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キー・ホイ・クァンの波乱万丈な半生 難民キャンプ育ちから『グーニーズ』子役、裏方時代を経て51歳でオスカーを手にするまで

  • 2026.4.17
Getty Images

祖国を出て、難民キャンプでの生活という過酷な幼少期を経て、1980年代に『インディ・ジョーンズ』や『グーニーズ』の人気子役として一世を風靡したキー・ホイ・クァン。

その後、約20年もの間スクリーンから遠ざかっていた彼が、2023年に映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で悲願のアカデミー賞助演男優賞に輝き、鮮やかなカムバックを果たしました。俳優を断念した空白の時代、そして51歳での再起。不屈の精神で歩んできた彼の半生を辿ります。

Bryn Colton / Getty Images

【THEN】『インディ・ジョーンズ』に『グーニーズ』。世界を席巻した伝説の子役時代

1980年代、キー・ホイ・クァンはハリウッドの大ヒット作に立て続けに出演し、天才子役として一躍時の人となりました。1984年、スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』でハリソン・フォード演じる主人公の相棒ショート・ラウンド役に抜擢。翌年には、少年たちの冒険を描いた名作『グーニーズ』で、メインキャストのデータ役を好演しました。

『インディ・ジョーンズ』の撮影現場では、カメラの前で自然体でいることを求められており、スピルバーグ監督らから自分の演技を再生(プレイバック)して見ることを禁じられていたという逸話も。彼が初めて自身のスクリーンでの姿を目にしたのは、完成後のプレミア上映だったといいます。

当時のハリウッドではアジア系子役の活躍は極めて稀であり、高い演技力と存在感で世界的な知名度を獲得した彼でさえも、成長とともに役柄が限定される現実に直面します。納得のいく役が得られない日々が続き、表舞台を離れることに...。

Rodin Eckenroth / Getty Images

【NOW】38年ぶりの快挙!映画『エブエブ』で掴んだオスカーと歴史的受賞ラッシュ

そんなキーですが、約20年の時を経て、2022年公開の映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(通称エブエブ)』で俳優として本格的な復帰を果たします。演じたウェイモンド・ワン役が高く評価され、2023年の第95回アカデミー賞で助演男優賞を受賞。ベトナム出身の俳優として初の快挙であり、アジア人俳優の同部門受賞は38年ぶり史上2人目という歴史的な記録を打ち立てました。

授賞式での「お母さん、僕、オスカーを獲ったよ!」というスピーチは世界中に感銘を与え、同年のゴールデン・グローブ賞やクリティクス・チョイス・アワードも制覇。特にSAG賞(全米映画俳優組合賞)では、アジア人男性として初の映画部門受賞というさらなる快挙を成し遂げました。かつての天才子役は、アジア系俳優への扉が開かれた現代のハリウッドへと鮮やかなカムバックを果たしたのです。

Paramount Pictures / Getty Images

ボートピープルとして祖国から脱出。難民キャンプからハリウッドへ

1971年8月20日、サイゴン(現ホーチミン)でベトナム系中国人として生まれたキー。ベトナム戦争後の混乱の中、1978年に家族は生き延びるため、船で祖国を脱出する「ボートピープル」となりました。生存の可能性を高めるため一家は離散を余儀なくされ、9人兄弟の7番目だった彼は、父と兄弟5人と共に香港の難民キャンプで1年間の過酷な生活を経験しました。一方、母と他の兄弟はマレーシアへ。1979年、一家は米カリフォルニアで無事再会を果たし、同地へ定住することとなります。両親は子どもたちに「自分を愛し、努力すれば不可能も成し遂げられる」と教えながら育て、その粘り強さは彼を俳優へ、他の兄弟たちは皆実業家としての成功へと導きました。

キーが俳優になるきっかけとなったのは、新生活が始まって間もなく、弟のオーディションに付き添った際、アドバイスをする彼の姿が偶然キャスティング担当の目に留まったこと。翌日には監督本人と面会し、その3週間後には撮影のためスリランカへ飛んでいたそう。英語もおぼつかない少年が数千人の中から大作の準主役に選ばれた、まさに運命の転機でした。

Joshua Blanchard / Getty Images

裏方として映画界を支えた20年。再び俳優の道へ突き動かした、ある大ヒット作の衝撃

大人になるにつれ、用意されるのはステレオタイプな端役ばかりという厳しい現実を突きつけられたキーは、次第に制作側へと活動の場を移していきます。南カリフォルニア大学(USC)で映画制作を学び1999年に卒業。テコンドーのバックグラウンドを活かし、カメラの裏側でアクションの振り付けや指導を行う道を選んだのです。アクション監督コーリー・ユンのチームに加わった彼は、映画『X-メン』(2000年)のアクション制作に携わります。さらに、巨匠ウォン・カーウァイ監督の『2046』(2004年)では助監督を務めるなど、20年以上にわたって制作現場の第一線でキャリアを積んできました。

そんな彼の人生を再び動かしたのが、2018年の大ヒット映画『クレイジー・リッチ!』との出会いです。自分と同じアジア系の俳優たちが銀幕で躍動する姿を劇場で3回、泣きながら鑑賞した彼は、「取り残されることへの恐怖(FOMO)」と共に「自分もあの場にいたい」と感じて俳優復帰を決意。エージェントの友人に電話をかけると、そのわずか2週間後に『エブエブ』のオーディションが舞い込みました。

Joe Maher / Getty Images

本名と共に新たなステージへ。マーベル参戦から主演作まで、止まらない快進撃

本格的な俳優復帰にあたり、彼はある大きな決断を下しました。10代の頃に出演していたコメディ番組で名前を正しく発音してもらえず、長年「ジョナサン」という米国風の名前を名乗らざるを得なかったキーですが、カムバックを果たした『エブエブ』では本名を選択。「自分らしくない」と感じていた彼にとって、名前を取り戻すことは、再出発における重要な一歩となりました。

以降、新作オファーが途切れることなく舞い込んでいる彼は、『ロキ』シーズン2で念願のマーベル作品デビュー。ドラマ『アメリカン・ボーン・チャイニーズ』では、復帰の契機となった『クレイジー・リッチ!』の出演者で『エブエブ』の盟友、ミシェル・ヨーと再共演を果たしています。2025年公開の『ズートピア2』や初主演作『Love Hurts』を経て、主演した新作『フェアリーテイル・イン・ニューヨーク』の公開も控えています。本名を胸に、彼は今、俳優としての輝かしい第2章を歩んでいます。

Text: Kaori Takeuchi
Photo: Getty Images

※この記事は2026年4月17日時点のものです。

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