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『E.T.』の国民的子役から人気司会者へ。ドリュー・バリモアが歩んだ、波乱と自立の半生

  • 2026.9.17
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スティーヴン・スピルバーグ監督の名作『E.T.』で、世界中を虜にしたあどけない少女、ドリュー・バリモア。名門俳優一家に生まれた彼女ですが、その華やかな栄光の裏には、大人の都合に翻弄された過酷な幼少期がありました。

名声が生んだいじめや依存症、13歳での施設隔離、母親との法的な決別と業界からの孤立-。どん底を経験しながらも、不屈の意志とバイタリティで自立の道を切り拓いてきた彼女。そんなドリューの、再生の歩みを追っていきましょう。

Barry King / Getty Images

【THEN】俳優一族に生まれ、4歳で映画デビュー。『E.T.』で世界を魅了した天才子役時代

1975年2月22日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれたドリュー・バリモア。祖父ジョン・バリモアをはじめ、多くの名優を輩出したハリウッド屈指の芸能一族に生まれた彼女は、生後11か月でCMに出演し、4歳で映画デビューを果たすなど、早くからカメラの前で才能を発揮していました。

そんな彼女の名付け親(ゴッドファーザー)を務めたのが、スティーヴン・スピルバーグ監督。1982年、ドリューが7歳の時に同監督の映画『E.T.』で主人公の妹ガーティ役に抜擢されると、その存在感で瞬く間に世界的なスターダムへと駆け上がります。同年には米人気コメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』で史上最年少ホストを務め、現在も破られていない歴代記録を樹立。3年後にはスティーヴン・キングが彼女のために書き下ろした映画『キャッツ・アイ』に主演するなど、全米を代表するトップ子役として脚光を浴びました。

Taylor Hill / Getty Images

【NOW】冠トーク番組も全米で大ヒット! 実業家としても第一線で輝く現在の姿

現在のドリュー・バリモアは、司会者、プロデューサー、そして実業家として第一線を走り続けています。2020年9月にスタートした自身の冠トーク番組『ザ・ドリュー・バリモア・ショー』は全米で大ヒットを記録。親しみやすい人柄と温かなインタビューが幅広い世代の心を掴み、デイタイム・エミー賞に幾度もノミネートされる看板番組へと成長しました。現在もシーズンを重ねて好評放送中であり、全米のお茶の間に笑顔を届け続けています。

また、かつて最年少記録を打ち立てた『サタデー・ナイト・ライブ』では、2009年に女性として史上初となる通算6回目の司会を担当。さらに2012年には、動物実験を行わないコスメブランド「フラワービューティー(FLOWER Beauty)」を立ち上げてメイクアップ業界に進出するなど、多角的なビジネスを手掛ける実業家としても確固たる地位を築いています。

Jim Smeal / Getty Images

華やかな名声の裏で受けたいじめ。9歳から足を踏み入れた、歓楽街での夜遊びと薬物依存

『E.T.』の大ヒットで一躍時の人となったドリューですが、私生活は波乱の連続でした。通っていた学校では容姿をからかわれ、爆発的な知名度への嫉妬から陰湿ないじめの標的となり、次第に通学が困難になっていきます。

そして、家庭環境も決して平穏ではありませんでした。俳優だった父ジョンは彼女が生まれる2か月前に家を去り、シングルマザーとなった母ジャイドの手ひとつで育てられますが、この母親が筋金入りのステージママ。なんと、まだ9歳だったドリューを連れて夜な夜なハリウッドのパーティーへ繰り出すようになったのです。ニューヨークの伝説的ナイトクラブ「スタジオ54」など深夜の社交場に入り浸り、大人のセレブたちに混ざって夜遊びに没頭。9歳で飲酒と喫煙を覚え、10歳でマリファナ、12歳になる頃には重度のコカイン中毒へと陥ります。こうしてドリューは、急速に荒んだ生活へと引きずり込まれていきました。

Ron Galella / Getty Images

13歳で施設へ隔離、母との法的決別。業界から干され、清掃員のアルバイトなどで自活した日々

度重なる依存症の悪化と自殺未遂を受け、母は13歳のドリューをリハビリを兼ねた精神科施設へ強制入院させました。壁一面にクッションが詰められた保護室での生活など、隔離生活は18か月にも及びます。そして、厳しい規律と治療に向き合った彼女は、14歳で薬物とアルコールを完全に断つことに成功。15歳のときには自身の壮絶な半生を赤裸々に綴った回顧録『リトル・ガール・ロスト』を出版し、のちに複数の著書を手掛ける作家活動の原点となりました。

退院後、共依存関係にあった“毒親”の母と決別するため、親権放棄の裁判を起こして15歳で法的な自立を勝ち取ります。ところが、業界から事実上干されてしまった彼女に、ハリウッドからのオファーは途絶えてしまいます。誰の援助もない中、小さなアパートで一人暮らしを始めたドリューは、カフェのウェイトレスやトイレ清掃のアルバイトに励み、自分の力で生活基盤を築いていきました。

Matt Winkelmeyer / Getty Images

映画界へと華麗にカムバック。3度の離婚と依存症再発を乗り越えて

地道なオーディションを経て映画界への復帰を果たしたドリューは、1995年に映画制作会社「フラワー・フィルムズ」を共同設立。『スクリーム』への出演をはじめ、『25年目のキス』や『チャーリーズ・エンジェル』の大ヒットを牽引しました。2009年には『ローラーガールズ・ダイアリー』で映画監督デビューを飾り、同年の映画『グレイ・ガーデンズ』でゴールデングローブ賞や全米映画俳優組合賞を受賞。俳優として再び頂点を極めます。

一方、私生活では3度の離婚を経験。19歳でバー経営者と結婚するも19日間で破局、2001年の再婚も約5か月で幕を閉じます。2012年に結婚し2人の愛娘を授かるものの、2016年に離婚。この3度目の離婚の際には辛さから逃れるようにアルコール依存が再発、10年来の担当カウンセラーから見放されるほどの危機に陥ります。しかし、親友キャメロン・ディアスら周囲の支援を受けて断酒を果たし、健やかな日常を取り戻したようです。

Text: Kaori Takeuchi
Photo: Getty Images

※この記事は2026年9月17日時点の情報です。

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