその時代に撮る必然性を、絶対に見つけてゆきたいと思います」

取材・文/宇野維正

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