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自ら作った子守唄を、あえて“彼女の声”に託した時の人。20年前、お父さんたちへ贈った「おやすみ」の歌

  • 2026.9.30
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2007年3月、米大リーグオープン戦の観戦に訪れたリリー・フランキー(C)SANKEI

20年前の2006年9月、ひとつの風変わりな音楽ユニットのデビューが発表された。リリー・フランキーと安めぐみによる「リリメグ」。シングル『おやすみ』でCDデビューを果たすという。作詞・作曲はリリー、歌うのは安。長編小説『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』が大ベストセラーとなり、リリーが多忙を極めていた、まさにその年のことだ。

表現者が本業の合間に音楽を手がけると聞けば、文化人の余技のように受け取られがちかもしれない。だが、このユニットの成り立ちを紐解いていくと、何よりも胸に残るのは、なぜリリー本人が歌わなかったのかという点だ。

自ら紡いだ子守唄を自分では歌わず、魅力的な女性の声にそっと預け、自身は背後で不器用にギターをつま弾いていた。あのとき生まれた『おやすみ』という歌には、リリー・フランキーという表現者の照れと切実さが、奇妙なほど純度の高い形で封じ込められていた。

深夜のラジオで始まった二人

リリメグの原点は、J-WAVEの深夜番組『TR2』にある。リリーがナビゲーターを務めていたスタジオに、ある夜、安めぐみがゲストとしてやってきた。来週も来ればどうですかというリリーの何気ない誘いをきっかけに、安はそのままアシスタントを務めることになる。

台本も用意されていない、深夜ならではのダラダラとした生放送。そのゆるやかな空気のなかで、やがてリリーが歌本片手にギターをつま弾き、安がそれに合わせて歌うコーナーが自然発生的に生まれた。リリーが最初に惹かれたのは、彼女の声だった。テクニックで聴かせるのではない、深夜にぼそっと歌う感じの声である。

ビジネスの都合でパッケージされた企画ではなく、真夜中の電波に乗って毎週流れていたあの親密な空気感を、そのままCDの形にしたのがリリメグだった。のちのデビューイベントでリリーは、急に出てきたように見えて、ここまで3年半かかったと語っている。

12分あった『おやすみ』

『おやすみ』の原型が生まれたのは、2006年の春ごろのことだ。『東京タワー』が売れ続けていたそのころ、リリーは心身ともにすり減り、誰からも愛情を受けていないような気がしていた。そうしてペンを走らせるうち、自らを癒すようなメロディと詞が立ち現れてきた。

しかし、リリーの視線はそこで自分の殻に閉じこもらない。自分がこう感じるのなら、同い年にも同じ気持ちの人はたくさんいるはずだと思いを巡らせる。毎日懸命に働いているのに、あまり愛情を得ていない気がしている人たち。居酒屋で飲んでいるそんなお父さんたちの耳にこの歌が流れて、お父さん頑張って、大丈夫だよ、と声をかけるような歌にしたかった。

日本中から注目を浴びていた時の人が、己の弱さをあっけらかんと差し出しながら、気づけば見知らぬ他者の痛みに寄り添っている。

その構成もまた、一般的なポップスの文法からは大きく外れていた。当初は12分にも及ぶ長尺で、リリーは本当はもっと長くしたかった。延々と続くアウトロを聴きながら、そのまま眠りにつけるような曲を思い描いていたのである。最終的には短くまとめられたものの、Aメロが繰り返され、サビは一度顔を出すだけ。聴き手を昂らせるのではなく、あくまで深い眠りへと誘うための音楽なのだ。

さらにシングルには、坂本龍一とDEPAPEPEによる『おやすみ』のリミックスまで収録された。たった1曲の子守唄に集まった布陣からも、この企みの本気度が伝わってくる。

自分は出なくていい

リリーの関わり方は、作詞作曲にとどまらなかった。トータルプロデュースはもちろん、ジャケットのアートディレクション、ミュージックビデオの監督、果ては安の衣装デザインやメイクへの注文に至るまで、徹底的にこだわり抜いた。二人は同じ世界にいない、というのがリリーの考えた設定だった。ぼろぼろの服でギターを弾く自分と、浮世離れしたどこかから聞こえてくる安の声が対になる。

2006年10月、渋谷のタワーレコードで開いたデビューイベントで、リリーは自ら監督したMVについて、自分のために書いた曲でで「僕は出演しなくていいんです」と語っている。目立ちたがりのエゴとは正反対の美学である。彼が切望していたのは、スポットライトを浴びて歌う自分ではなく、他でもないあの安めぐみの優しい声で「おやすみ」と肯定される世界そのものだったのだろう。遅刻癖のあるリリーが、CD制作のあいだは一度も遅刻・欠席をしなかったと安が明かしているのも、その本気度を物語っている。

またリリーは同じころ、ラジオでこのプロジェクトの裏にあった別の感情も口にしている。『TR2』を一緒にやっていたころ、一生懸命に頑張っているのに、いやな思いをする仕事にも出会う安の姿に、リリーは自分のこと以上に腹を立てていた。自分なりにいいものを作って、そういう相手にしっぺ返しをしてやりたい気持ちも、このCDには込められていた。

本の横にあったギター

もっとも、リリー・フランキーの表現活動において、音楽は決して唐突な思いつきではなかった。『おやすみ』のクレジットには、作詞・作曲者としてElvis Woodstockという名が記されている。いやらしいコラムを書いている自分の名前が曲に付くと、歌う人に迷惑がかかる。そんな配慮から、以前からほかの人に曲を書くときに使い続けてきた別名義だ。

音楽活動としては、富澤タク(グループ魂)や松下敦(ZAZEN BOYS)といった手練れのミュージシャンたちとバンド「TOKYO MOOD PUNKS」を結成し、自らボーカルとギターも務めている。バンドはのちに、2009年の映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の主題歌も担当している。文筆家やイラストレーターとして名を馳せる傍らに、いつも音楽があった。

ギターはあまり上手くないと本人は謙遜するが、リリメグのデビューのころにも、古いテレキャスターのシンラインを買ったばかりだった。ギターを買うと、上手くなったような気分になれる。そうして本数が増え、置く場所がなくなってきていた。

2011年には、EMIミュージック・ジャパンの中に自身のレーベル「RECORDZとまり木」を設立した。第1弾のシングルは、仕事に疲れた中年の男性と女性への癒やしをコンセプトに作られている。『おやすみ』と、そのまま地続きのものだった。

いい声で歌ってもらう道楽

タワーレコードのイベントで、リリーの弾くギターに合わせて未発表曲を含む3曲を披露した安めぐみは、つらいことがある人や疲れている人、いろんな人に聴いてもらいたいと語った。リリーは「こんないい歌でお酒を飲みたいなぁ」と口にし、自分が作った歌をいい声で歌ってもらえて、酒を飲みながら聞けたら「最高の道楽」だとも語っている。

「最高の道楽」という言葉が、リリメグというユニットの本質を何よりも雄弁に物語っている。ヒットチャートを狙うわけでも、アーティストとしての名声を欲するわけでもない。自分が愛した声を一番美しく響かせ、それを肴に酒を呑む。

2006年のリリースから20年。当時20代だった若者たちも、いまやあの頃のリリーと同じ40代になった。毎日汗水流して働いているのに、誰からも褒められず、ふと自分は愛されているのだろうかと足元がおぼつかなくなる夜。そんな深夜にこそ、『おやすみ』に耳を傾けてみてほしい。


※記事は執筆時点の情報です

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